「ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります。」(Ⅱコリント11:24~28新改訳)
パウロの伝道生涯は「言語に絶する困難さ」に満ちていたが、ここにその一端(いったん)が述べられている。これを読んだ人は、だれでも思わず息をのむであろう。パウロは誰からも賞賛されず、誰からも評価されず、その上、誰からも謝礼らしい謝礼も受け取らず、進んでこの困難の渦中に生きた人であった。▼いったい何が彼をこのように走らせたのであろうか。それはたった一つ、キリストのご愛であった。パウロにとり、主の愛はただの観念や机上(きじょう)の空論ではなく、生きた現実であった。教会を破壊し、多くの真面目な信仰者たちを苦しめ、死に至らせた彼は、そのままでは万死(ばんし)に値し、まっすぐ永遠のゲヘナに落ちて当然の悪人だった。ところがその彼をキリストは無条件でおゆるしになったのだ。それどころか福音を伝える全権大使として任命し、世界に派遣されたのである。この信頼を思い、彼は狂わんばかりになった。キリストのために自分を焼き尽くさなければ災いだと。「私が福音を宣べ伝えても、私の誇りにはなりません。そうせずにはいられないのです。福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。」(Ⅰコリント9:16同)