「これらは祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、そしてイスラエル諸部族の一族のかしらたちが、シロにおいて会見の天幕の入り口、すなわち主の前で、くじによって割り当てた相続地である。彼らは地の割り当てを終えた。」(ヨシュア会19:51新改訳)
イスラエルの全部族は、占領した地域を分割したが、それは主の前で聖なるくじを引くことによってであった。そして分割地はさらに細分化され、各々の家に与えられたのであろう。▼あのナボテ(Ⅰ列王記21章)はイズレエル人とあるので、イッサカル族だったことがわかる。彼はアハブ王から畑地を交換したいと提案されたが、断った(21:3)。神から与えられた相続地をかってに譲渡するなどしてはならないことであり、ナボテの行動は正しかったのである。ところが偶像礼拝者アハブは律法を完全に無視していたから、妻イゼベルと共謀してナボテを殺し、土地をうばい、野菜畑にしてしまった。預言者エリヤは神の御名においてアハブ夫妻の死を宣言し、まもなくそれは成就した。▼主が地上再臨されると、イスラエル民族は改めて聖地の割り当てを受けるのであろう。
私たちキリスト者は、新天新地になると一人一人が新しい永遠の都エルサレムで、相続地をいただくと思われる。それはどんなにすばらしいものであろう。もはや失われることがない相続地、永遠に古びない嗣業(しぎょう)である。かつてのエデンの園にまさる神と人がいっしょに暮らし、交わり楽しむ安息世界にほかならない。そもそも父なる神が人を創造された目的は、一つの家族として共に住む世界を造ることであった。それが新しい御国で成就するのである。▼「もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている。もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。」(黙示録22:3~5同)