goo blog サービス終了のお知らせ 

エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

石蕗の花に学ぶ

2012年12月09日 | ポエム
石蕗(つわぶき)の花は黄色くて丸い。
楚々と咲くのである。

葉っぱは艶々として、陽を照り返している。
そこに咲くのだから、黄色が映える。



石蕗は、蕗とは種が違う。
キク科ツワブキ属の多年草である。
イシブキ、ツワとも言い、ツワブキの名は艶葉蕗(つやばぶき)「艶のある葉のフキ」から転じたと考えられているだと言う。



菊の種なのである。
そう言われてみれば、菊の花と限りない近似値を感じるのである。







「心拍の熱き韻律石蕗の花」







ここ二日間、俳句を詠む意欲に欠ける。
人を嫌いになると、俳句も詠めない。

先輩は、避けて通れば良いのだ!
と言う。
そうかもしれない。
だがしかし、決別の句を詠むのが的確なのかもしれない。

相手が、俳句を詠む人であるなら・・・その句は尊重する。
蓋し、当然である。
歯牙に掛けないのは、ぼくが失礼をすることとなる。
俳句を正当に評価しつつ、距離を保つのが正しいのかもしれない。

だがしかし、それも又苦痛である。



石蕗の花は、そんなぼくの心痛には振り向きもせず楚々と咲いている。
石蕗の花は、自然のたゆたいの中でひっそりと微笑んでいる。

石蕗の花の花言葉は「困難に傷つけられない」である。
ぼくの気持を忖度しているかのようである。



ぼくもそうありたい。
いや、俳句結社「からまつ」の由利主宰のように泰然自若、人をどこまでも許容する人格に学ばなければならない。
そして怒らず、認め、個性を伸ばそうとする姿勢を、深く受け止めたいものである。

だがしかし、ぼくにはまだ無理なようである。

小林一茶の句にある。



ちまちまとした海もちぬ石蕗(つわ)の花
               一茶


ぼくはいま、ちまちまとしている。



        荒 野人