三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

ロザリオの月に

2011年10月01日 | 雑記帳
上智大学から望む聖イグナチオ教会
(住所:東京都千代田区麹町6-5-1)

10月になった。「やはり」と言おうか、我らの野田佳彦首相は、先月の国連演説で「原発中毒の国、日本」の醜態を全世界に曝した。フクシマの悲劇を通して、ドイツやスイスなどの欧州諸国は脱原発を決断し、モンゴルは日米両国の核廃棄物の受け入れを拒絶。ところが、被災国の日本では、原発推進の首長や地方議員が続々と当選している。国と電力会社からの「カネ」に目が眩み、子孫の命と故郷を犠牲にする愚かな人々。大震災から何も学んでいない。

カトリック教会に通い始めてから、私は旧約聖書をよく読むようになった。プロテスタント系の高校時代、牧師先生は「まず、新約だけを読みなさい」と言われ、私はそれを滑稽なほど素直に受け取った。カトリック教会のミサで朗読される旧約と詩編のことばを聞くようになって、その世界を知りたいと強く思った。さっそく、続編(第二正典)付きの「旧約聖書」を買い求め、あずみ椋氏のマンガ「旧約聖書(全3冊)」をサブテキスト(!)にして、私は旧約を貪り読んだ。

旧約聖書を開くと、神に背き続ける人の慢心に戸惑う。神は人を赦し、預言者を通して警告も与えてきた。だが、人は愚かな歴史を繰り返す。日本の原発城下町の首長らは、「脱原発は難しい。他に財源はない」と言い張る。「愚か者が代金を手にしているのは何のためか。知恵を買おうにも、心がないではないか」(箴言17・16)。ヨブのように嘆きたくもなるが、「主を信頼せよ。そうすれば必ず助けてくださる。お前の歩む道を一筋にして、主に望みを置け」(シラ書2・6)。

主は再び我らを憐れみ、我らの咎(とが)を抑え、
すべての罪を海の深みに投げ込まれる。
(ミカ書7・19)”


カトリック市川教会聖堂にて
(住所:千葉県市川市八幡3-13-15)
“いと尊きロザリオの元后、われらのために祈り給え”
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