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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック中和田教会

2012年08月05日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック中和田教会(教会堂名:神の母聖マリア)
創立:1974年 ◇ 住所:神奈川県横浜市泉区中田北1-9-1

小田急江ノ島線の湘南台駅で下車。横浜市営地下鉄に乗り換える前に、駅から徒歩数分のカトリック教会湘南台センターを訪ねた。「藤沢の北の地域にお住まいの方々を対象に、神との出会いの機会を広げるために、1994年9月、湘南台駅前に開設されました。キリスト教関係の講座もいくつかのコースで開かれています」(藤沢教会サイト)。マンションの1階部分を、湘南台センターが占める。ここは藤沢教会の集会所であり、定期的にミサも捧げられている。

湘南台から横浜市営地下鉄(ブルーライン)に乗り、立場(たてば)駅で下車。中和田教会の沿革をおさらいしよう。1973年、「横浜市戸塚区にあった旧戸塚教会が駅近辺の都市計画によって移転せざるを得なくなり、将来のためも併せ考慮して、代償金をもって、戸塚区中和田、及び戸塚の2ヶ所に教会の設立を計画して建築を始めた」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。翌1974年2月、現在の聖堂が建てられた。守護聖人は、神の母聖マリアである。

閑静な住宅街を歩くこと数分、中和田教会に着いた。一見すると、ごく普通の民家のような聖堂だ。私が土足で上がるべきか迷っていると、ご婦人信徒の方から「御聖体訪問の方ですか?(私、未信者なんですけど・・・)。ハイ、お聖堂はコチラです。アッ、靴は履いたままでどうぞ!」とご案内いただいた。私が訪れた日は、ちょうど枝の主日に当たり、祭壇前に棕梠(ソテツ)の葉が飾られていた。さて、私は再び横浜市営地下鉄に乗車。次は原宿教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1974年


カトリック中和田教会の聖母子像

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック藤が丘教会

2012年07月26日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック藤が丘教会(教会堂名:聖ヨハネ・マリア・ビアンネ)
創立:1971年 ◇ 住所:神奈川県横浜市青葉区柿の木台1-2

東急田園都市線の藤が丘駅で下車。鷺沼教会の記事でも触れたが、私は川崎市宮前区に住んでいたことがあるので、久しぶりに訪れた田園都市沿線の風景が懐かしい。起伏に富んだ丘陵地に、カラフルな住宅やマンションが密集している。坂道を登り切ったところで、藤が丘教会に到着。大聖堂のような広い空間に驚く。祭壇正面の右側には、立派なパイプオルガンも据えられている。聖堂の天井が高いから、オルガンの音色も豊かに響くに違いない。

カトリック藤が丘教会の沿革をおさらい。1971年10月、「ケベック外国宣教会によって建立され、その落成、祝別式が行なわれたが、この教会はケベック外国宣教会によって宣教・司牧されている地区における3番目の小教区(注)でもある。東京、横浜、川崎の都市に勤める人々のベッド・タウンとして大きな団地を控える地区でもある。団地布教の一環として、今後の日本の都市布教のあり方を試行するものである」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。

オシャレな東急田園都市沿線にも、昭和レトロな団地がある。元団地っ子の私は、公団たまプラーザ団地を訪ねた。駅から徒歩数分、子どもの頃の原風景が現れた。整然と並ぶ直方体の住棟、広い芝生や公園など、旧住宅公団特有の世界である。だが、羊かん型住棟の中には、私が住んでいた団地より、間取りが多いタイプもあって、東急沿線ならではの高級感が漂う(?)。私と同世代の団地っ子も、ここから藤が丘教会へ通っていたのかもしれない。


現聖堂献堂:1997年


3階から聖堂を見おろす

(注):他の2教会は、溝ノ口教会(川崎市高津区)、百合ヶ丘教会(川崎市麻生区)。

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)

<付記>
今回で「横浜の私鉄沿線のカトリック教会巡り」を終え、来月は「横浜市営地下鉄沿線のカトリック教会巡り」を不定期連載いたします。中和田教会から、原宿教会(戸塚)を経て、港南教会までを訪ねます。
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カトリック二俣川教会

2012年07月20日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック二俣川教会(教会堂名:日本26聖人殉教者)
創立:1965年 ◇ 住所:神奈川県横浜市旭区二俣川2-36

相鉄線の二俣川駅で下車。郊外の私鉄沿線に共通する風景を見ながら、緩やかな坂道を歩く。「1964年、来日したフランス人司祭プラド会のヨゼフ・ドバール神父によって、二俣川周辺で行われた司牧活動から始まりました。(中略)最初の聖堂が建てられるまでは、信徒の家でミサや家庭集会などが行われていました。1965年、最初の聖堂が建設され、そこで初めてのミサが捧げられました」(二俣川教会サイト)。守護聖人は、日本26聖人殉教者である。

プロテスタント系の高校時代、私は修学旅行で長崎を訪れた。平和公園の原爆資料館やグラバー園などを巡ったが、なぜか大浦天主堂、浦上天主堂、そして日本二十六聖人記念碑など、カトリック関連の名所が見学コースから外されていた。今から思えば、それはプロテスタントの「意地」に基づいていたのであろう。「旧教」を快く思っていなかった宗教部長先生の権威が、実際にカトリックの信仰を目の当たりにすれば、一瞬にして崩壊してしまうからだ。

今年は日本26聖人殉教者の列聖150周年を迎えている。1597年、長崎の西坂で26人の切支丹が処刑された。聖パウロ三木は十字架上で太閤秀吉の罪業を赦し、2人の少年は詩編を歌いながら絶命した。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者」、封建の蛮族どもによる殺戮だろう。それでも、「武士道の精神」や「サムライの品格」に憧れるニッポン人が少なくない。オリンピックなどで、「サムライ・ジャパン」の絶叫を聞くたびに、私は気分が悪くなる。


現聖堂献堂:1995年

◆主な参考文献など:
「日本二十六聖殉教者」 T・オイテンブルク、S・シュナイダー共著(中央出版社・1961年)
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カトリック戸部教会

2012年07月14日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック戸部教会(教会堂名:聖フランシスコ・ザビエル)
創立:1952年 ◇ 住所:神奈川県横浜市西区御所山町6

京急本線の戸部駅で下車。戸部教会を目指して、御所山を登る。途中、御所五郎丸の墓と伝えられる古い五輪塔の脇を通った。その由来は、「1193年、源頼朝が富士の巻狩をした夜、曽我兄弟が父の仇の工藤祐経を討ちとった時、五郎丸がその兄弟を祐経の館に導き本望を遂げさせたという。御所山の地名は御所五郎丸にちなんでつけられたという」(西区サイト)。すっかり市街地化されている御所山に、中世の歴史が残されているとは思わなかった。

戸部教会に到着。横浜ランドマークタワーがよく見える。「日本一高い超高層ビル」として一世を風靡したが、最近は東京スカイツリーにお株を奪われているようだ。先々月、単なる「電波塔」の開業騒ぎに辟易させられたが、私には「世界一」を誇りたいニッポン人のための卒塔婆に見える。中東のドバイには、こんな「電波塔」を凌ぐ超高層ビルがあるというのに、それでも「世界一」に熱狂する人々。心を静めて聖堂に入ると、色鮮やかな聖母子像がお出迎え。

戸部教会の沿革をおさらい。「末吉町教会から分離した戸部教会はマホン師や横浜、横須賀在住の米軍信徒を始め山手教会外人信徒等の協力のもとに建設され、スペインから1950年に来日し、日本語修得をしていたエスコラピオ会ペレス師が主任として赴任」(「横浜教区設立50周年記念誌」)。戸部教会には、エスコラピオス修道会の日本本部がある。 昨年、私がメダイの祝別をお願いした市川教会のレックスバート神父は、この修道会のご出身だった。


現聖堂献堂:1976年


カトリック戸部教会の聖母子像

◆主な参考文献など:
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック金沢教会

2012年07月10日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック金沢教会(教会堂名:聖ヨセフ)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県横浜市金沢区金沢町48

京急本線の金沢文庫駅で下車。風流な駅名は、鎌倉時代に北条実時が開いた私設書庫に由来する。北条氏の滅亡後、膨大な蔵書は実時の菩提寺である称名寺が引き継いだが、「現在の金沢文庫は1930年に神奈川県の施設として復興したもので、1990年から装いも新たに中世の歴史博物館として活動を行っています」(神奈川県立金沢文庫サイトより)。金沢教会前の坂道を直進すると称名寺へ至り、その広い境内に隣接して県立金沢文庫がある。

金沢教会の沿革をおさらい。「1950年、旧聖堂がこの地に建立されました。初めてのミサがささげられた時に参列した信徒は5~6人でした。当初は『湘南カトリック教会』と称していましたが、横浜教区の信徒が増え、各地に教会が建てられたので、2年後に現在の名称に変わりました。現在の聖堂は、1980年、前より広々とした神の家として新しく建てられました」(教会案内書より)。 敷地内には、「旧教会献堂と同じ時期に創立された」天使幼稚園がある。

金沢教会に到着。聖堂の一室に、金沢教会の守護聖人である聖ヨセフの御像があった。ヨセフについて、聖書は多くを伝えていない。遠い昔、私はイエスの幼年時代を描いた絵本「はなやひつじとはなしたこども」を愛読していた。家造りの仕事に励むヨセフの傍らで、小さなイエスは「もっと もっと おおきい うちを たてたいな。(中略)みんな みんな せかいじゅう なかよく くらせる おおきな うちを」と考える。ヨセフといえば、私はいつもこの絵本の情景が甦る。


現聖堂献堂:1980年
“ 聖なる家族を 導き行きし/おおしき心の 聖きヨゼフ ”

◆主な参考文献など:
「はなやひつじとはなしたこども」 婦人之友絵本制作部著、佐藤忠良画(婦人之友社・1970年)

<付記>
今回より「横浜のカトリック教会巡り(私鉄沿線編)全4回」を不定期で連載いたします。京急沿線の戸部教会、相鉄沿線の二俣川教会、そして東急沿線の藤が丘教会を巡ります。
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