三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

五旬祭後第19主日の聖体礼儀

2013年11月08日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

11月3日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で五旬祭後第19主日の聖体礼儀に参祷した。ところで、観光客が最も多く訪れる都内の教会といえば、おそらく「ニコライ堂」であろう。この日は「東京文化財保護ウィーク」で、ひっきりなしに人が来ていた。私も「参祷者」というよりは、「観光客」に過ぎないのかもしれないけれど・・・。午前10時、聖体礼儀の始まりを告げる鐘とともに、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。ア・カペラの聖歌が流れ、乳香の煙が漂う。

福音経の誦読は、「金持ちとラザロ」の場面(ルカ16・19-31)。説教は中西裕一神父。「死後、正しい生き方をした人の霊魂は永遠の福楽に与りますが、罪人は永遠に苦しむ陰府(よみ)に落ちる。両者の境遇はかけ離れています。死後の痛悔は効果がないことを知った上で、日常生活における痛悔の機会を神の恵みと考えましょう。その痛悔の心について、聖イグナチイは『痛悔する者の心に生まれる謙遜の香りは悪魔を退ける』と言いました。神との和解を求める心が大切です」。

正教会の痛悔機密(「機密」とは「秘跡」のこと)は、カトリックの「ゆるしの秘跡(告解)」に相当する。これは「罪の告白を受けてその人を懲戒することが目的なのではなく、神の愛に満たされて、希望と勇気を抱き、生活や人生を善徳に向けて方向転換する(悔い改める)よう諭すことが、主眼となっています」(『オーソドックスとカトリック』より)。ニコライ堂では聖体礼儀が始まる前から、大聖堂の一角にあるセルギイ小聖堂で、痛悔を受ける多くの信徒が「聴罪司祭」の前に並んでいる(注)


大聖堂入口
“ 痛悔者をして全く其の罪悪を吐露し・・・ ”

(注):「痛悔者を前に、司祭はまず聖像を指し示して、痛悔の際、見えずして主キリスト自らその人間の前に在ることを思い念じさせ、痛悔のいかに厳粛なものであるかを自覚させる。その後、司祭は神より授かった使命権をもって祈祷しつつ、この罪を赦す。痛悔の後、聖像の前にひざまずき、司祭はその頭上に『エピタラヒリ』(太いストラのような帯)を掛け、罪を解く祝文を誦える」(『ギリシア正教入門』より)。ちなみに、告解室のようなものはないので、外部から痛悔機密の執行がうかがえる。

◆主な参考文献など:
・「オーソドックスとカトリック」 及川信著(サンパウロ・2011年)
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
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聖霊降臨後第23主日の聖餐式(主教巡回)

2013年11月04日 | 聖公会の礼拝
立教チャペル前の創立者ウィリアムズ主教像
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

10月27日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で聖霊降臨後第23主日の聖餐式に参列した。今年4月からチャペルはオルガン設置工事のため閉鎖されていたから、私にとっては半年ぶりの礼拝だ。この日は教区主教巡回日で大畑喜道主教が来られ、また(大畑主教のご友人で)スリランカから来日中のコロンボ教区主教(Bishop Dhiloraj Canagasabey)も臨席。そして、昨夜のレクイエム奉唱会で指揮されたスコット・ショウ先生が奏楽を担当。まさに「荘厳主教ミサ」であった。

午前10時、振り香炉と行列用十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。大畑主教は主教冠を戴き、牧杖を手にされている。福音朗読は、「ファリサイ派の人と徴税人」の場面(ルカ18・9-14)。大畑主教は、「高慢な祈りは人を離れさせます。そして、私たちの独善的な一言で傷つき、教会を去る人が多いという現実もあります。しかし、神様はその傷ついた人たちに目を向け、寄り添っておられる。だから、小さく弱い人たちの謙遜な祈りこそが、世界を救う道であると思います」と話された。

「『罪人のわたしを憐れんでください』という祈りが世界を変えていく。教会の存在意義もそこにあると言えましょう。謙遜な祈りは人々をつなぎ合わせるのです」。大畑主教の説教が私の心に強く響いた。今から3年前、私が初めての主日ミサに与った時も、この福音が読まれたことを思い出す。再び「C年」を迎えたが、その間、日本の教会の現実に失望することも少なくなかった。だが、私も「徴税人」を気取りながら、実は独善的な「ファリサイ派の人」ではなかったか。自戒の念を込めて。


リニューアルされた諸聖徒礼拝堂
(新しいパイプオルガンは英国ティッケル社製)

<付記>
この日は礼拝中に「入信の式(洗礼堅信式)」が行われた。聖公会の洗礼式に立ち会ったのは、私にとって今回が初めて。諸聖人の連祷、白衣(びゃくい)の授与などが行われないことを除けば、ほぼカトリックの洗礼式の流れと重なる。教父母(代父母)が立ち会いながら、教名(洗礼名)が授与される点も同じ。チャペル入口付近の洗礼盤(!)上で受洗者に水が注がれる。信仰宣言は「ニケア信経」ではなく、「使徒信経」を唱和。この日、洗礼・堅信の恵みに与った方々は4名。おめでとうございます。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜2(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:205「ハレルヤ ハレルヤ」、続唱聖歌:487「重荷背負う人に」、入信の式:274「古い行い改めて」、奉献聖歌:324「み神にかたどり」、陪餐聖歌:239「すべての神の民を」、派遣聖歌:318「いざやともに」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)
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