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衝動の人

2015-11-03 19:22:37 | Diary
例えばアールブリュット、
もしくはアウトサイダーアートという中に
「噴き出す衝動」による芸術性は容易に見つけられる。

路線バスばかりをまったく同じ構図で描き続ける人。
トゲトゲ造形を執念深く作る人。
誰に見せるわけでもなく、貧しく孤独な部屋で、
50年以上もかけて1万5千ページにも上る長編小説を挿絵付きで書き続けた人。

彼ら彼女らは「イメージへの衝動」によって描き作るため、
そこに「私は今、何を描き作るか」という思考が介在せず、よって、
その作品はあまりにも鮮烈だ。

鮮烈さを表現しようとした作品と、
内なるイメージをただ顕した作品の結果的な鮮烈さとでは、
やはり違いが感じられ、
その違いは「どちらが良い」ということではなく、
その違いを感じることがアートの面白さのひとつではないか。

ギーガーを「衝動の人」と仮定したのは、
「絞り出す人」と「噴き出す人」を対比させたかったわけで、
もちろん彼が本当に衝動の人かどうかはよくわからない。

蛇足になるが、
もしもギーガーが自分の子供だったとして、
彼が6歳くらいで、
エイリアンの原画のような絵を執拗に描き続けたら
親として、どう思うだろうか。
巨大昆虫の解剖図のような絵を延々と部屋中に描かれたとしたら。
また例えば、食事に出た肉の骨ばかりを集めては
「骨オブジェ」を次々に完成させたら。

才能あるな。と思うか。
気味が悪い。と思うか。

私なら才能を認めつつも、
はっきり言って気味が悪いと感じるだろう。
その才能をそっちじゃない方へ向かわせようと
「ほら、空を見てごらん。もっと世界はポジティブなんだよ」
などとアホなことを言うかもしれない。

例えば幼稚園なんかのお絵描きの時間にあんな絵を毎日描いたら、
親、先生、保護者たち、さてどういう展開になるだろうか。

そこがアートの難しいところでもある。
そして「衝動」というエネルギーについて考える点でもある。

一応、終。
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