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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

生神女誕生祭(五旬祭後第15主日)聖体礼儀

2014年09月22日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

先月18日、教皇フランシスコは韓国ソウルの明洞(ミョンドン)司教座聖堂で7人の元従軍慰安婦に会い、一人ずつ手を握って慰労された。その様子は『ニューヨーク・タイムズ』などの海外メディアでも大きく報道されたが、汚物のようなニッポンの愛国者どもは執拗に『朝日』を叩き続けている。この支離滅裂な妄想によれば、「バチカンや国連、及び慰安婦問題でニッポンを非難してきた国々(米国、EU、オランダ、カナダ、台湾、フィリピン)も『朝日』の捏造に騙されている!」となろう。世界が驚く新事実。

9月21日(日)、東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、生神女(注)誕生祭の聖体礼儀に参祷した。生神女誕生祭は正教会の12大祭の一つで、旧暦に基づく毎年9月21日に「『救い』を与えるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)を生むマリヤの誕生を、正教会は救いの始まりとしてお祝いします」(『生神女マリヤさま』)。今年は五旬祭後第15主日と重なった。午前10時、聖体礼儀の開始を告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が入堂。福音経は、「最も重要な掟」についての問答(マタイ22・35-46)。

北原史門神父は、「主イイススが示された『全身全霊での神への愛』、『汲み尽くせない程の隣人への愛』という2つの戒めを、自分には出来そうもない教えと考えるのなら、それは神から与えられた自分への恵みやタラント(才能)を過小評価しています。なぜなら、実現不可能な戒めを、神はなさらないからです」と話された。もしかすると、私にも2つの戒めを実現するタラントが潜んでいるのかもしれない。早速、この願いの助けとして、卓上型イコンを教会事務所で入手。もちろん、図像は「生神女」である。


<聖体礼儀を終え、退堂されるダニイル府主教座下

(注):生神女(しょうしんじょ)は、ギリシャ語のテオトコス(テオは「神」、トコスは「生む」)に由来。「正教会がマリヤさまを『生神女』という時、それは、神さまが人となったという『藉身(せきしん。受肉)』の事実を明らかに宣言しているのです。このように、正教会において、マリヤさまは必ずイイスス・ハリストスとの関連の中にいます。マリヤさまを単独でハリストスと切り離して考えることはありません。だから、単に『聖母』ではなく『生神女』という言い方が大切にされているのです」(『生神女マリヤさま』より)。

◆主な参考文献など:
・「生神女マリヤさま」 (日本ハリストス正教会教団 全国宣教委員会・2012年)
・「正教要理」 トマス・ホプコ著、水口優明訳(日本ハリストス正教会西日本主教教区・2012年)
・「東京新聞」夕刊 (2014年8月19日付記事「ローマ法王、元慰安婦に言及」)
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五旬祭後第7主日聖体礼儀

2014年08月03日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

7月27日(日)、東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、五旬祭後第7主日聖体礼儀に参祷した。午前10時、聖体礼儀の始まりを告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が入堂。アカペラの聖歌が流れ、乳香の煙が漂う。福音経の誦読は、イエスが二人の盲人を癒された場面(マタイ9・27-35)。市村直巳神父は、「イイススは『わたしにできると信じるのか』と言われた。ギリシャ語の『信じる』には“神への全幅の信頼”という意味があり、イイススはその信仰を問われているのです」と話された。

「当時、障害者は社会から差別され、見放されていた。イイススの癒しは人を偏見や差別といった悪から解き放ち、神様との本来あるべき関わりの中に戻すものです。目の不自由な人は視力を得ただけではなく、心の目で世の光としてのイイススを捉えられるようになりました。それは肉体の癒しを超えた本当の救いだったのです。私たちも『はい、主よ』という全幅の信頼で、世の光のイイススを常に心の目で捉えましょう」。説教の最後に市村神父は祈りとして聖詠(詩編)の一節を引用された(注)

今、ニッポンには「偏見や差別といった悪」が充満している。公道では「ヘイトスピーチ」が凄まじい罵声をまき散らし、書店の新刊コーナーや電車内の中吊り広告は「嫌中憎韓」の文字が乱舞している。バブル崩壊後、ニッポンはその凋落しつつある現実を頑なに受け入れず、品性下劣な「偏見や差別といった悪」に染まることで、自らの「ちんけな誇り」を取り戻そうと躍起になっている。卑しいレイシズムが「国民的娯楽」の“ブラック国家、ニッポン”だからこそ、「世の光を捉える心の目」が求められよう。


ニコライ堂境内の亜使徒聖ニコライ記念聖堂の裏庭
<ひっそりと立つニコライ大主教(と思われる)胸像>

(注):「むなしいものを見ようとすることから、わたしのまなざしを移してください。あなたの道に従って、命を得ることができますように(詩編119・37)」。ところで、今年5月の瞽者(盲人)の主日の説教も市村神父だった。その時、引用された「神が共にいてくださるという目に見えない事実を見ないならば、私たちは何も見ていないに等しい」という神学者の言葉が強く印象に残っている。
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聖使徒ペトル、パウェル祭の聖体礼儀

2014年07月19日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

7月13日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、聖使徒ペトル、パウェル(聖ペトロ、聖パウロ)祭の聖体礼儀に参祷した。午前9時30分、聖体礼儀の開始を告げる鐘とともに、ダニイル府主教、仙台のセラフィム大主教が厳かに入堂。ア・カペラの聖歌が流れ、乳香の煙が漂う。この日は日本正教会の大きな会議(全国公会)が開催されていたので、聖堂内はミトラやカミラフカ(円筒型の帽子)を戴く多くの神品(聖職者)であふれていた。力強い男声合唱の讃詞に圧倒された。

福音経の誦読は、ペトロの信仰告白の場面(マタイ16・13-19)。説教壇に立たれた司祭(お名前を失念しました)は、「本日の五旬祭後第5主日は、聖使徒ペトル、パウェル祭を繰り下げて祝っています。第5主日の福音は、悪霊に取りつかれたゲルゲシン(ガダラ)の人が癒される箇所(マタイ8・28から)。罪の源は悪魔と聖書は教えています。人は誘惑に負けたが、ハリストスの復活は悪魔が支配する陰府を壊滅させました。そこは空とされ、神様の愛があふれる場所となったのです」と話された。

「ハリストスによって悪魔の力は滅ぼされましたが、それでも救いは私たち個人の意志に関わっている。天使の一部が悪魔になり、人が楽園から追放されたのは、自己中心的な高慢からでした。神に心を向けるには、痛悔(悔い改め)が必要です。ハリストスを拒んだペトル、キリスト教徒を迫害したパウェルのその後の人生は、私たちに痛悔することの大切さを教えています」。日本の西方教会の一部に蔓延する万人救済説など、人間の高慢の極みだろう。私は正教が説く「救い」に強く惹かれる。


禅寺の火灯窓を思わせる(?)ニコライ堂の意匠
“ 主は我が力、我が歌なり、彼は我が救となれり・・・ ”

<付記>
この日の説教で触れた「意志」につき、ウェア府主教の次の指摘も興味深い。「堕落とその結果について正教会は、人間は神の像をかろうじて保持しているばかりではなく、善と悪の選択の自由も保持していると理解します。人間の選択の自由の能力は堕落によって傷つき限界はありますが、決して絶滅されてはいません。堕落の状態にあって人間の意志は病んではいますが死んではいません。健康な時よりはるかに困難ですが、人間は依然として善を選択することができます」。

◆主な参考文献など:
・「主日奉事式」 全国宣教企画委員会編(日本ハリストス正教会教団・2014年)
・「私たちはどのように救われるのか」 カリストス・ウェア主教著、水口優明、松島雄一共訳(日本ハリストス正教会西日本主教教区教務部・2003年)
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瞽者(こしゃ)の主日聖体礼儀

2014年05月30日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

ニコライ大主教の日記から。日清戦争中、「日本人は自己満足の波の上を動き回っている。(中略)日本人の自己称賛は果てしがない」(1894年9月19日)、「日本人は群れる傾向が強い国民である。自分たちの群れの中から立派な角を持つ者が先頭に立つと、全員がどっとその後についてゆく」(1896年1月11日)。ニッポン人の本性を指摘したニコライ大主教の慧眼には驚く。今や「昭和のテレビ中毒世代」がヘラヘラ笑いながら、安倍晋三という奇妙な駄馬の後に「全員でどっとついてゆく」。

5月25日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、瞽者(こしゃ)の主日聖体礼儀に参祷した。午前10時、聖体礼儀の始まりを告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が入堂。ア・カペラの聖歌が流れ、乳香の煙が漂う。福音経の誦読は、イエスが生まれつきの盲人(瞽者)をいやされる場面(ヨハネ9・1-38)。市村直巳神父は、「生まれつき目の見えなかった人は、視力を与えられただけではなく、心の目で世の光としてのイイスス(イエス)を見るようになったのです」と話された。

「私たちも心の目が見えなくなる時があります。今、私たちの心の目は光を捉えているでしょうか。ある著名な神学者は『神が共にいてくださるという目に見えない事実を見ないならば、私たちは何も見ていないに等しい』と言いました。私たちは自分自身のうちに、神の光を、復活の主を見いださなければなりません」。市村神父をはじめ、ニコライ堂司祭の説教は簡潔にして明快である。私はお笑いなどを交えた冗長な説教が苦手なので、ニコライ堂のストレートな「福音メッセージ」に強く惹かれる。


ニコライ堂境内に残る旧ニコライ学院。1996年閉校。
(1895年竣工。当初はニコライ堂の附属図書館だった)


旧ニコライ学院(旧図書館)の外観
<現在、正教の教えを学ぶ伝道会は、ここで開講中>

<付記>
ニコライ堂境内の北西にある旧ニコライ学院の建物(上写真)は、かつてニコライ堂の図書館だった(設計は鹿鳴館などを手がけたコンドルらしい)。1895年の竣工時は3階建だったが、関東大震災後は1・2階部分が現存している。「本の虫」のニコライ大主教は、積極的に図書の充実と整理に当たっていた。神学書をはじめ、幅広い分野を網羅した和洋書は「数万巻に及んだ」という(1階が翻訳書、2・3階が宗教書と学術書を収蔵)。だが、1923年の関東大震災で蔵書の多くは焼失した。

◆主な参考文献など:
・「ニコライ」 中村健之介著(ミネルヴァ書房・2013年)
・「聖人ニコライ事蹟伝」 柴山準行、府主教セルギイ編著(日本ハリストス正教会教団府主教庁・1998年)
・「写真集 亜使徒日本の大主教聖ニコライ」 大主教セラフィム辻永昇著、東日本主教々区宗務局編(日本ハリストス正教会教団宗務総局・2012年)
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携香女の主日聖体礼儀

2014年05月10日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

5月4日(日)、東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、携香女の主日聖体礼儀に参祷した。私がニコライ堂へ足を運ぶようになってから、この日で約一年を迎えた(昨年も携香女の主日だった)。私はカトリック系の病院で生まれ、プロテスタント系の高校を卒業し、聖公会系の大学を中退した。この西方教会的人生(?)の中で、東方正教会との接点はほとんどなく、それもロシア音楽で耳にした聖歌の調べ(注)、海外旅行時に見た教会(下写真)など、断片的な印象に過ぎなかった。

私にとって東方正教会は「知られざるキリスト教」であったが、まさに「来リテ観ヨ(きたりてみよ)」(ヨハネ1・46)、初めて参祷した聖体礼儀は「赤裸々に最も露骨に」キリストの息吹きが漲っていた。しかも、それは天の国のようであった。今年は復活日が西方教会と同日だったが、来年は東方正教会の復活大祭にも参祷したいと考えている。私には大斎の意味を理解する時間が、もう少し必要だ。午前10時、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。ア・カペラの聖歌が流れ、乳香の煙が漂う。

福音経の誦読は、マグダラのマリアたちが香料を携えて、イエスの墓を訪れる場面(マルコ15・43-16・8)。大浪佑二神父は「ガリレヤは弟子たちが初めて主に出会った故郷であり、復活の主と再会する喜びの地。私たちにも“信仰によるガリレヤ”があります。人間の弱さを知る主はガリレヤで会うことを呼びかけられ、そこで先に待っておられる。本日の福音は、その限りない慈しみを示しています」と話された。遅ればせながら、私も声高らかに叫ぼう。「ハリストス復活!」「実に復活!」。


ブルガリアのアレクサンドル・ネフスキー大聖堂
<首都ソフィアにあるブルガリア正教会の“総本山”>


ブルガリア正教会 聖ネデリャ教会。首都ソフィア。
(1990年代、デジカメのない頃の写真。エウティコ撮影)

(注):チャイコフスキーの大序曲「1812年」、リムスキー=コルサコフの序曲「ロシアの復活祭」、ラフマニノフの「晩祷」など。私が「1812年」を初めて聴いたのは、カラヤンとベルリン・フィルのレコードだった。序奏の聖歌の部分がドン・コサック合唱団によって歌われていたのが印象的。また、米国の作曲家アルフレッド・リード(1921-2005年)の「ロシアのクリスマス音楽」という吹奏楽曲も忘れられない。全編に正教聖歌風の旋律が散りばめられている作品で、吹奏楽部員だった私の愛好曲。

◆主な参考文献・CDなど:
・「宣教師ニコライと明治日本」 中村健之介著(岩波新書・1996年)
・CD「チャイコフスキー:大序曲≪1812年≫」 バレンボイム指揮/シカゴ交響楽団(Polydor:F35G-50035)
・CD「ロシア音楽の饗宴」 ロジェストヴェンスキー指揮/パリ管弦楽団(EMI:TOCE-7272)
・CD「ラフマニノフ:晩祷」 ミーニン指揮/国立モスクワ合唱団(Arts Core:ATCO-1005)
・CD「A Tribute to Alfred Reed」 リード指揮/ニュージャージー大学ウィンドEns.(Mark:3712-MCD)
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