三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック碑文谷教会(サレジオ教会)

2011年07月23日 | 東京のカトリック教会
カトリック碑文谷教会(教会堂名:江戸のサンタマリア)
創立:1948年 ◇ 住所:東京都目黒区碑文谷1-26-24

東急東横線の都立大学駅で降りる。駅名の由来となった東京都立大学(八雲キャンパス)は八王子市に移転し、この地には存在しない。また、校名も石原慎太郎都知事の“強権発動”で、首都大学東京に変更されてしまった。この男のネーミング・センスはまことに素晴らしく、「俺は、君のためにこそ死ににいく」「たちあがれ日本」など、天賦の才能が花開いている。 現在、都立大学の跡地は複合施設「めぐろ区民キャンパス」となり、ホールや図書館などがある。

碑文谷(ひもんや)教会に着いた。一般的には、サレジオ修道会の担当教会であることから、目黒サレジオ教会の名が広く親しまれている。教会前の道は「サレジオ通り」と称し、その付近にはカトリック系の目黒星美学園などがあり、サレジオの小さな城下町を形成している。さて、鐘楼を戴く大聖堂に入ると、パイプオルガンの荘厳な音色が響いていた。オルガニストが練習しているらしい。誰もいない聖堂で、私は贅沢な時間を過ごす。神の豊かなお恵みに感謝。

碑文谷教会は「江戸のサンタマリア」に捧げられている。1954年、現聖堂の建設中に「東京国立博物館で古い聖母画が発見され、江戸時代に渡来したシドッティ神父(注)の所持品であること」が分かった。それは神父を尋問した新井白石の調書によって判明したという。その中に、聖母画の模写があったのだ。 碑文谷教会の壮麗な大聖堂には、この「江戸のサンタマリア」の複製が掲げられている。 その表情は、江戸の殉教者を悼むような悲しみを湛えている。


現聖堂献堂:1954年


聖堂外観

(注):シドッティ神父(1668-1714年)は鎖国中の日本へ潜入したイタリア人宣教師。江戸の切支丹屋敷に幽閉され殉教。シドッティ神父の人格に惹かれた新井白石は、その対話から得た知識を「西洋紀聞」などの著作にまとめた。なお、カルロ・ドルチ作「悲しみの聖母(江戸のサンタマリア)」の原画は東京国立博物館蔵。

◆主な参考文献など:
「東京きりしたん巡礼」 山田野理夫著(東京新聞出版局・1982年)
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