平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「必死の時」 高村光太郎~開戦の日に戦争讃美の詩を読んでみる

2021年12月08日 | 
 本日12月8日は太平洋戦争開戦の日だ。

 詩人・高村光太郎は「十二月八日の記」で開戦について、こう書いている(抜粋)。

「宣戦布告のみことのりを頭の中でくりかえした。
 頭の中が透きとおるような気がした」


「世界は一新された。時代はたった今大きく区切られた。
 昨日は遠い昔のようである。
 現在そのものは高められ確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、
 いくらでもゆけるものとなった」


「陛下のみこころを恐察し奉った刹那、胸がこみ上げて来て我にもあらず涙が流れた」

「力に満ちた東条総裁の簡素な挨拶はよく人の肺腑を貫いた。
 人は皆同じ決意に昂然とした」


 高村光太郎らしい感慨だ。
 光太郎は「人間の精神の美」みたいなものを信じている。
 戦争の現実は、こんなものからかけ離れた醜悪なものだと思うけど。
 戦争指導者たちが東京裁判でどうふるまったかを見れば、
「人間の精神の美」みたいなものは霧散してしまうと思うけど。

 これが高村光太郎の限界である。
 大日本帝国にどっぷり浸かって生きて来た人だから仕方ないとは思うけど。

 そんな高村光太郎にこんな詩がある。
 …………………………………

「必死の時」

 必死にあり。
 その時人きよくしてつよく、
 その時こころ洋洋としてゆたかなのは
 われら民族のならひである。

 人は死をいそがねど
 死は前方から迫る。
 死を滅すの道ただ必死あるのみ。
 必死は絶体絶命にして
 そこに生死を絶つ。
 必死は狡知の醜をふみにじつて
 素朴にして当然なる大道をひらく。
 天体は必死の理によって分秒をたがえず、
 窓前の茶の花は葉かげに白く、
 卓上の一枚の桐の葉は黄に枯れて、
 天然の必死のいさぎよさを私に囁く。
 安きを偸むものにまどひあり、
 死を免れんとするものに虚勢あり。
 一切を必死に委(ゐ)するもの、
 一切を現有に於て見ざるもの、
 一歩は一歩をすてて
 つひに無窮にいたるもの、
 かくの如きもの大なり。
 生れて必死の世にあふはよきかな、
 人その鍛錬によつて死に勝ち、
 人その極限の日常によつてまことに生く。
 未練を捨てよ、
 おもはくを恥ぢよ、
 皮肉と駄々をやめよ。
 そはすべて閑日月なり。
 われら現実の歴史に呼吸するもの、
 今必死のときにあひて、
 生死の区区たる我慾に生きんや。
 心空しきもの満ち、
 思い専らなるもの精緻なり。
 必死の境に美はあまねく、
 烈々として芳しきもの、
 しずもりて光をたたふるもの
 その境にただよふ。

 ああ必死にあり。
 その時人きよくしてつよく、
 その時こころ洋洋としてゆたかなのは
 われら民族のならひである。
 …………………………………

 この詩が言わんとする所はわからなくはない。
 でも、これって「戦争や死の讃美」に結びつくんだよな。
 これが「われら民族のならひである」と言われても困ってしまう。

 2021年の僕たちは、小心翼々、ずるく、いい加減、ぐうたらに生きていきましょう。
 戦前回帰を求める現在のウルトラ保守の人たちは光太郎の「美しい人間像」を是とするだろうが、
 果たして彼らはこんなに美しい人たちなのか?

 ちなみに戦後文学は、この高村光太郎の人間観を否定する所から始まる。
 たとえば坂口安吾の『堕落論』がそれだ。


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4 コメント

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戦争を肯定する愚か者 (半沢)
2021-12-09 02:09:29
コウジさん今晩は
記事の作成お疲れ様です

此の方のように戦争賛美された芸術家・詩人も居たようですね。そして、小林多喜二
のようにプロレタリア文学・社会主義者・日本共産党員であり 蟹工船が有名な
方も居ました。 そう特高警察に逮捕され獄中虐殺され無念の死を遂げた…
言論統制された時代
悲惨な時代
開戦に依り日本は最悪な道を辿ると言うのに 明日を省みない国だった…
今の時代にあの悲惨な戦争を肯定する愚か者が居る事には もう愕然とする…
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この国はどこに行くのか? (コウジ)
2021-12-09 08:58:30
半沢さん

いつもありがとうございます。

多喜二の時代は特に「アカ」は忌避された時代ですからね。
もっとも、これは日本に限らず、世界的にそうだった。
ロシア革命が起こり、全世界がああなったらヤバいぞ、と考えるようになった。
戦後の50年代、60年代も同じ風潮がありましたよね。

日本においては、この心象がいまだに続いているんでしょうね。
特に若い人は、中国共産党があれですから、日本共産党もまずいと考えている。

この国はどこに行くんでしょうね?
戦後70余年。
安倍晋三などは「台湾有事は日本有事だ」などと勇ましいことを言っていますし……。
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Unknown (象が転んだ)
2021-12-09 13:30:19
確かに、この詩は美しいけど脆いんですよね。
でも「幻滅」のリュシアンと同じで、最後は自決に至ります。
アベの言う美しい日本も、脆く崩れやすい日本でもあるんですよね。
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この思想の行き着く先は (コウジ)
2021-12-10 19:05:13
象が転んださん

いつもありがとうございます。

「幻滅」
象が転んださんの専門のバルザックですね。

この思想の行き着く先は「死」しかないんですよね。
なぜなら生きること自体が「汚れていくこと」「堕落していくこと」ですから。
美しくありたいのなら死ぬしかない。

僕はジッドの「狭き門」を思い出しました。
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