隅田川と支流に架かる橋

2009-05-20 23:59:50 | 日常&時間の旅


(Q)この橋の名は?

 意外と知られていないことなんだけど、東京は「水の都市」で、大小様々な川と運河に何千もの橋が架かっています。「橋熱中人」にはたまらない都市というわけですが、(春のうららの)隅田川にも、魅力的な橋がたくさん架かっていて、浜松町の日の出桟橋から水上バスに乗って浅草まで川を遡ると、勝鬨橋、佃大橋、中央大橋、永代橋、首都高9号深川線橋梁、清洲橋、新大橋、首都高6&7号線両国ジャンクション橋梁、両国橋、総武線隅田川橋梁、蔵前橋、厩橋、駒形橋、吾妻橋の下をくぐることができます。浅草で水上バスから降りたら、目の前の吾妻橋から優雅な東武線隅田川橋梁を眺めるのもいいし、言問橋まで足を延ばして、東京大空襲の犠牲者に哀悼を捧げることもできます。
 その日は、出だしの聖橋で少々失敗しましたが、両国から隅田川沿いを少しだけ歩いて両国橋を渡り、柳橋から浅草橋まで運河沿いを歩き、浅草橋から総武線沿いを歩いて万世橋に出て、中央通りを銀座方面に向かい、神田から先はは山手線などの在来線と東北&上越新幹線と一緒に歩き、東京駅に着きました。


総武線隅田川橋梁の下を水上バスがくぐる。


その上流は蔵前橋。三連の黄色いアーチを描く。


下流の両国橋。遠目だと平凡だけど、このようになかなか凝っている。


    

 冒頭のクイズの答え=「柳橋」。橋のたもとに本物の柳!も植わっています。柳橋は、隅田川の支流になる神田川の第一橋梁(合流する前の最も下流にある)で、江戸中期に建てられ、明治になって鋼鉄の橋に架け替えられたが、関東大震災で落ちてしまいました。復興局は、船頭たちの帰港の便を考えて、支流河口部の第一橋梁は、各々デザインを変化させる工夫をしました。柳橋は永代橋のデザインを採り入れ、昭和4(1929)年に完成。歩道の部分が、味ありますね~♪


    

(左)こんなところにかんざしが! 赤い玉が入っているのもあった。
(右)柳橋を渡る人より高いところで、ハトが威張っていた! 照明にも注目。


(左)屋形船が何隻も停まっていた。柳橋付近は、江戸時代から舟宿が繁盛していた。
(右)浅草橋も神田川に架かる橋だけど、情緒はこのとおりゼロになってしまった・・・。ここにも見附(浅草見附)があったらしい。


(左)浅草橋からは、総武線の高架下を歩いた。
(右)幻の駅「万世橋」のホームを通過する201系中央線。


万世橋と幻の万世橋駅。旧交通博物館はどうなるの?


    

 神田~東京はガード下を歩いて、昭和へタイムスリップ。左手の車道の上は東北&上越&長野新幹線の高架が走っている。


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