しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <神殿娼婦・男娼>

2024-08-20 | 申命記
「イスラエルの女子は神殿娼婦(しんでんしょうふ)になってはならない。イスラエルの男子は神殿男娼(しんでんだんしょう)になってはならない。」(申命記23:17新改訳)

昔から宗教と不道徳は深く結び着いてきた。わが国でもしかり、江戸時代には大きな偶像神殿の近くに遊郭(ゆうかく)が設けられ、参拝(さんぱい)に来た人々は帰りにそこで遊ぶことを楽しみに全国から集まったのである。「精進(しょうじん)落とし」と言ったそうだ。▼これは日本だけでなく、世界各地に見られる風俗(ふうぞく)習慣であった。モーセがイスラエル人にきびしく命じたということは、すでに当時、カナンやエジプトにあった多くの宗教施設で、それが常態化(じょうたいか)していた証明でもある。▼イエス・キリストを主とし、天の父を唯一の神と信じる者は、このような悪習慣を断ち切ったきよい生活をしなければならないのは当然である。そこに永遠のいのちがかかっているからだ。「自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都(聖なる都、新しいエルサレム)に入れるようになる。」(黙示録22:14同)▼私たちも、地上生涯の最後まで「自分の衣を洗う者」であるように。