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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ある夕食・・・台北の夜

2010年01月20日 | グルメ
ある一夜の夕食を紹介しよう。
ディンタイフォンは、4人のテーブルだったけれど夕食のテーブルは8人となった。
駄洒落(だじゃれ)の川田さんがいて、テーブルは興に乗って笑いが絶えなかった。



まずは台湾名産「カラスミ」からであった。
軽く炙って、大根の薄いスライスに乗せていただくのである。
大根のシャキシャキ感とカラスミのまったり感がマッチしているのだ。

この皿は、もう二三人が食べた後である。
写真を撮り忘れてしまったのである。

カラスミは「唐の墨」である。
唐時代の書道用の墨の形に似ていることから「唐墨(カラスミ)」と呼ばれたのである。

この唐代の墨は非常食的意味合いもあったとされている。
もち米を練って、そこに灰などをブレンドして作ったのである。
唐代の墨は、骨董屋さんに行くと時に店頭に出ている事があるけれど非常に高価だ。

ついで、このお皿が出された。



烏賊団子(イカダンゴ)である。
歯触りがとてもよろしい。
お塩でいただくのだ。
美味しいのである。

ぼくは烏賊が大好きであるので、もう二三個食べたかったのである。



マーボー豆腐である。
テーブルに並んだ友人たちが取り分けてくれる。

とくにぼくの連れ合いは、率先して小皿への取り分けをしてくれたのだ。
ぼくは鼻高々であった。

気の合った連れ合いこそが宝であると実感した。



烏賊の炒めものである。
スナック豌豆、ミニ・コーン、それに香り付けでネギが一緒に炒められている。

香りと言い、歯触りと言い、美味さが沁みこんできたのである。
中華の丸いテーブル・・・大団円を象徴しているのだ。
丸いテーブルこそ和解であり、理解し合える現実的対応であり、こころ打ち解ける仲間の誕生である。



酢豚である。
野菜のシャキシャキ感がしっかり残っているから、食べていて楽しい。

玉ねぎ、ピーマンなどの野菜が身体の細胞に沁みて行く。
中華の国では貴重な野菜であり、繊維の多い食品である。

よし、これでうんこが出るぞっ!
と、思えるのである。



ここで小さなお椀に、白飯にお肉をそぼろ状にした甘辛煮がかけられた一品が出された。
八角の匂いが強く、好き嫌いがあるけれどぼくは美味しくいただけた。
ただ、もう少し甘さがあっても良かったと思う。

ここで少し中休み。
ここからデザートまであと6品紹介しなければならない。

いまこれを書いていてお腹いっぱいになってしまった。
続きは、明日にしたいのである。
許していただけるだろうか?





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                     荒野人

名店「鼎泰豐」で台湾を食らう!

2010年01月17日 | グルメ
台湾は台北の名店、「鼎泰豐(ディンタイフォン)」は、とりわけ小籠包・ショウロンポーが有名である。



中国で言う「万頭(まんとう)」である。
小麦粉の皮で包んだ蒸し物である。


この「鼎泰豐」に限らず、台湾の万頭は旨いのであるけれど、傑出して美味いのである。
熱々を食するのである。
ただし急いではいけない。



タレに浸けてから、おもむろにレンゲに載せ、その上に生姜の千切りを乗せる。
そして皮を破り、中のスープをレンゲに出してしまう。
それを一気に口中に運ぶのである。

生姜の千切は、無くなれば直ちに補充してくれる。
たっぷりと生姜の千切を乗せて食べるのが美味いのである。



これが、小籠包・ショウロンポーである。
この蒸籠(せいろ)で二人分である。
一人5個充て食べられるのだ。

豚の脂と具の味わいが渾然一体となって、口中に味覚のハーモニーが広がる。
余りに熱々だと火傷してしまうほどである。
過去にお客さんが火傷したのだろうか、少しぬるめの蒸し具合で出されるようになっているかもしれない。

スープをレンゲに出さなくても、一口に頬張れてしまう。
なんだか悲しい。
やはり熱々を食べたいのである。



この小籠包・ショウロンポーに合うスープは酸辣湯(スーラータンもしくはサンラータンとも言う)である。
と、現地のガイドさんが言っている。

確かに!であった。



空芯菜(くうしんさい)の炒めものである。
強火で炙っているからであろう、脂臭さがなくあっさりと食べられるのだ。



卵チャーハンである。
これもパラリとしていて美味しい!

これ以外は、すべて蒸された万頭である。



野菜ギョーザである。



エビギョーザである。
プリプリの海老が入っている。



シューマイである。



そして最後の締めは、漉し餡を小麦粉で包んで蒸した万頭だ。
これで結構お腹が一杯となってしまうのである。

満腹である。

よくよく調べると、アメリカのニューヨークタイムズによる「世界の十大レストラン」というのが通り相場らしい。
日本・アメリカ・中国・香港・シンガポール・インドネシアと韓国にだけ支店がある。
ぼくたちは三大レストランと覚えている。

日本には数店あるけれど、汐留店が有名である。

いつでも国外の名店の味が楽しめてしまうと、海外旅行で食べる喜びが半減してしまう。
少しばかり・・・悲しい。
けれど嬉しいのである。




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長野の鯉は美味い!

2010年01月12日 | グルメ
長野の鯉は美味いのである。
最も有名なのが「佐久の鯉」である。

水が良いのである。

今夜の夕食のメイン・デッシュは、塩尻の名店「加藤」の鯉の旨煮である。
鯉は骨が硬く、食べにくいのはであるけれど・・・それはさておき食べたい!と思わせる美味さである。



ここが塩尻の名店「加藤」である。
二間の入口でしかない。



店内も4人が入れば一杯である。



この照りは、いったいなんだ?
甘く煮てあるのだけれど、くどくは無いのである。
鱗の着いた皮からは綺麗に離れて食べられる。
骨を避けるのは結構大変だけれど、食欲には負けてしまう。

この煮だれをご飯にかけて食べると、たれだけで軽く一杯食べられてしまう。

この鯉は、けっして川魚特有の臭さは無い。
清流に泳がせて臭いを消してしまうのである。
山国の知恵であると言える。

一切れ500円である。
しかし、朝早くこの加藤の本店に行って買い求めたので、昨日の売れ残りが店頭に出ていた。
一切れ400円になっていたのである。
賞味期限内である。

早起きは三文の得である。
しかも義姉は、鯉の尻尾の切り身であるとの理由でさらに100円引き。
300円で買ってしまった。



売り方も良心的である。
地方都市の人の善良さが沁みた。


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帰京前の昼飯は但馬家で・・・!

2010年01月11日 | グルメ
またまた登場!
小淵沢の焼肉店「但馬家」である。



青空の下、昼食をいただいた。

牛肉の切り落としと三種盛り合わせランチである。



これは牛肉切り落としランチのお肉である。



これは豚肉、鶏肉、牛肉の盛り合わせランチのお肉である。



このお肉を炭火でじゅうじゅう焼いて頂くのである。
柔らかく、甘味に優れた肉である。
いま、網の上で焼かれているのは豚肉だ。

ぼくはお塩でいただいた。
甘味が際立つのである。
「マイ・塩」を持ち歩きたいほど、塩で食べると旨いのである。

このほか、ランチにはサラダ、付け合わせが付いてくる。
もちろん、ドリンクもセットである。



サラダである。



付け合わせである。
真ん中の巻物は、アスパラを巻いてある。
なかなかいける!

右側はほうれん草のジャガイモ和えである。
サッパリしている。

左側は言わずしれた白菜キムチである。



宴の後である。
網も役割を終えてホッとしているかのようである。



この日も大入りの客で溢れていた。
客は美味い店を知っているのである。

ごちそうさまでした!





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昨夜は親しい友人とシャブった!

2009年12月22日 | グルメ
昨夜は親しい友人A氏と「シャブった」のである。
その友人は埼玉県在住であって、ぼくは会いに出かけたのであった。

そして三郷の「レイク・サイド」と称するイオンの大型ショッピング・モールに行き、そこで食事となったのである。
イーオンは全国にこうした大型施設を保有しているけれど、経営は大丈夫だろうかと少し心配になってしまった。

食事は籠菜とかいうシャブシャブのお店で、ぼくたちは和牛のシャブシャブを頂くこととしたのであった。


これはシャブタレ・・・ポン酢に淹れる薬味である。
葱が少し少ないかな?
タレはポン酢と胡麻ダレと選べるけれど、やはりポン酢がさっぱりとして美味いと思う。


野菜はたっぷりとあって、これは嬉しい。
日本の食文化の奥深さを感じるのは、こうした一瞬である。


肉はやはり和牛である。
柔らかさが違う。
硬い歯ごたえを好む若さではなくなったのである。

こうした素材のチョイスにも日本人の繊細な食へのこだわりがあると思うのだ。


野菜もお肉も、ふたつのスープの中で泳がせる。
一つは、昆布出汁(こんぶだし)であり、もう一つは旨辛味のスープである。

ぼくは、旨辛のスープが好みであった。

先日も紹介したけれど、食事はやはり気心の知れあった人とするのが良い。
これは誰もが同じだろうと思うのである。

食べることは人の根源的な営みであるからである。




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