たまにはこんな遊びも。
★戦国歴史名場面の桶狭間の戦い。
ここで今川義元が首を獲られるシーンを津本陽さんは「下天は夢か」でこう表現されている。
『服部小平太、毛利新助の二人は、間近に義元の顔を見て逆上した。義元は口をあけ、おはぐろをつけた歯なみをあらわし、太刀を八相に構えていた。
「今川殿、お覚悟召されよ」
服部小平太は叫ぶなり、手槍で力まかせに義元の兜を殴りつけておいて、下段から刎ね突いた。
槍先に手応えがあり、しめたと思った瞬間、義元の太刀が槍の柄とともに小平太の膝を、草摺りごと斬り割った。
小平太はたまらず泥中に転倒する。
「ご免つかまつる」
毛利新助が横あいから義元の胸もとへ、渾身の力をこめて斬り込む。
刀は鎧にはね返されたが、新助は義元に体当たりして、組み合ったまま泥中に倒れこんだ。
新助は獣のような力で立ち上がろうとする義元の首を左腕でかかえこみ、はずされて惣髪を鷲づかみにし、夢中で右手に抜いた鎧通しの刃先を喉元に突き込んだ。
血が沸騰し、義元は眼球をむきだし新助をぶらさげて立ち上がり、歩いた。新助は力まかせに義元の首をえぐった。
言葉にならない叫喚を発した義元は、新助の右手の人差し指に噛みつき喰いちぎって、朽木を倒すように泥中に身を没した』
津本さんらしい詳細な描写ですね。
映像が浮かんでくる。
『義元は眼球をむきだし新助をぶらさげて立ち上がり、歩いた』『義元は、新助の右手の人差し指に噛みつき喰いちぎって』といった描写も絶命寸前の人間の執念を描いてすごい迫力。
★一方、「国盗り物語」の司馬遼太郎さんは……。
『「駿府のお屋形っ」
と叫んで、義元にむかい、まっすぐに槍を入れてきた者がある。織田方の服部小平太であった。
「下郎、推参なり」
と義元は、今川家重代の「松倉の太刀」二尺八寸をひきぬくや、剣をあげて小平太の青具の槍の柄をかっと切り飛ばし、跳びこんで小平太の左膝を斬った。
わっ、と小平太が倒れようとすると、そのそばから飛び出してきた朋輩の毛利新助が太刀をふるって義元の首の付け根に撃ちこみ、義元がひるむすきに組みつき、さらに組み伏せ、雨中で両人狂おしくころがりまわっていたが、やがて新助は義元を刺し、首をあげた。首は、首のままで歯噛みしており、その口中に新助の人差指が入っていた』
「松倉の太刀」といった具体的なものが示されているが、司馬さんの場合は描写はあっさりしている。淡々と描写されている。
人差指を喰いちぎっていたという描写も司馬さんの場合は結果描写。
これは津本さんの進行形の描写の方が迫力がある。
もっとも司馬遼太郎さんの凄さはその独自のキャラクター描写であり歴史解釈。
文章で読ませるというよりは内容で読ませる作家。
そしてこの点でいうと津本さんは物足りない。
実証主義というのだろうか、作者の解釈はあまりなく歴史資料に基づいて出来事を精密に描写している。
どちらが読み物として面白いかと言えば意見のわかれる所だが、文章で楽しみたい方は津本さん、内容で楽しみたい方は司馬さんという所だろうか。
※追記
この桶狭間の戦いの締め方も津本さん、司馬さんでは個性が出ている。
津本さんは
『義元の首からは、沈香が馥郁(ふくいく)と薫っていた』
司馬さんは
『戦闘が終結したのは、午後三時前である』
情緒、余韻があるのは津本さんですね。
★戦国歴史名場面の桶狭間の戦い。
ここで今川義元が首を獲られるシーンを津本陽さんは「下天は夢か」でこう表現されている。
『服部小平太、毛利新助の二人は、間近に義元の顔を見て逆上した。義元は口をあけ、おはぐろをつけた歯なみをあらわし、太刀を八相に構えていた。
「今川殿、お覚悟召されよ」
服部小平太は叫ぶなり、手槍で力まかせに義元の兜を殴りつけておいて、下段から刎ね突いた。
槍先に手応えがあり、しめたと思った瞬間、義元の太刀が槍の柄とともに小平太の膝を、草摺りごと斬り割った。
小平太はたまらず泥中に転倒する。
「ご免つかまつる」
毛利新助が横あいから義元の胸もとへ、渾身の力をこめて斬り込む。
刀は鎧にはね返されたが、新助は義元に体当たりして、組み合ったまま泥中に倒れこんだ。
新助は獣のような力で立ち上がろうとする義元の首を左腕でかかえこみ、はずされて惣髪を鷲づかみにし、夢中で右手に抜いた鎧通しの刃先を喉元に突き込んだ。
血が沸騰し、義元は眼球をむきだし新助をぶらさげて立ち上がり、歩いた。新助は力まかせに義元の首をえぐった。
言葉にならない叫喚を発した義元は、新助の右手の人差し指に噛みつき喰いちぎって、朽木を倒すように泥中に身を没した』
津本さんらしい詳細な描写ですね。
映像が浮かんでくる。
『義元は眼球をむきだし新助をぶらさげて立ち上がり、歩いた』『義元は、新助の右手の人差し指に噛みつき喰いちぎって』といった描写も絶命寸前の人間の執念を描いてすごい迫力。
★一方、「国盗り物語」の司馬遼太郎さんは……。
『「駿府のお屋形っ」
と叫んで、義元にむかい、まっすぐに槍を入れてきた者がある。織田方の服部小平太であった。
「下郎、推参なり」
と義元は、今川家重代の「松倉の太刀」二尺八寸をひきぬくや、剣をあげて小平太の青具の槍の柄をかっと切り飛ばし、跳びこんで小平太の左膝を斬った。
わっ、と小平太が倒れようとすると、そのそばから飛び出してきた朋輩の毛利新助が太刀をふるって義元の首の付け根に撃ちこみ、義元がひるむすきに組みつき、さらに組み伏せ、雨中で両人狂おしくころがりまわっていたが、やがて新助は義元を刺し、首をあげた。首は、首のままで歯噛みしており、その口中に新助の人差指が入っていた』
「松倉の太刀」といった具体的なものが示されているが、司馬さんの場合は描写はあっさりしている。淡々と描写されている。
人差指を喰いちぎっていたという描写も司馬さんの場合は結果描写。
これは津本さんの進行形の描写の方が迫力がある。
もっとも司馬遼太郎さんの凄さはその独自のキャラクター描写であり歴史解釈。
文章で読ませるというよりは内容で読ませる作家。
そしてこの点でいうと津本さんは物足りない。
実証主義というのだろうか、作者の解釈はあまりなく歴史資料に基づいて出来事を精密に描写している。
どちらが読み物として面白いかと言えば意見のわかれる所だが、文章で楽しみたい方は津本さん、内容で楽しみたい方は司馬さんという所だろうか。
※追記
この桶狭間の戦いの締め方も津本さん、司馬さんでは個性が出ている。
津本さんは
『義元の首からは、沈香が馥郁(ふくいく)と薫っていた』
司馬さんは
『戦闘が終結したのは、午後三時前である』
情緒、余韻があるのは津本さんですね。