日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)
長縄光男氏の『ニコライ堂の人びと』を読んで、以前から気になっていたニコライ堂境内の大きな十字架(下写真)の由来を知った。これはニコライ大主教を補佐したアナトリイ掌院(注)の遺徳を記念したもの。「日本人の信徒たちはニコライを厳父として畏れ敬ったのに対して、アナトリイのことは慈母に例えて追慕した。(中略)人びとは大聖堂の南面に大きな十字架を建て、彼の人柄と業績を偲んだ。これは今は北側に移されはしたが、主の洗礼祭の日には今もその前で祈りが捧げられている」。
4月6日(日)、東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、エギペト(エジプト)の聖マリヤの記憶の主日(大斎第5主日)聖体礼儀に参祷した。「第5主日は悔い改めのモデルとしてエジプトのマリヤ(生年不詳-521年)を記憶する。若い頃のマリヤは罪深い生活をしていた。ある時、エルサレムの聖墳墓教会に入ろうとすると、見えない力が彼女を押しのけた。驚いた彼女は痛悔して、生神女マリヤに祈った。その後、彼女は砂漠で47年間の隠遁生活を送った」(『私たちはどのように救われるのか』から要約)
この日の福音経の誦読は「ヤコブとヨハネの願い」(マルコ10・32-45)。中西裕一神父は「ここでハリストスが説かれた謙遜の心は、『真福九端』の第一節に学ぶことができます。『心(プネウマ)の貧しき者』は世俗の願望にとらわれず、神を受け入れる場所が心に空いている(ケノーシス)。そのためには日々の祈り、斎(ものいみ。節制)、痛悔(回心)が大切。謙遜の心とは私たちが天の国へ昇るための“条件”です」と話された。私も安易な「無条件」よりは、神が望まれる「条件」を謹んでお受けしたい(と思う)。
(注):掌院アナトリイ・チハイ(1838-1893年)。1871年、ロシアから修道司祭として来日、約20年間に渡ってニコライ大主教の日本伝道を助けた(余談だが、関東大震災前の大聖堂には、山下りん<1857-1939年>デザインの「故アナトリイ師記念十字架」があった)。アナトリイ掌院の実弟イアコフ・チハイ(1840-1887年)も聖歌教師として来日。なお、掌院(しょういん)とは、「修道院の院長、もしくは主教に叙聖(叙階)される前の段階の司祭。アルヒマンドリト(Archimandrite )ともいう」(『正教会の手引』より)。
◆主な参考文献など:
・「ニコライ堂の人びと」 長縄光男著(現代企画室・1989年)
・「山下りん 明治を生きたイコン画家」 大下智一著(北海道新聞社・2004年)
・「正教会の手引」 水口優明編著(日本ハリストス正教会教団・2013年改版)
・「私たちはどのように救われるのか」 カリストス・ウェア主教著、水口優明、松島雄一共訳(日本ハリストス正教会西日本主教教区教務部・2003年)