しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <さばきを曲げる者>

2024-08-27 | 申命記
「『寄留者、孤児、やもめのさばきを曲げる者はのろわれる。』民はみな、アーメンと言いなさい。」(申命記27:19新改訳)

カナンに入ったイスラエル人たちは、モーセ律法を厳格(げんかく)に守ることを命じられた。その一つは、弱い立場にある者に公平と愛顧(あいこ)の精神をもって接することであった。▼弱い立場にある人々といえば、その代表は寄留者(きりゅうしゃ)、孤児(こじ)、やもめである。これらの人たちはふつうの場合、財産も、有力な保護者もおらず、何かにつけて搾取(さくしゅ)の対象にされがちで、現代でもその傾向は変わらない。そこで神は真っ先に社会的弱者をいたわり、手厚い保護を加えるよう命じたのだ。▼特にこの章にある命令の最後は「・・・のろわれる」との言葉で締めくくられ、十二回にも及ぶ。いかに神がエバル山ののろいを重要視しておられるかの証拠である。しかしイスラエルは守らなかった。王国時代の預言者たちが入れ代わり立ち代わり「公平と正義を実行せよ」と叫んだのに、それは無視され続け、ついにのろいの契約どおり、国は滅亡(めつぼう)してしまった。▼モーセ律法はキリスト者に取り、不要なものでは決してない。なぜか?イエス・キリストのまなざしを通して見ると、そのすべてが神の愛と恵みの川であることがわかるからだ。パリサイ人のように、自分たちの権力、支配の手段として用い、キリストを排除していくとき、たしかにそれは人を殺す儀文となるであろう。しかし本当は律法は人を活かすために記されたものであり、神の子の出現によっていのちを吹き込まれたものとなったのであった。