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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

井戸尻遺跡

2011年07月28日 | 遺跡
信州・富士見町にあるのは井戸尻遺跡である。
この周辺の遺跡は縄文中期の遺跡群である。

いわゆる八ヶ岳南麓遺跡群と称されるのであるけれど、井戸尻遺跡がその交接点であり国指定遺跡となっている。
この遺跡群は八ヶ岳の南麓と西麓の接点であり、井戸尻遺跡がその中心を成すのである。
井戸尻、曾利、新道・籠畑、藤内、九兵衛尾根、居平、唐渡宮、坂上の8か所である。



井戸尻遺跡の住居跡から眺める田園風景である。



水田が段々畑となっていて、この地域が狭縊な場所である事が良く分かる。
八ヶ岳の麓にあって、視線を転ずると富士山が聳え立っている場所である。



富士山の右方向には南アルプスの山嶺である。



この日、空は芸術家であった。



すっくと伸びた杉樹林の向こうに見える富士山は荘厳でもある。



この遺跡の展示館の庭には、すぐ傍の遺跡「向原遺跡」のストーン・サークルが移設復元されている。
とりわけ左側のサークルは、あのイギリスのストーン・ヘンジと同様に二重に石が立っている。



近在から集まった縄文人たちは、在所のを持ち寄ったのであろうか。
その石の多くは、ここ井戸尻には無い石である。

その他、石臼、石棒、石玉などがごろごろ出土しているのである。



そうして出土した石は無造作に庭石にされたり、一か所に集められて放置されている。



これは庭石として放置されている。
隣の石には、バケツが載せられている。

寂しい。



裏庭の芝生に埋もれてしまっている。
石が泣いている。



この丸石と石臼も展示棟の軒下に置いてあるのである。
縄文の人々は、この石臼と丸石で木の実を擂り潰したりして食べた痕跡なのである。

学芸員さんに何とかしてほしいものである。



夕方、墨絵のような山々があった。
縄文の時代もそうであったように・・・。





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 荒野人

金生遺跡再訪

2011年07月27日 | 遺跡
長坂の太陽光発電実験地を過ぎて、長坂インターを降りる。



一般道に出て、左折すると中央高速をくぐり直ぐ左折。
道なりに進む事、おおよそ5分程度で金生遺跡の看板が目に入る。

その看板を左折すると金生遺跡に辿り着くのである。



入口である。



石段を登ると両サイドにこの石棒が屹立している。
石棒の先に見えるのは八ヶ岳の山並みである。



縄文の人々が丹念に石を削り込んで形成したのである。
信仰の一つの形である。



これが全景である。



これは墳墓の跡と想定されている。
方墳である。



これも墳墓跡と解説されている。



ここは、祭祀に使用したものであろうか。



日時計かとも思われるけれど、やはり祭祀用であろうか。



住居前に配置されているのである。
この石の配置を眺めながら、縄文の人々は何を考えていたのだろうか。



ストーン・サークルの周りはグルリと草が刈ってあったけれど、雑草がはびこっている。
こうした気配が悠久の時代にぼくたちを惹きこんでくれるのである。



金生遺跡は、夢が膨らむ場所である。
パワースポットである事は間違いない。

とまれ、この周辺には遺跡が至るところに埋まっている。
また風雪を経て地上に現れてもいる。



例えば神社として昔から人々が信仰している土盛りの場所がる。
間違いなく墳墓の跡と考えられる。



この周辺にはかなりの規模のストーンサークルがあったと推測できるのである。
だがしかし、人々はその石を掘り起こし家々の石塀に使ったり、あるいはまた住居の境目に配置したりしたことは想像に難くないのである。



遺跡に溢れた地域の人々にとって、遺跡は邪魔なのである。
畑の中にあったり、畑を分断してしまう。

例えば、ペルーというインカの遺跡に埋もれた国家がある。
そこの農民は、畑のために勝手に遺跡を掘り起こし、崩してしまう。
そこにブドウを作り、じゃがいもを栽培し、とうもろこしを栽培しているのである。

遺跡は、日常生活にとって不可欠なものではないのである。





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 荒野人


中央高速道路を下る

2011年07月26日 | 遺跡
中央高速道路を下る。
山梨、長野方面である。

しばらく八ヶ岳の麓で涼もうと思うのである。
昨日は、思い立って安曇野の碌山美術館を紹介した。

青春の入口だからである。



中央高速を下る場合、二つの関所がある。
一つ目は、石川PAのラーメンである。

玉ねぎのみじん切りが入っていて、甘みを演出する。
もっとも、スープが旨くなければ玉ねぎの効果は薄れる。
必ずと言ってよいほど、ここでラーメンを頂くのである。

旅の始まりである。

二つ目の関所は、釈迦堂PAである。



ここには縄文時代の遺跡「釈迦堂遺跡」と出土した土偶や土器などの博物館があるのである。
PAから行けるのである。

ミュージアムの裏手には、広場があって、そこに住居跡がある。



小さな小道にはスズランの群生があり、四季折々の草花が咲く。



縄文初期の住居跡である。



これは縄文中期の住居跡である。
おそらくレプリカであろうけれど、縄文の時代に空想が飛ぶのである。

レプリカであっても、その周囲を注意深く観測すると面白い。



隣のぶどう畑である。
最近開拓したと思われるけれど、石がサークル状に配置されている。

墳墓か祭祀場の跡と推測される。



ここら辺は、掘れば遺跡なのである。
ぶどう畑の真ん中に、現在人がわざわざこんなふうに石を配置すると思いますか。

掘ったら出てきたのである。



この日は、台風6号の雲の外周が甲府盆地の山々にかかっていた。
台風一過の晴天である。

いつものようにラーメンを食べ、釈迦堂遺跡に敬意を払い、二つの関所を通り過ぎて小淵沢に向かった。



途中、長坂町の大型太陽光発電の実験地を通り過ぎたのである。
節電が叫ばれる大震災後の今日をシンボルしているかのように感じるのである。

もう風が涼しいのである。




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 荒野人

八ヶ岳アウトレットのパワー・スポット

2011年05月15日 | 遺跡
八ヶ岳の麓は、ストーン・サークル遺跡や石の文明の記憶がそこかしこに点在するスポットである。

ぼくは毎年数回は出かける八ヶ岳アウトレットであるけれど、何となく不気味で避けてきた場所があった、
店舗と駐車場の間に拡がる雑木林や赤松林である。



このように、人の手がかけられた列石遺跡と思える場所が視野の限り存在するのである。
この石の並び方は、何か意味ありげである。



これはドッグランの囲いの傍にある石積みである。
サークルを成している。



こうした墳墓のような石積みも限りなく存在する。
なんとなく不気味であり、オーラが放たれている。

曰く、近寄りがたいのである。
で・・・ぼくはこの林の中に分け入ることを躊躇い続けてきたのであった。



神座石である。



駐車場に向かう通路から、ほんの数歩入った場所に鎮座している。
石の上に石碑が突き刺さっている。

いかなる神がお座りになったのか。
不思議な空間である。

近寄りがたい雰囲気のある場所である。



もう一か所、水源がひっそりと、しかし断固として存在する。



この変哲もない、枯葉に埋もれた場所である。



ほんの1メートルで、この流れになる。



3メートル先では既に小川である。
途中で湧水が数本合流しているのである。

勘左衛門湧水である。

この位置は、駐車場方向を望んでいる。
距離にして水源地から15メートル程度である。



15メートル先にある水源地を望めば注連縄(しめなわ)も垂れ下がっている。
縄文の時代から、この水源地は守られてきたのであろうか・・・。

どちらも、ぼく以外は人影とて無い。

何者かが蹲(うずくま)っている気配があるのである。
この場所は、間違いなくパワー・スポットである。




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 荒野人

日本のワット・マハータート・・・川口市の興禅院

2011年05月10日 | 遺跡
タイ王国の地方都市「アユタヤ」といえば、山田長政の物語が思い起こされるけれど、木で抱えられた仏頭がすぐ浮かんでくる。
アユタヤ王朝のかつての首都であって、今なお敬虔な仏教の都でもある。



遺跡は、チャオプラヤー川とその支流であるパーサック川、ロップリー川に囲まれた中州に集中しているのである。
さて、ワット・マハータートにある仏頭である。



長い時間と敬虔な人々の祈りが育んだ仏教遺跡である。



数百年の思索の時を過ごしている。
静謐な時間を送っているのだ。

哲学的思惟に満ちた、穏やかなお顔である。

ワット・マハータートとはタイ語の単語で、仏塔のある仏教寺院のうち、マハータート(大いなる物質、つまり仏舎利ないし貴人の遺骨)のある物を言い、タイ全土各地にあるのだ。

今、語っているのはアユタヤのワット・マハータートである。
ワットとは寺院である。



ここが、興禅院であり、曹洞宗の寺院で瑞龍山観音寺興禅院と号し、鳩ヶ谷市大字里の法性寺の末寺である。
室町時代の天文15年(1546)の開創である。

川口市の名刹である。



時間が流れている。
無縁仏となった石塔の山である。



ぼくが勝手に「日本のワット・マハータート」と言っているのであるけれど・・・。

「抱き地蔵様」である。
この地蔵様は、文化が爛熟した元禄時代の地蔵であると言う。

地蔵様を抱きかかえているのは椎の巨木である。



時代の風雨が地蔵様のお顔を澄んだものにしている。



この寺院は、楓が多く植栽されている。
空を見上げるときの気分は格別である。



一画にシャガーの花が満開で咲き乱れていた。
日本のワット・マハータートは埼玉県川口市安行にある「興禅院」である・・・。

いかがであろうか・・・?




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 荒野人