「ですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。このように主にあって堅く立ってください。愛する者たち。」(ピリピ4:1新改訳)
主が再臨されるとき、私たちは朽ちていく体から解放され、復活体に栄化する。これほどすばらしい約束を与えられているのだから、どんな困難があっても動揺(どうよう)しないで信仰に堅く立ってほしい、とパウロは勧(すす)めている。▼ここで使徒がピリピの人々を「私の喜び、冠(かんむり)」と表現しているのは感動的だ。思えば、御霊に迫られ、アジアからボスポラス海峡を渡って初めて足を踏み入れたのが、ヨーロッパの植民都市ピリピであった。そこで福音を伝えたパウロたちは、たちまち激しい迫害に会い、ムチで打たれ、足枷(あしかせ)をはめられ投獄された。喜びを抑えきれないパウロとシラス、賛美するうち獄屋の戸が地震で開き、看守の一家が救われ、すでに入信していたリディアたちと共に教会ができたのであろう。困難の中で生まれたピリピの教会、難産(なんざん)で産んだ母親のように、パウロの愛は特別であり、ピリピの信徒たちも一筋(ひとすじ)に彼を慕い続けたのであった。▼これは、今教会に臨んでおられる御聖霊の喜びがどこにあるかを説明する。それは教会が一筋に主を愛し、堅く信仰に立って歩むことである。父親がしっかり生きる息子を見て心に深い満足・喜びをおぼえるように、天の父のお喜びは教会が福音に生きること以外にはない。「御父から私たちが受けた命令のとおりに、真理のうちを歩んでいる人たちが、あなたの子どもたちの中にいるのを知って、私は大いに喜んでいます。」(Ⅱヨハネ4同)