「これは、あなたがホレブでのあの集まりの日に、あなたの神、主に求めて『私の神、主の御声は二度と聞きたくありません。この大きな火はもう見たくありません。私は死にたくありません』と言ったことによるものである。」(申命記18:16新改訳)
イスラエル民族はホレブ山で、栄光のうちに現れた神に接し、その威容(いよう)におびえた。彼らは恐怖から、二度と神の顕現(けんげん)に接したくない、だれかが間に立って私たちに語ってほしい、とモーセに願った。その「だれか」こそ、イエス・キリストであった。ここでモーセが「私のような一人の預言者をあなたのために起こされる」(15)と言ったのは、神のひとり子が人として地上に来られることの預言だったのである。▼ナザレの青年イエスには、どのような人でも恐れず近づくことができ、病気をいやされ、罪のゆるしを宣言され、サタンから解放された。このお方は旧約聖書でモーセが預言したことの成就(じょうじゅ)として来られたお方であることがわかる。しかしイスラエルは神の愛そのものである主を拒否し、十字架につけたのであった。
おそれなく近寄れと 主は語りたもう
信仰の手のばしつつ 近づきまつらん
いよいよ汝(な)がそばに われを引き寄せ
いよいよ主よ、汝が愛の 広さ知らせよ
み前にて過ごし得る わが喜びよ
へだてなき友のごと 扱いたもう
いよいよ汝(な)がそばに われを引き寄せ
いよいよ主よ、汝が愛の 広さ知らせよ
<新聖歌341ー1,3節 詞 Fanny J Crosby,1820-1915>