三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

聖使徒ペトル、パウェル祭の聖体礼儀

2014年07月19日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

7月13日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、聖使徒ペトル、パウェル(聖ペトロ、聖パウロ)祭の聖体礼儀に参祷した。午前9時30分、聖体礼儀の開始を告げる鐘とともに、ダニイル府主教、仙台のセラフィム大主教が厳かに入堂。ア・カペラの聖歌が流れ、乳香の煙が漂う。この日は日本正教会の大きな会議(全国公会)が開催されていたので、聖堂内はミトラやカミラフカ(円筒型の帽子)を戴く多くの神品(聖職者)であふれていた。力強い男声合唱の讃詞に圧倒された。

福音経の誦読は、ペトロの信仰告白の場面(マタイ16・13-19)。説教壇に立たれた司祭(お名前を失念しました)は、「本日の五旬祭後第5主日は、聖使徒ペトル、パウェル祭を繰り下げて祝っています。第5主日の福音は、悪霊に取りつかれたゲルゲシン(ガダラ)の人が癒される箇所(マタイ8・28から)。罪の源は悪魔と聖書は教えています。人は誘惑に負けたが、ハリストスの復活は悪魔が支配する陰府を壊滅させました。そこは空とされ、神様の愛があふれる場所となったのです」と話された。

「ハリストスによって悪魔の力は滅ぼされましたが、それでも救いは私たち個人の意志に関わっている。天使の一部が悪魔になり、人が楽園から追放されたのは、自己中心的な高慢からでした。神に心を向けるには、痛悔(悔い改め)が必要です。ハリストスを拒んだペトル、キリスト教徒を迫害したパウェルのその後の人生は、私たちに痛悔することの大切さを教えています」。日本の西方教会の一部に蔓延する万人救済説など、人間の高慢の極みだろう。私は正教が説く「救い」に強く惹かれる。


禅寺の火灯窓を思わせる(?)ニコライ堂の意匠
“ 主は我が力、我が歌なり、彼は我が救となれり・・・ ”

<付記>
この日の説教で触れた「意志」につき、ウェア府主教の次の指摘も興味深い。「堕落とその結果について正教会は、人間は神の像をかろうじて保持しているばかりではなく、善と悪の選択の自由も保持していると理解します。人間の選択の自由の能力は堕落によって傷つき限界はありますが、決して絶滅されてはいません。堕落の状態にあって人間の意志は病んではいますが死んではいません。健康な時よりはるかに困難ですが、人間は依然として善を選択することができます」。

◆主な参考文献など:
・「主日奉事式」 全国宣教企画委員会編(日本ハリストス正教会教団・2014年)
・「私たちはどのように救われるのか」 カリストス・ウェア主教著、水口優明、松島雄一共訳(日本ハリストス正教会西日本主教教区教務部・2003年)
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