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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

聖マリアンナ医科大学病院

2012年07月04日 | 神奈川のカトリック教会
聖マリアンナ医科大学病院
(住所:神奈川県宮前区菅生2-16-1)

東急田園都市線の宮前平駅で降り、川崎市営バスに乗車。まず、聖マリアンナ医大の沿革をおさらい。「1971年、東洋医科学大学の名で発足、設立については初代理事長・明石嘉聞氏の功に負うところが大きい。従来あった東横病院、大学病院本館・別館、新設の西部病院が附属。(中略)カトリックでは、我国唯一の医科大学」(横浜教区設立50周年記念誌)。校名(聖マリア+聖アンナ)は、明石博士の妹であるシスター・マリアンナの修道名に由来。

終点の聖マリアンナ医大停留所で下車。小高い丘に聳える大病棟の威容に圧倒された。創立者の故・明石博士は、敬虔なカトリック信徒。明石家は北多摩郡の出身で、旧久留米教会所属の信徒だった。1886年、この教会は東久留米に献堂されたが、教勢が衰えて自然消滅した。メイラン神父が八王子から巡回した頃は、数家族しか集まらなかったという。現存していたら、泉町教会八王子教会と共に、多摩地域の古教会の一つとなっていたに違いない。

聖マリアンナ医大の構内には2つの聖堂がある。病院本館3階の小聖堂は、個展などが開かれるチャペル・ギャラリーを兼ねている。また、構内南端にある別棟の聖堂は、「1996年、創立25周年を記念し、特別教育施設として開設。(中略)ミサは近隣の方々にも開かれています」(聖マリアンナ医大サイト)。 病院本館の玄関では、雑誌「聖母の騎士」最新号と、国際ギデオン協会版の「新約聖書」が無償配布されていた。ともに病者の慰めと支えになるだろう。


小聖堂(病院本館3階)


聖堂(別棟)

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
「キリストを背負って六十年 メイラン神父の伝道記録」 塚本昇次著(私家版・1987年)
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カトリック戸塚教会

2012年06月28日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック戸塚教会(教会堂名:聖ペトロ)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県横浜市戸塚区矢部町641

「お前はクリスチャンか、とある人に聞かれたら捨吉はもはや以前に浅見先生の教会で洗礼を受けた時分の同じ自分だとは答えられなかった。日曜日曜にきまった会堂へ通い説教を聞き讃美歌を歌わなければ済まないことをしたと考えるような信者かたぎからはだいぶ離れて来た。(中略)では、お前は神を信じないか、とまたある人に聞かれたら自分は幼稚ながらも神を求めているものの一人だと答えたかった」(島崎藤村著「桜の実の熟する時」より)。

JR横須賀線の戸塚駅で下車。東口周辺には、明治学院大学横浜校舎がある。1980年代にブームとなった郊外型キャンパスの一つだろう。プロテスタント系の明治学院といえば、やはり東京の白金台である。島崎藤村はここで学び、クリスチャンとなった。「桜の実の熟する時」の主人公・捨吉は藤村自身であり、明治学院での若き日々が描かれている。藤村もこの小説を「自分の著作の中で、年若き読者に勧めてみたいと思うものの一つ」と評している。

西口から徒歩10分ほどで、戸塚教会に到着。丘の上に立つ聖堂は、企業の研修センターのように見える。当初、駅近辺にあった戸塚教会は、1975年に「都市計画によって移転せざるを得なくなり、将来のためも併せ考慮して、代償金をもって、戸塚区中和田、及び戸塚の2ヶ所」に教会を設立した(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。さて、私は横浜市内のJR京浜東北・横須賀沿線の旅を終え、次回は横浜市内の私鉄沿線のカトリック教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1998年

◆主な参考文献など:
・「桜の実の熟する時」 島崎藤村著(岩波文庫・1969年)
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック保土ヶ谷教会

2012年06月14日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック保土ヶ谷教会(教会堂名:被昇天の聖母)
創立:1938年 ◇ 住所:神奈川県横浜市保土ヶ谷区霞台8-41

JR横須賀線の保土ヶ谷駅で下車。丘の上を目指して、閑静な住宅街の中を登る(横浜教区は「坂の上の教会」が多く、体力不足の私にはキツい)。高台からは、横浜ランドマークタワーが見える。「日本一高い超高層ビル」として一世を風靡したが、最近は東京スカイツリーにお株を奪われているようだ。先月、単なる電波塔の開業フィーバーに辟易させられたが、私にはテレビ中毒者が「ニッポン、世界一」の妄想に耽るためのバベルの塔としか思えない。

保土ヶ谷教会に着いた。1938年、パリ外国宣教会のヨハネ・シェレル神父によって建てられたロマネスク様式の聖堂が美しい。教会の案内書によれば、「ヴォールト構造(かまぼこ型の天井様式)のアーチと、それを支える列柱がクラシックな趣を醸し出しており、TVロケなどに度々つかわれています」。小田原教会、山手教会と共に、神奈川のカトリック教会では数少ない戦前建築の聖堂だ。しかし、保土ヶ谷教会には殉教の痛ましい記憶が刻まれている。

聖堂玄関の横に、「戸田教区長殉教碑」がひっそりと立っている。1945年8月17日、敗戦から僅か2日後、保土ヶ谷教会の司祭館で、横浜教区長だった戸田帯刀神父が暴徒の憲兵に射殺される事件が起きた。「大日本帝国」の崩壊がもたらした惨劇だろう。ところが今日、石原慎太郎や橋下徹は、憲兵や特高警察がのさばっていた暗黒時代の到来を夢見ている。国粋主義に取り憑かれたテレビ中毒者は歓呼の声をあげ、間もなく大願成就する日も近い(?)。


現聖堂献堂:1938年


聖堂外観

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック新子安教会

2012年06月10日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック新子安教会(教会堂名:幼いイエスの聖テレジア)
創立:1930年 ◇ 住所:神奈川県横浜市神奈川区入江1-19-30

JR京浜東北線の新子安駅で降りる。東側は臨海工業地帯で、日産自動車の横浜工場やJVCケンウッドの本社などが並ぶ。JVC(日本ビクター)といえば、私は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年)を思い出す。主人公のマーティ(マイケル・J・フォックス)が世紀の大発明(?)デロリアンを記録撮影したビデオカメラがJVC製だった。映画の中にはトヨタ、パナソニック、アイワなどの日本製品が溢れていた。経済大国ニッポンの有頂天、今いづこ。

新子安教会の沿革をおさらい。1930年、この教会がパリ外国宣教会のルボー神父によって設立された時は、入江町教会という名称だった。「同教会はそれ以前、即ち1920年に既にパリ外国宣教会宣教師がその地(新子安)に仮寓して宣教を始め共同体が出来た。その後、パリ外国宣教会から、戦後、米国より来日して宣教にあたっているアトンメント・フランシスコ修道会に委託された(その後、横浜教区に移管)」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。

新子安教会に到着。教会堂名の幼いイエスの聖テレジア(1873-1897年)は24歳で夭逝した修道女で、人気が高い聖人の一人。実は私も麗しい「写真集 テレーズ」を愛蔵している。テレーズは「天国に行ったら、この地上にバラの花の雨を降らせましょう」と約束された。だから、私も「幼きイエズスの聖テレジアの精神を求むる祈」を唱えよう。「聖テレジアの跡を慕わしめ、天国の永福を受くるを得しめ給わんことを・・・」。さて、次は保土ヶ谷教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1963年

◆主な参考文献など:
・「おさないイエズスのちいさな聖テレジア」 江藤きみえ著(聖ヨゼフ修道院・1982年)
・「写真集 テレーズ」 サンパウロ編(サンパウロ・1997年)
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック鶴見教会

2012年06月06日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック鶴見教会(教会堂名:聖ヨセフ)
創立:1951年 ◇ 住所:神奈川県横浜市鶴見区東寺尾中台37-6

JR京浜東北線の鶴見駅で降りる。東口は臨海工業地帯で、JFE(旧川鉄+日本鋼管)などの大工場群が並ぶ。その中でも日産自動車の横浜工場は、同社発祥の地として知られる。「1933年、日産自動車はこの横浜の地に創立し、日本で初めての自動車量産工場として1935年に稼動を開始しました」(同社公式サイトより)。日産といえば、私は初代セフィーロ(1988年)のテレビCM「くうねるあそぶ」を思い出す。バブル絶頂期の軽薄なニッポン、今いづこ。

駅の西口から歩く。向こうの丘の上には總持寺の大伽藍が聳えている。悩める衆生の一人である私は、まずカトリック鶴見教会へ直行。聖堂内ではアトンメントの聖母像がお出迎え。この教会を創立したのは、アトンメントのフランシスコ会(注)。1948年、横浜教区から川崎・鶴見地区の宣教を委任され、貝塚教会菊名教会中原教会秦野教会などを建てた。近隣にはアトンメント会が開いたカトリック系の聖ヨゼフ学園(小・中・高の私立女子校)もある。

鶴見教会で祈りを捧げた後、總持寺(曹洞宗)に寄ってみた(「異教」の寺院を拝観するのは、我ながら無節操と思うが)。広い境内(禅苑)を散策すると、三門、仏殿、そして大祖堂などの大伽藍に圧倒される。門前の掲示板で特筆大書された標語を拝読。「いかなる悪も行なわず、もっぱら善を完成し、自ら心を浄くする。これが諸仏の教えなり(「法句経」一八三句)」・・・。合掌。さて、私は再び横浜行きの京浜東北線に乗車。次は隣駅の新子安教会を訪ねた。


現聖堂献堂:1970年


カトリック鶴見教会の“アトンメントの聖母像”

(注):アトンメント(Atonement)のフランシスコ会は、1898年にポール・ワトソン神父がアメリカで創立。日本地区の本部は鶴見教会(鶴見修道院)にある。

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)

<付記>
今回より「横浜のカトリック教会巡り(JR京浜東北・横須賀沿線編)全4回」を不定期で連載いたします。鶴見から新子安、保土ヶ谷を経て、戸塚までのカトリック教会を巡ります。
コメント (2)
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