桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2007・9・24

2007年09月25日 | Weblog
怒濤の何十時間だった。日曜日の午前中、慌ただしく食事と日記を書き終えてお昼から火曜日に上演が迫った『こばやしあきこ一人芝居・リテイク』のリハに突入。ライティングプランも練って、4時過ぎに終ると同時に15時半発のANAで空路広島へ。奥村幹子のご家族に結婚の許可をいただく為だ。今正直に云うと、4月から5月の間に二人の間では結婚の意志を確認しあっていた。ただ、二人が愛し合っているからと云って、それがそのまま世間に通らないこともある。59歳と20歳の年の差が問題になるのは勿論だけど、広島に住む彼女の家族にしてみれば、上京した時にまだ十代だった娘が、東京の乃木坂(赤坂)なんて得体の知れない街で胡散臭い飲み屋をやっている還暦間近の男とつきあっているなんて聞かされたら、監禁脅迫されて娘が結婚をいやいや承諾せざるえなかったのではないか、いや、そこまででなくても、脚本家崩れの男が口八丁で面白おかしい夢物語をつむぎだし、娘を騙していると考えてもおかしくない。事実、母上(と云っても俺より15歳も年下だから、以後Sさんと呼ばして貰う)のお怒りはかなりのものだったらしい。Sさんの立場になってみれば、当然だろう。俺だって娘がそんなことを云ってきたら、Sさん以上に怒ったに違いない。でも、Sさんは感情を抑えに抑えて俺に会いたいと云ってきてくれた。俺は感謝すると同時に、Sさんがいくら感情を抑えたとしても、俺の顔を見たら、俺が娘さんと結婚させて欲しいとお願いしたら、抑えていた感情が爆発してもおかしくないし、罵詈雑言を浴びせられる覚悟で広島空港に降り立った。車で迎えに来てくれていたSさんに会うまでの通路は、例えてみれば死刑囚が刑場に引き立てられていく廊下みたいだった。処が、Sさんにお会いした途端、俺に向けられた笑顔に俺は「死刑囚」としての自分の立場を一瞬忘れる。ご自宅までの車内でもさりげない世間話が交わされる。何だか執行時間の延期を告げられた感じだ。だからと云ってまだ延期にすぎない。三原市のご自宅に着いて、幹子の祖父祖母のお二人にもご挨拶する。お二人も気さくに俺に話してくれる。昔俺が脚本家時代に書いていたドラマを見ていらしたとかで、その話題になったりする。それは俺が仕掛けたことではないけど、何だか延命措置みたいだ。しばらくして場所を近所にある魚料理の店にみんなで移動する。料理がどんどん運ばれる。お酒も運ばれる。まだ中学生と小学生の幹子の妹さんも同席しているし、どうにも本題に入れない。いいのか?これで?いい訳ないと気持ちを緊張させている内、Sさんがふいに「どうするの?二人は結婚するの?」と聞いて来る。「はい……」と答えたかどうか、以後のことはハッキリ覚えてない。泊まるホテルに移ってからもSさんにお願いをし続けた気がするが、どんなことを喋ったか記憶にない。ただ最後に「二人がいいなら好きな様にしなさい」と言われたことは記憶に鮮明だ。それは夢か?追い詰められた死刑囚は都合のいい夢を見がちだ。夢の中で飲んだ気がする。ご馳走になった魚料理の店でも緊張のあまり殆ど食べられなかったので、三原の居酒屋で一杯食べた気がする。それが現実だと知ったのは翌朝ホテルの露天風呂に浸かりながら穏やかな瀬戸内の海を一時間以上も眺めていた時だ。後で入ってきた中年男に「この温泉、塩辛いですよ」と言われ、飲んでみたら本当に塩辛い。飲料水には適さないと言われたけど、俺は昨日からのことが夢じゃないことを確かめる様に二杯三杯と飲んでしまっていた。