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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

エギペトの聖マリヤの記憶の主日聖体礼儀

2014年04月08日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

長縄光男氏の『ニコライ堂の人びと』を読んで、以前から気になっていたニコライ堂境内の大きな十字架(下写真)の由来を知った。これはニコライ大主教を補佐したアナトリイ掌院(注)の遺徳を記念したもの。「日本人の信徒たちはニコライを厳父として畏れ敬ったのに対して、アナトリイのことは慈母に例えて追慕した。(中略)人びとは大聖堂の南面に大きな十字架を建て、彼の人柄と業績を偲んだ。これは今は北側に移されはしたが、主の洗礼祭の日には今もその前で祈りが捧げられている」。

4月6日(日)、東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、エギペト(エジプト)の聖マリヤの記憶の主日(大斎第5主日)聖体礼儀に参祷した。「第5主日は悔い改めのモデルとしてエジプトのマリヤ(生年不詳-521年)を記憶する。若い頃のマリヤは罪深い生活をしていた。ある時、エルサレムの聖墳墓教会に入ろうとすると、見えない力が彼女を押しのけた。驚いた彼女は痛悔して、生神女マリヤに祈った。その後、彼女は砂漠で47年間の隠遁生活を送った」(『私たちはどのように救われるのか』から要約)

この日の福音経の誦読は「ヤコブとヨハネの願い」(マルコ10・32-45)。中西裕一神父は「ここでハリストスが説かれた謙遜の心は、『真福九端』の第一節に学ぶことができます。『心(プネウマ)の貧しき者』は世俗の願望にとらわれず、神を受け入れる場所が心に空いている(ケノーシス)。そのためには日々の祈り、斎(ものいみ。節制)、痛悔(回心)が大切。謙遜の心とは私たちが天の国へ昇るための“条件”です」と話された。私も安易な「無条件」よりは、神が望まれる「条件」を謹んでお受けしたい(と思う)。


ニコライ堂境内のアナトリイ掌院を追憶した十字架
神現祭の日、この十字架の前で大聖水式が行われた)

(注):掌院アナトリイ・チハイ(1838-1893年)。1871年、ロシアから修道司祭として来日、約20年間に渡ってニコライ大主教の日本伝道を助けた(余談だが、関東大震災前の大聖堂には、山下りん<1857-1939年>デザインの「故アナトリイ師記念十字架」があった)。アナトリイ掌院の実弟イアコフ・チハイ(1840-1887年)も聖歌教師として来日。なお、掌院(しょういん)とは、「修道院の院長、もしくは主教に叙聖(叙階)される前の段階の司祭。アルヒマンドリト(Archimandrite )ともいう」(『正教会の手引』より)。

◆主な参考文献など:
・「ニコライ堂の人びと」 長縄光男著(現代企画室・1989年)
・「山下りん 明治を生きたイコン画家」 大下智一著(北海道新聞社・2004年)
・「正教会の手引」 水口優明編著(日本ハリストス正教会教団・2013年改版)
・「私たちはどのように救われるのか」 カリストス・ウェア主教著、水口優明、松島雄一共訳(日本ハリストス正教会西日本主教教区教務部・2003年)
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横浜ハリストス正教会

2014年03月20日 | 東方正教会
日本正教会 横浜ハリストス正教会
(住所:神奈川県横浜市神奈川区松ヶ丘27-11)

3月16日(日)、横浜ハリストス正教会で聖グリゴリイ・パラマ(注)の主日聖体礼儀に参祷した。東京の山手ハリストス正教会に続き、私にとって正教会の「町の教会」は2回目。「横浜に正教が伝わったのは1878年。講義所は市内を転々としました。関東大震災後、中区山手に聖堂を建設。当時は多くの亡命ロシア人が参祷していました。1980年、老朽化した聖堂を取り壊して、現在地に新聖堂を建設。イコノスタス(聖障)はロシアの修道士によって描かれました」(教会案内書から要約)。

横浜市営地下鉄の三ツ沢下町(みつざわしもちょう)駅で下車。国道1号線を挟んで、北側に日本聖公会の横浜聖アンデレ教会、そして南側に横浜ハリストス正教会が「対峙」している(?)。小高い丘の上の住宅街の坂道を上がると、可愛いクーポル(タマネギ型の塔)を載せた聖堂が現れた。ちょうど痛悔機密(ゆるしの秘跡)の執行中で、司祭の前に信者が列を成していた。その間、誦経者が時課経(詩編など)を朗々と誦読。午前10時、鐘塔の鐘が打ち鳴らされ、聖体礼儀が始まった。

参祷者は30数名。外国人の姿もあった。福音経の誦読は、中風の人が癒された場面(マルコ2・1-12)。水野宏神父は「中風の人のように心を神に向けた時、私たちは罪の状態から脱します。罪とは神を忘れていることです」と話された。説教を除き、横浜教会も歌頌の聖体礼儀である。首都圏の「西方教会」では、歌ミサが廃れつつあるのに・・・。この日、私は親切なマトシカ(司祭夫人)から横浜教会のオリジナル絵葉書などをいただいた。物心両面で聖神の恵みに満たされた一日となった。


横浜教会 生神女庇護聖堂(1980年竣工)


聖堂外観

(注):「1368年から、この主日(大斎第2主日)はテサロニケの大主教聖グリゴリイ・パラマス(1296-1359年)の記憶が捧げられてきた。この記憶は先の主日に祝われた祭と同じ性格のものである。すなわち、ワルラアム、アキンデノス、その他の当時の異端者に対する聖グリゴリイの勝利は、正教勝利の更新として解釈される」(『私たちはどのように救われるのか』より)。聖山アトスの静寂主義を擁護した聖グリゴリイは「ビザンティン神学の最高の水準ないし最後の輝きを示すと言われる」(『キリスト教史3』より)。

<付記>
この日の聖体礼儀後、3月に永眠された方々や東日本大震災犠牲者のために祈る月例パニヒダが行われた。「永遠の記憶・・・」。約30分間、切々たる哀歌と連祷、そして乳香の煙が流れていた。パニヒダ後の水野神父のお話から。「私たち正教徒は洗礼によって、天国に与る者となっています。つまり、永眠者は私たちと違う世界にいるのではなく、いつも私たちの傍にいるのです。そのことを思い起こしながら、永眠された方々を心に留めて祈り続けましょう」。

◆主な参考文献など:
・「キリスト教史3<東方キリスト教>」 森安達也著(山川出版社・1978年)
・「私たちはどのように救われるのか」 カリストス・ウェア主教著、水口優明、松島雄一共訳(日本ハリストス正教会西日本主教教区教務部・2003年)
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正教勝利の主日の聖体礼儀

2014年03月15日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

3月9日(日)、東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で正教勝利の主日聖体礼儀に参祷した。「正教勝利の主日」とは何か。「正教会の歴史の中で、イコンの是非が問われた時期がありました。イコンは、十戒の『刻んだ像を造ってはならない』に反するという主張が続出。『聖像破壊論争』の期間は8世紀から百年以上も続きましたが、結局イコンは正当なものと認められました。そのことを大斎の第一主日に『正教勝利の主日』と称してお祝いします」(『正教会の手引』から要約)。

正教会では先週から大斎(おおものいみ)が始まった。大斎を「正教徒は特に力を入れて取り組み、大斎の前に4週間の『準備週』(肉類などを食べ尽くす)があり、40日の『大斎』に続いて『受難週』があります」「大斎の期間、肉食をできるだけ避けます。魚肉も食べないようにします。乾酪類(乳・卵製品)も食さないようにします。酒類は、土曜・日曜以外、節制します」(『正教会の手引』から要約)。(ものいみ)とは「節制と自省によって神に心を向け、祭を祝う準備の時」なのである(注)

午前10時、聖体礼儀の開始を告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。福音経の誦読は、フィリップ(フィリポ)とナファナイル(ナタナエル)が弟子となった場面(ヨハネ1・43-51)。大川満神父は「大斎は悔い改めの期間。節制を通して、『神の言葉で生きる』のです」と話された。領聖後、東日本大震災犠牲者の永遠の安息を祈るリティヤ(死者のための祈祷)が行われた。私は「孤調の哀歌」の切々たる歌声に耳を澄ませながら、3年前のあの日を思った。「永遠の記憶・・・」。


ニコライ堂境内の大聖堂教会事務所
(J・コンドル設計の旧門衛所。1891年頃竣工)

(注):「一ヶ月以上もお肉が食べられないなんて!」。異常なほど「飲み食い」に執着する「一般のニッポン人」にとっては、大斎(おおものいみ)が「苦行」と映るかもしれない。ただし、大斎の期間でも「成長期の子供や体力のない高齢者や病者などに斎(ものいみ)はすすめられません。また外食を余儀なくされる時、あまり細かく気にしすぎて思いわずらってはいけません。斎はタブーではありません。斎は体をいじめるためではなく、いたわるために行われるべきものです」(『正教会の手引』より)。

<付記>
亜使徒聖ニコライ祭に於ける北原史門神父の説教で紹介された『聖人ニコライ事蹟伝』(2,800円)。ようやく、私はニコライ堂境内の大聖堂教会事務所(上写真)で入手した。本書と中村健之介氏の評伝『ニコライ』(ミネルヴァ書房・2013年)を併読しよう。この日は日本正教会訳聖書(A6判・1,500円)も入手。この『我主イイスス・ハリストスの新約』はニコライ大主教と漢学者の中井木菟麿(なかい・つくまろ)による歴史的な「共訳」(1901年刊)。ただし、読破するには「漢籍の素養」が求められるかもしれない。

◆主な参考文献など:
・「正教会の手引」 水口優明編著(日本ハリストス正教会教団・2013年改版)
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「日本の光照者 亜使徒聖ニコライの歩み」 及川信著(日本ハリストス正教会教団・2013年四訂版)
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亜使徒聖ニコライ祭の聖体礼儀

2014年02月18日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

大雪から一夜が明けた2月16日(日)、東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で蕩子の主日の聖体礼儀に参祷した。この日は日本の亜使徒聖ニコライ祭、即ちニコライ大主教(1836-1912年)の「命日」でもあった。「1861年、ニコライ・カサートキンは函館のロシア領事館付司祭として来日。日本の言葉と文化を学び、正教の教えを日本人に伝えました。聖書や祈祷書の翻訳をし、ニコライ堂を始めとして、聖堂を日本各地に建立。1970年に聖人とされました」(ニコライ堂案内書から要約)。

ニコライ大主教の死を悼む内村鑑三の弔辞が胸を打つ。「予がニコライ師に対して殊に敬服に耐へないのは、師が日本伝道を開始せられて以来、彼の新教派の宣教師の如く文明を利用することなく、赤裸々に最も露骨に基督を伝へた事である」。現代ニッポンの某カトリック司祭は「悪い子のままでOK!神に愛されてるから、み~んな救われちゃう」と豪語しているが、それは実に不可解な「ゆるキャラ的神々」の創作としか思えない。私は「赤裸々に最も露骨に」キリストを知りたいのである。

午前10時、聖体礼儀の開始を告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が入堂。福音経の誦読は、蕩子(放蕩息子)の場面(ルカ15・11-32)。北原史門神父は「帰るべき父の家を誤らない人は幸い。神は痛悔した人を受け入れてくださると、主イイスス(イエス)は教えられたのです」と話された。領聖後、聖ニコライへの感謝祈祷が行われ、転達(取りなし)を願う歌声が響いた。ニコライ大主教が日本に伝えた荘厳な奉神礼。そこには、確かに「赤裸々に最も露骨に」ハリストスの息吹が感じられる。


大雪後の東京。ニコライ堂境内もロシア的な景色に。
“ 亜使徒聖ニコライや、我等のために神に祈り給え ”

<付記>
この日の北原神父のお説教から。「聖ニコライ祭に当たり、記憶しておきたいこと。聖ニコライは福音の光が全日本を照らすことを望み、それは間もなく成就すると信じていました。この予言は外れてしまったのでしょうか。まだ幼い日本の正教会は、これから伸びてゆく存在です。私たちは聖ニコライの望みと教えを受け継いでまいりましょう。ぜひ『聖人ニコライ事蹟伝』もお読みください」・・・。この『事蹟伝』はニコライ大主教の記録に残された説教の殆どを収めているという。早速、探書リストに追加。

◆主な参考文献など:
・「宣教師ニコライと明治日本」 中村健之介著(岩波新書・1996年)
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山手ハリストス正教会

2014年02月08日 | 東方正教会
日本正教会 山手ハリストス正教会
(住所:東京都杉並区宮前3-28-10)

2月2日(日)、杉並の山手ハリストス正教会で五旬祭後第32主日の聖体礼儀に参祷した。私にとって正教会の「町の教会」は初めてとなる。「山手正教会は都内最古の正教会としての歴史を持ち、創設は1876年に遡る。当初は『麹町洗礼教会』、その後『四谷神現教会』となり、関東の中心的存在だった。しかし、戦災で聖堂が消失し、ニコライ堂に寄留して活動を続けた。1954年、現在地に土地・建物を取得し、戦後復興を果たした都内唯一の教会となる」(山手教会HPから要約)。

JR西荻窪駅から徒歩10分ほどで、山手教会に到着。すでに奉献礼儀が始まっており、司祭はイコノスタスの内側でパンとぶどう酒を準備されていた。午前10時頃、聖体礼儀の開始を告げる鐘と共に、啓蒙者の聖体礼儀(約50分)となった。山手教会では輔祭(助祭)、堂役(侍者)、誦経者が司祭を輔佐し、10数名編成の聖歌隊の見事な歌声が響いていた(説教を除き、殆ど歌頌の聖体礼儀)。私は「町の教会」と侮っていなかったが、大聖堂に勝るとも劣らない荘厳な奉神礼に驚いた。

福音経の誦読は、税吏ザクヘイ(ザアカイ)の回心(ルカ19:1-10)。桝田尚神父は「木から降りたザクヘイのように、ハリストス(キリスト)の言葉に従うこと。その実践によって、私たちは欲から解放され、精神的な平安に目覚めるのです」と話された。信者の聖体礼儀(約60分)となる。領聖の場面を間近で見ることができた。私もザクヘイに倣い、ハリストスの元へ近づこう。この日は以前から探していた新書判『正教要理』も入手。物心両面で聖神(聖霊)の恵みに満たされた一日となった。


山手教会 主の降誕聖堂(1971年竣工)

<付記>
この日の聖体礼儀後、ある永眠された信徒のための三年祭のパニヒダが行われた。三回忌の法要を思わせるが、「パニヒダ」とは「永眠した人々のために夜通し祈るという意味をもっていますが、永眠者を思い起し祈ることから記憶祭とも呼ばれています。死してこの世を去った人々が神のみ国に安住するために祈り、またその人の信仰を受け継いで共に永遠のみ国にあずかれるように祈ることです」(『正教要理』から)。約30分間、切々たる哀歌と連祷、そして乳香の煙が流れていた。「永遠の記憶・・・」。

◆主な参考文献など:
・「正教要理」 日本ハリストス正教会教団編(日本ハリストス正教会教団・1980年)
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
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