元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

文理解釈と論理解釈~社会保険労務士法人の社員が1人になったら解散?

2012-12-28 17:58:06 | 社会保険労務士
法の解釈として、論理解釈では、全く反対の意味になることもある!!

 
 法律の条文の読み方は、日本人なら普通に読めば一般的にはそれでよいといえます。しかし、たまには、日本国憲法の戦争の放棄のごとく、自衛のための武力は、認めるとの解釈をとって、自衛隊を認めたように、文章そのものから考えては、どうしてもそのように読めないものもあります。中学生のころは、憲法をそのまま、素直に読んだときには、すべての戦争を放棄しているように思えたものです。

 
 法の解釈として、主に「文理解釈」と「論理解釈」があります。文理解釈は、文字どおり語句や文法に通常の知識にもとづき解釈すればいいのであって、素直に、一般な文章として読めばいい、すなわち「通常の知識」で素直に読めばいいことになる。
 論理解釈は、法の意図するところから解釈するのであるが、これは、真反対の解釈になることもある。
 例をあげて説明しましょう。

 
 ○「馬は、この道通るべからず」の文章があったとしましょう。この場合に、牛・豚はどうなのかという疑問が残る。
 ここで、馬は、通ってはならないことは、いえます。では牛豚はどうかというと、牛豚については何も書いてないので、この文章からだけでは、通ってよいことになります。これが、文章を素直に読むことで、出てくる結論でしょう。これが文理解釈と言えます。馬は通ってはならぬが、牛・豚なら通れるという、素直に読めばそうなります。

 
 では論理解釈にするとどうなるのか。この文章をなぜ書いたのか、なぜ馬がダメだといったのかという趣旨から解釈しようというわけです。馬がダメだといった趣旨が、次のようである場合はどうでしょう。
 馬は、ひずめが強固で体重も相当重いので、舗装されていない田舎道であるとした場合には、道が崩れてしまい、さらに、道の端の方を通った場合には、路肩が弱く、馬もろとも落ちてしまう危険があるとされる場合です。
 そうであれば、牛・豚の体重・ひずめでは、そういった危険性がないので、牛・豚は通ってもよいことになります

 
 同じ論理解釈でも、次のように考えられることもあるでしょう。
 今度は、舗装されている都会のしゃれた道であるとした場合です。日本の「公道」では、牛・豚や馬であるからといって、通れないことにはなってないでしょうが、市道※1 私道であるとした場合はどうでしょう。馬は、糞尿をまき散らすからダメだと、その道の所有者が書いた文章であるとした場合には、それは、ほかの牛・豚であろうと、同じでしょう。牛・豚も通ってはならないことになります
 そうです、論理解釈では、このように、文書の意図・趣旨を考えて解釈することにより、まったく反対の解釈が成り立つことになります。




 ここからは、社労士法の社会保険労務士法人の話をちょっとさせていただきますので、興味のない方は、ここからは読んでいただかなけても、あくまでも、「法の解釈」の説明としては、蛇足ですので、ご遠慮くださっても結構です。
 社会保険労務士が集まって、法人になったものを「社会保険労務士法人」といいます。組織ですから、2人以上の社会保険労務士が社員としていなければなりませんが、その社員たる社会保険保険労務士が、共同で定款を作り、登記をすれば、法人として認められるわけです。
 では、社会保険労務士である社員が脱退してしまって、一人になった場合は、法人として認められるかということです。※2 組織たるものは、少なくても1人では成り立ちません。そこで、1人になった場合には、一般的には、組織、ここでは法人とは認められません。ここが組織(=法人)たるゆえんです。ところが、これが組織(=法人)として、いったん成立したがゆえに、社会的秩序を維持する観点から(急になくなると、取引をしていた他の者は、不利益を被る恐れがあるため)、そのまま組織(=法人)として認める場合があるということです。これは、その組織のとって立つ法律により、組織(=法人)として、一人になっても認めるかそうでないかは、違ってきます。一人になると組織ではないというのか、それとも社会的な秩序を重視して、組織(=法人)としてそのまま認めるのかということなのです。ここが法解釈によって、違った結論になるということなのです。
 社会保険労務士法人の場合は、立法の段階で、次のようにして、その立場の両方をとって「解決」しているといえます。
 社会保険労務士法人は、社員が一人になり、そのなった日から引き続き6か月間その社員が2人以上にならなかった場合においても、その6か月を経過したときに解散する。(法25条の22、2項)
 社員が一人になってもすぐには解散せず、6か月間は猶予期間をおくので、その間に2人以上にすれば、解散にはならないが、6か月経ったら解散することになるというのである。
 
 ※1:「私道」を変換ミスにより「市道」と記載してしまいました。意味が通らなかったと思います。お詫びして訂正します。(1/4)
  
 ※2:ここでは、法人を組織ととらえ組織=(イコール)法人という形でとらえていますが、最近出てきた「1人法人」も認めることになると、 法人と組織は、別の考察をしなければなりなせんので、この範疇の考察だけではとらえられないことだけは述べておきます。

 
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豊臣秀吉の朝鮮出兵について~成長戦略の誤り

2012-12-19 17:57:14 | 社会保険労務士
 時代認識を誤れば、大きな過ちをおかす!!
 
 あれほどまでに若いころは、知略に溢れていた秀吉、その豊臣秀吉が、なぜ朝鮮出兵という愚行をおかしたのか。ほかのだれもが、賛成したというわけではないらしい。武闘派といわれた加藤清正は積極的だったといわれるが、特に小西行長は、出兵が始まっても、和平を求めて必死の努力をしたといわれている。

 日本を鎮圧した秀吉にとって、論功行賞たる「封土」という土地を分け与える方法では、朝鮮に攻め入り、その土地を奪う以外にはなかったのではないか。敵がいて戦いに勝って、敵の土地を論功のあった部下に与えることはできる。しかし、日本の中で敵がいなくなると、奪う土地はなくなるのである。これは全くの愚行なのだが、この考え方を押す進めば、ほかの日本でない異国の土地を奪えばいいとなる。

 成長戦略を目指すものとしては、パイを大きくすればいいということになるのだが、土地というパイを日本以外に求めたのである。この愚行をやめさせるためには、本当は、平和の中で、戦いという武力ではなく、土地の量ではなく質の変化、すなわち、平和になったので、米等の生産高によって成長させなければならなかったわけである。この時代認識の誤りが、大きな過ちをおかしたのである。

 徳川家康が偉かったのは、土地に求める成長思考(戦い)ではなく、安定志向(平和)の中での成長戦略を考えたことによる。城は「飾り」として、「戦い」の象徴とせず、刀はあっても、戦いの道具でなく、武士の象徴となった。戦いをさせずに、大きな収入の増はないが、平和だからこそ、それ相応にパイ(生産高)の増加があったわけである。世の考え方を変えていったのである。

 企業でも同様のことがいえるのではないか、世の景気動向・状況をいかに的確にとらえ、拡大路線を続けるのか、それとも内部の組織、人材の充実等に努める時期なのか、世の大きな動きを的確にとらえなければ、組織の成長はない。 
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ノロウイルス感染は、食中毒だけでなく、人から人への感染も!!

2012-12-15 14:40:52 | 社会保険労務士
 アルコール消毒では、効きません!!  
 

 今冬季には、すでにその兆候が現れているようですが、ノロウイルスが主な原因となって下痢や嘔吐を起こす感染性胃腸炎が猛威をふるうのではないかといわれています。というのも、今年は、06年のウイルスが変異したもので、対抗する免疫がヒトの体にないことが患者の増加の原因とされるからです。
 

 これは、患者の便や嘔吐から人の手を介しての2次的な感染の場合や家庭・施設内で飛沫などにより感染する場合の人からの感染と感染した人が調理をしてその食品を食べた場合やウイルスの蓄積した、加熱不十分な2枚貝などを食べた場合など食品を通しての感染がありますので、やっかいです。いわゆる、ノロによる食中毒と罹っている人から感染する感染症という2つの罹る感染経路があることになります。
 

 ノロによる集団的な発生があった場合は、保健所はこのどちらかの原因を探ることになります。例えば、実際にあった例ですが、ホテルでこのノロが発生した場合には、食中毒なのか、それとも感染症者がホテルに泊まって他の人に移していくという、将にこの2つの経路が考えられるからです。ホテル側にしても、食中毒であるとしたら、営業停止等の処分がありますので大変ですが、感染患者が持ち込んだものであるとしても、嘔吐物の取り扱いには、感染しないように十分注意を払う必要があります。この取り扱いは、パソコン等で検索すれば、具体的な処理方法は、出ていますので、そちらにゆずるとして、注意しなければならないのは、ノロはアルコールの消毒では、効果がほとんどなく、消毒には、次亜塩素酸ナトリウム(家庭用漂白剤に使用される)が効果があるとされている点です。
 

 感染を防ぐには、先ほどの嘔吐物の取り扱いや飛沫感染への注意の他、手洗いをしっかりやるしかありません。ただし、かかっても健康な人は、そのときは、吐き気、嘔吐、下痢、腹痛のほか微熱もあり大変ですが、1・2日すれば、けろりと直り、後遺症もありませんし、軽い風邪のような症状で済む方もいます。しかしながら、子供、お年寄りでは重症化しやすく、嚥下作用がうまくない人も多いので、吐いた物を誤ってのどに詰まらせる場合も考えられます。保育園、幼稚園、老人施設などでは、十分な注意が必要です。
 

 詳しい防止策等については、政府広報(首相官邸ホームページ)等でご覧ください。
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会社の通勤手当届け出と異なる通勤経路・方法による労災の「通勤災害」は、認められるか?

2012-12-08 07:35:33 | 社会保険労務士
 合理的な通勤経路・方法であれば、通勤災害(労災)として認められます
 
 よくありそうな例として、次のようなことがあります。

 A子さんは、自宅に近い○○駅から会社に通っており、その旨の届け出を行い通勤手当をもらっています。子供が生まれてから会社に通うようになってからは、保育園に自転車で子供を預け、そこから近い一つ先の××駅(会社に近くなります。)から会社に通っていました。この通勤の変更はことは、会社に届け出はしていません。
 ある日、××駅の階段で転んで骨折してしまいました。
 

 この場合にも、労災の通勤災害は、認定されます。

 
 労災の「通勤災害」とは、労働者が、就業に関し、住居と就業の場所との往復等を、合理的な経路及び方法により行うことをいう(労災法7-2)とされています。この「合理的な経路及び方法」とは、一般に労働者が用いると認められるものとされていますが、社会通念上、一般に通行するであろう経路、社会通念上一般に是認されうると考えられる方法のことをいいます。なかなか使わないことばがならんでいますが、一般的に常識的に考えて、通行する経路、常識的に考えて認められる方法と考えられます。具体例を挙げたほうが分かりやすいのではないかと思います。

 無用な回り道であるとはかダメで、合理的な経路とは言えず、また、無免許者のマイカー通勤や普段様式上歩かない鉄道線路の通行など交通禁止区域の通行などは、合理的な方法とはいえません。

 先の問題ですが、会社に申請している通勤方法と異なっても、それが通常用いられる方法であれば問題はないとされます。

 そこで、ほかに子を監護する者がいない共稼労働者が託児所、親戚等に預けるためにとる経路などは、そのような立場にある労働者であれば、当然、就業のためにとらざるを得ない経路であるので、合理的な経路であると認められるとされています。(644号通達)

 ただ、会社は、普通には、通勤経路の変更の報告を義務付けていますので、会社への報告義務違反となります。わざと通勤手当を過大にもらうために、故意に報告をしていないのであれば、懲戒処分の対象にはなるでしょうが、単に届け出を忘れているとか、そこまで考えていなかったという場合であれば、注意程度で済むと思われます。会社の就業規則の問題でしょうから、会社により考え方は分かれるところでしょうが・・・

 ただし、民法上の不当利得の問題として、その間に実際の通勤手当よりも実際過大に利益を得ていた場合は、戻さなければならなくなるかもしれません。
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メンタルヘルス関連の疾患を取り扱う診療科は?

2012-12-01 09:00:52 | 社会保険労務士
分かりますか、神経内科、心療内科、精神神経科の違い!!

私の育ったところは、田舎で、近くに病院等はなく、4キロメートルぐらいの先にところの病院・クリニックに行かざるを得ませんでした。昭和30年代のことです。今では、その距離は谷に上に橋がかかり、歩いても15分程度ではいけるのではないかと思っています。

 そこでも、内科・外科、産婦人科、眼科、歯科程度しか診療科の名称は聞いたことがないので、病院に勤めたときは、●●外科、●●内科と聞いたことがないような診療科がありましたが、今では、診療科名の規制が緩くなって、いろんな診療科名が出てきてどこへ行ったらいいのか分からないような状態になっている部分もあるようです。

 ところで、メンタルヘルスを患った場合に行く診療科には、間違って他の診療科を訪れてしまうこともあるようです。なかなか人に聞くのも、ちょっとはばかれることもあるようで、まあここなら行って聞けばと思って、行ってから診療科が違うことも分かるようです。本当は、はばかれるようなそんなことが考えられるようでは、ダメで、一般的には、もっと気軽に聞けるようにならなければならないのではないでしょうか。

 神経内科は、メンタル面の病気を扱う診療科ではありません。前にも書きましたが、私なりの解釈としては「脳神経外科」に対し「神経内科」があると考えていいのではないかと考えていまして、脳・神経系統の外科を扱うのが脳神経外科、内科的に扱うのが神経内科と説明すれば、一般には分かりやすいのではないかと思っています。専門家には怒られるかも知れませんが・・・・

 メンタルを扱う診療科は、心療内科精神神経科がありますが、この違いは、「心身症」を扱うもので、主に身体の症状や疾患として、あらわれるものを扱うのが、心療内科であり、一方、精神疾患を扱うものであり、精神の症状や疾患を扱うのが、精神神経科とされています。

 最近、よく聞くうつ病は、精神疾患として、本来は精神神経科の病気ですが、身体症状として出てくる場合も多く、心療内科でも取り扱います。落ち込んだ精神的なうつ病の症状だけでなく、胃が痛くなったり、潰瘍や高血圧、心筋梗塞などの身体の症状として出てくることもあります。心身症は、精神的なものとして、あらわれるのでなく、無理矢理に表面上、その精神症状を押し込むので、体に現れるのではないかと思っていますが・・・子供にも、よく出てくるのが心身症といわれています。

 ということは、私の持病ともなっている高血圧なんか、一度は心療内科でも診てもらうのも、いいのかもしれませんね。

 最初に出て来た、神経内科は、脳血管障害や神経そのものの病気、認知症などを取り扱いますが、これも最後に出てくる「認知症」は、精神神経科でも取り扱いますので、「神経内科」と「精神神経科」が間違われる原因があるのではないかと思っています。

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