「おとわが俺の竜宮小僧になる。
それを聞いて、這いつくばってでも井伊に戻ろうと思った。
もう一度、生きて、おとわに会うのだと。
俺が戻ってこられたのは、おとわのおかげじゃ」
遠く離れていても、10年の歳月が経っていても、心が通じ合っていたおとわ(柴咲コウ)と亀之丞(三浦春馬)。
亀之丞の帰還を知って、おとわは心が揺れ動く。
亀之丞は会って、いきなり「俺はおとわを妻にする」宣言!
しっかし、亀之丞はたくましい好青年になって戻ってきたなぁ。
一方、鶴丸=小野政次(高橋一生)。
父親のせいで井伊家の主流から外れているせいもあるが、逆に弱々しく見える。
政次は政治に翻弄されている存在なんですよね。
おとわの結婚相手になったり、井伊の後継者になったりするが、結局、最後にひっくり返される。
それに耐えて、理性的にふるまう政次は実にカッコいい。
さあ、おとわの前に〝王子様〟ふたりが現れた。
このあたりは少女マンガチック。
………………
小野政直(吹越満)は最期まで権某術数の中で生きていた。
<自分のして来たことは、すべて井伊家のため。
井伊家のために泥を被ってきたが、理解されていない。政次を頼みます>
と、おとわに語ったのに、実はウソだった。
おとわ=次郎法師はせっかくいい話をしたのにね。
<旗が揺れているのは、風が揺らしているのか、旗が揺れているのか。
揺れているのは見る者のこころ。
物事は見る者のこころによって変わるもの>
仏教の<相対主義>だ。
仏教では、すべては諸行無常。世の中に<絶対的な正義>や<絶対的な価値>などないと教える。
話は逸れますが、僕が仏教に共感するのは、この点なんですよね。
<絶対的な正義>や<絶対的な価値>があると思うから、争いごとや戦争が起こる。
イスラム教VSキリスト教みたいに。
もっとも、これらの宗教も本質は<寛容>を説いているんだけど。
話を戻すと、おとわはこの話をすることで、僧として、死期の近い小野直政に心の安らぎを与えた。
しかし、直政はそんな救いなど求めていなかった。
人間の業の怖ろしさだ。
………………
煩悩、ということも語られた。
亀之丞が帰ってくることで心が揺れるおとわは、煩悩を鎮めるために、床掃除をし、滝に打たれ、山ごもりをする。
これらの目指す所は、自分を厳しい環境に置き、痛めつけることで、自我を殺すことだ。
床掃除をすることも、煩悩のもとである過剰なエネルギーを発散するのに有効なこと。
へとへとになって、ぐっすり寝てしまえば余計なことは考えない。
脚本の森下佳子さん、この作品で結構、仏教を語っているよな~。
仏教の思想が、今後、主人公や作品にどんな影響を与えていくのか興味がある。
それを聞いて、這いつくばってでも井伊に戻ろうと思った。
もう一度、生きて、おとわに会うのだと。
俺が戻ってこられたのは、おとわのおかげじゃ」
遠く離れていても、10年の歳月が経っていても、心が通じ合っていたおとわ(柴咲コウ)と亀之丞(三浦春馬)。
亀之丞の帰還を知って、おとわは心が揺れ動く。
亀之丞は会って、いきなり「俺はおとわを妻にする」宣言!
しっかし、亀之丞はたくましい好青年になって戻ってきたなぁ。
一方、鶴丸=小野政次(高橋一生)。
父親のせいで井伊家の主流から外れているせいもあるが、逆に弱々しく見える。
政次は政治に翻弄されている存在なんですよね。
おとわの結婚相手になったり、井伊の後継者になったりするが、結局、最後にひっくり返される。
それに耐えて、理性的にふるまう政次は実にカッコいい。
さあ、おとわの前に〝王子様〟ふたりが現れた。
このあたりは少女マンガチック。
………………
小野政直(吹越満)は最期まで権某術数の中で生きていた。
<自分のして来たことは、すべて井伊家のため。
井伊家のために泥を被ってきたが、理解されていない。政次を頼みます>
と、おとわに語ったのに、実はウソだった。
おとわ=次郎法師はせっかくいい話をしたのにね。
<旗が揺れているのは、風が揺らしているのか、旗が揺れているのか。
揺れているのは見る者のこころ。
物事は見る者のこころによって変わるもの>
仏教の<相対主義>だ。
仏教では、すべては諸行無常。世の中に<絶対的な正義>や<絶対的な価値>などないと教える。
話は逸れますが、僕が仏教に共感するのは、この点なんですよね。
<絶対的な正義>や<絶対的な価値>があると思うから、争いごとや戦争が起こる。
イスラム教VSキリスト教みたいに。
もっとも、これらの宗教も本質は<寛容>を説いているんだけど。
話を戻すと、おとわはこの話をすることで、僧として、死期の近い小野直政に心の安らぎを与えた。
しかし、直政はそんな救いなど求めていなかった。
人間の業の怖ろしさだ。
………………
煩悩、ということも語られた。
亀之丞が帰ってくることで心が揺れるおとわは、煩悩を鎮めるために、床掃除をし、滝に打たれ、山ごもりをする。
これらの目指す所は、自分を厳しい環境に置き、痛めつけることで、自我を殺すことだ。
床掃除をすることも、煩悩のもとである過剰なエネルギーを発散するのに有効なこと。
へとへとになって、ぐっすり寝てしまえば余計なことは考えない。
脚本の森下佳子さん、この作品で結構、仏教を語っているよな~。
仏教の思想が、今後、主人公や作品にどんな影響を与えていくのか興味がある。
>しかし、直政はそんな救いなど求めていなかった。人間の業の怖ろしさだ。
次郎法師はまだ20歳になるかならぬかの「娘」で、完成形態までは「まだまだ」。
知恵のある子ではあっても、師匠からインプットされたばかりの「いい話」くらいでは政直生涯の「業」には届く筈がない、ということなのでしょう。
それどころか、その「業」は次郎法師たちの今後全体にかかわる課題として立ち現れてくることを「お前も必ず儂と同じ道をたどる」という政直の「予言」(伏線)が暗示していると思います。
>政次は政治に翻弄されている存在なんですよね。
「お前はめでたい(=甘い)奴じゃのう」という政直の言葉が暗示している「業」の重圧と、少年時代からおとわ、亀之丞との絆を保ちつつ父政直の生き方を観察し続けてきた政次自身の現時点での思いとがどのような相克を見せるのでしょうか。
政次はかなり深みのあるキャラとなるように思います。
高橋一生さんは色恋も含め人の心をクールに観察するキャラがはまりのようです。
「軍師官兵衛」でお道(演:インパクトある顔の福島リラさん)に対する栗山善助の心を見抜いた井上九郎右衛門の台詞「惚れたな」を思い出します。
今回も、次郎法師の亀之丞への思いを見抜いてからかっていました。
しかし、鶴丸=政次は幼少時代からずっと「観察者」であることを強いられてきたのであり、ちょっと気の毒な気がします。
次郎法師が政次にからかわれて「想像上の亀之丞」として二度にわたり宇梶剛士さんが登場したのは傑作でした。
特に二回目(夢)の「若作り」バージョンはたしかに「おぞましかった」(笑)。
ただ、私の感覚では柴咲コウさんは「しっとりとした大人の女性」の雰囲気の方が似合うように思います。
ポスターなどに出てくる「女城主」として還俗した時のおかっぱ頭姿よりも、頭巾をかぶった(中身の髪型は同じかもしれませんが)尼僧姿の方が魅力的に感じます。
もっとも、尼僧姿でも今はまだ「20歳になるかならぬかの娘」なので、キャラとしては目一杯「おきゃん」に演じていますが。
いずれにしても、柴咲さんだと今くらいが若返りの限界のような気がしますので、子役を駆使したのは正解だったと思います。
いつもありがとうございます。
次郎法師は直政に見事にダマされましたね。
基本、まっすぐですし、善意の人間に囲まれて生きてきたので、人間の醜さや業を知らない。
逆に政次は父親を見てきた分、それを知っている。
おっしゃるとおり、政次は〝深みのあるキャラ〟になりそうですね。
柴咲コウさんは、若めの演技をしていましたね。
おっしゃるとおり、ちょっと無理している感じがないでもない。
大河ドラマの場合、若者から中年、老年までを演じなければならず、その演じ分けは大変ですよね。
総集編などを見ていると、ああ、しっかり演じ分けていたんだなぁ、と感心させられてしまいます。
次郎法師は今回、ダマされてしまいましたが、今後、酸いも甘いも知って、どう成熟していくのか楽しみです。