元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

10人未満労働者事業場の就業規則の作成・変更<手続の考えを整理⇒>最低「労働者周知」は必要>

2022-06-26 16:46:00 | 社会保険労務士
 「周知」は労基法に規定する「具体的方法」と労働契約法などにいう「実質的周知」の意味があるので・・・

  就業規則は、事業場で常時10人以上の労働者を使用する使用者に対し、その作成を義務付けています。常時の労働者が10人未満であっても、作成しても悪いことはありませんし、よくみられるのはその法人が営む事業場が10人だったり8人だったりあるいは11人だったりと10人を境にばらばらのようなケースは、まとめてその事業場に通用する全部の就業規則を作成しているような例がよく見受けられます。

 就業規則は、一般的に使用者が作成する職場規律や労働条件を定めた文書なので、あるなんらかの問題があった場合に、従業員を処分する場合や辞めさせたりする場合に、就業規則にどのような場合に処分するのかが規定していないと「任意に」処分することになります。そうすると、最終的に裁判になったりしたら、本当に不利な立場に立つのは社長さんです。職場の規律を規制する意味を持つのも就業規則ですから、これを守られければ、こうなりますといった社内のルールをつくるべきです。

 このような自発的に人事管理の必要性から就業規則を作る場合には、10人以上の場合には、その手順は労働基準法にちゃんと書いてありますので、そのとおりに行えばいいのですが、10人未満のときはどうなるのか。まずは、比較のために10人以上の場合の手続き・手順について簡単に説明します。
 (1)意見聴取 
    就業規則の作成について、使用者はその事業場の過半数を代表する従業員の意見を聴取すること
    〇過半数代表とは、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合にはその労働組合、
     それがない場合には、労働者の過半数を代表する者
 (2)労働基準監督署長への届け出
 (3)周知
    労基法では、つぎの方法で労働者に周知する義務を課している。
    ①常時各作業場の見やすい場所に掲示し、または備え付けること
    ②書面を労働者に交付すること
    ③磁気テープ、磁気ディスクその他これに準じるものに記録し、かつ、
     各作業場に労働者がその記録の内容を常時確認できる機器を設置すること

 このように10人以上のときは、(1)(2)(3)の手順に沿って進めていくだけですが、10人未満の場合はどうするのか。労基法89条では、常時10人以上の事業場では、就業規則を作成・届け出しなければならないとされており、同じ労基法90条では、この作成・届け出をしなければならない就業規則の作成には、労働者の意見聴取をしなければならないとされておりますので、10人未満の事業場には、労基法89条及び90条は適用がないことになります。したがって、基本的には、(2)の労基署への届け出も(1)の労働者の意見聴取も必要ありません。ただ、10人未満であっても労基署への届け出をしてもいいわけで、このことにより、うちの会社の就業規則は届け出を済ませており、しっかりした対応がされていると従業員には示すことができます。

 では(3)についてはどうでしょうか。周知義務は、労働基準法106条に書かれております。この規定は罰則を伴っており、10人未満事業場の就業規則について元々作成義務がない使用者が「任意に」作ったがために、その使用者に罰則が科されることになると妥当性を欠くことになりますので、10人未満の事業場の就業規則には、この労基法106条の周知義務の規定は適用されないとの解釈があります。しかし、労働法のバイブルともなっている菅野「労働法」では、この就業規則の周知義務は「法令の周知義務と並ぶもの」で10人未満の事業場にも及ぶとあります。この周知義務は、就業規則だけでなく労働基準法令の要旨、労使協定等の周知義務ともなっております。単に就業規則だけでなく労働基準法全般に及ぶ周知の規定で、第9章就業規則(第89条~92条)の関係規定とは別個に第12章雑則の中の第106条(法令等の周知義務)として規定されております。法令等にもかかる周知義務として、就業規則の関係規定とは別に規定した以上、労基法106条の周知義務は10人未満労働者の使用者にも適用になるという解釈であると思われます。

 こういった解釈が分かれている以上、現実には(3)の周知には、ちゃんと対応して①②③の周知のいずれかを図るべきであろう。具体的には、従業員がいつでも閲覧できるところに就業規則を置いておくか、パソコンでだれもが閲覧できる状態にしておけばいいので、そう難しいものではありません。

 まとめると、10人未満の従業員のいる就業規則の作成については、(3)(①②③のいづれか)周知の対応だけでよいことになります。

 ところで、社長が作った就業規則について、従業員の誰も見たことも聞いたこともなかった場合を考えてみます。全く従業員に公開されていない場合には、就業規則として、労働者の職場規律や労働条件としての意味を持たないことになります。労働基準法106条の周知は厳格に周知の具体的方法を示してありますが、労働契約法では、例えば7条(労働契約を結んだ場合に合理的な就業規則が労働者に周知されていた場合には、その就業規則の内容が労働条件となる。)の周知については、実質的に周知されていれば足りるとされています。この周知については、回覧や説明会などなんらかの方法で事業場の労働者の大半が就業規則の内容を知り、または知ることができる状態におかれていればよいことになっております。(東京高判平成12.8。23 就業規則モデル条文・中山著) この実質の労働者への周知さえなされてなかった場合には、就業規則の効力要件として、全く就業規則の意味は持ちませんので注意が必要です。最低でも、就業員に何らかの形で公開されて、初めて就業規則は規則としての意味を持ってくるということです。

 そして、就業規則を作成したならば、その会社にあった従業規則に随時改正していくことが必要ですが、この場合にもやり方は変わりません。(注意;労使慣行) ただ、就業規則の改正については、労働条件が労働者にとって「不利益に変更される場合」に限っては、例えば労働時間7時間に規定していたところ8時間に変更するなどのときには、原則として、従業員のそれぞれの同意(「周知」ではなく「同意」であることに注意)を得てから、就業規則の変更をすることが必要でしょう。(労働契約法8条) 10人未満の1桁代の従業員の全員の同意を得ることは、そう困難とは思えませんので、この方法の方が順当でしょう。

 就業規則の内容に直接変更を加えて、労働条件を変更することもありですが、この場合には、変更後の就業規則を労働者に周知させ、労働者の不利益について、程度・必要性・相当性など比較考慮した上で、合理的であると認められなければなりません(労働契約法10条)のでより一層の注意が必要になります。ですから、例えば「会社の窮状」を説明しても一人だけどうしても同意しなかったという場合などには、この規定によることになるのでしょう。
 
 (注意;労使慣行) 労使慣行とは、成文の形になっておらず、集団的な取り扱いが長い間反復継続的に行われ、それが使用者・労働者の間で事実上の行為準則として機能するものをいいます。それが就業規則として機能するものであれば、その労使慣行を改正後の就業規則で変えることは、上に述べた方法で可能です。
 ただし、これが、就業規則ではなく、労働協約の機能を有していた場合には、就業規則の新設・変更によっては変えることはできませんので、困難な場面に直面することになります。労働協約は労働組合がいなければなりませんので、労働者10人未満の事業場にはあまり適用はないかもしれませんが、この意味からも労使慣行扱いになる前に、ちゃんと就業規則を作成しておくべきでしょう。

 (その他の注意) 当たり前の事かもしれませんが、就業規則が有効に作成されたというためには、作成権限のあるものにより作成されたことが必要です。また、労働基準監督署に届け出ない場合には、就業規則の施行日をどうするかですが、一般的には、従業員に周知して社長が決めた日を施行日とすることになります。
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映画「ちょっと今から仕事やめてくる」生きてさえすれば何とかなる・人生それほど悪いもんじゃない<プラス思考でもない>立花隆の死生観は!

2022-06-19 11:46:46 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 立花隆の生きた証・データも私たちのそれも同じ宇宙の大きな貯蔵庫に組み込まれるのでは?!

  NHKで放映されていた「ちょっと今から仕事やめてくる」を見ていたら、泣けて泣けてきました。主人公青山隆(工藤阿須加)がやっと内定をもらって入った会社はブラック企業の営業部。ホームから「ふらっと」飛び出しそうになり、そして会社の屋上から飛び降りようとするときに助けてくれたヤマモト(福士蒼汰)と名乗るなぞの人物。ブラック中のブラックでも辞められない現実。やっとの思いで辞めることを田舎の両親に伝えたときに、両親は、自分たちも新しい仕事が見つからないし親の介護で疲れて「もう死んじゃおうか」と相談したが、あなたの人生が「どんな大人になるか見たくなった」ので死ぬのをやめたということを話した。そのとき、親(男親の方)がポツリとつぶやくように言ったことば。
 人生なんて生きていさえすれば、なんとかなる。

 そして、辞める決心ができ、本当に生き生きして、会社をやめたのである。助けてくれたなぞの人物を探して奔走、最後は南太平洋のバヌアツで「天使の笑顔」にかこまれて子供の教育にかかわっているヤマモト(山本ユウ)に再び会う。そして、あなたの仕事を手伝わせてて頼む。そのとき、主人公が言ったことばがこれ。
 人生それほど悪いもんじゃない。

 ヤマモトをめぐる謎が明かされるところにもこの物語の面白さがある、前半ブラック企業(ブラックの山上部長にあの吉田鋼太郎)が扱われるが、見失ったものを思出せるような物語。現実はこうではないといったらそれまでであるが・・・。

 親や本人のことばは、いずれも人生なんとかなる、悪いもんではないという、むしろ人生を積極的(ぷらす思考)にとらえた言葉でないことに注意。ストーリーの中では、本人が考える際には、「人生希望がある」「人生良いことがある」など前向きに(プラス思考)にとらえる場面はあった。しかし、最後に主人公がいった言葉は「人生それほど悪いものじゃない」 親が人生を諦め「復帰」したのちにいった言葉は「人生なんて生きていればなんとかなる」である。人生生きてこそ意味があるのだ。よいことばかりではないけれど、生きていればなんとかなる。そして、がんばって生きて、人生を全うしてこそ意味があるのだ。

 前々回の結論から言えば(⇒ 朝ドラ・ちむどんどん「出来事には意味がある」へ)、人生どんなに窮地と思える場面でも、その時々にその人に合わせた問題が出されるので、人生を投げ出さなければ解決できないような問題は出されないという。どうにもならないように思えても、なんとかその場はクリアーできるものになっているというのだ。

 さて、「知の巨人」といわれた立花隆が到達した最後の旅ということで、彼の「死生観の境地」を探究したドキュメンタリー(NHK)を見た。17年にわたり立花さんを取材してきたディレクターに、遺族から段ボール100個分の資料が渡されたという。どのような死生観に到達していたかのヒントとなったのは、死の直前になって「遺体はごみとして捨ててほしい。自分が残した書籍は古本屋でさばいてほしい」と彼は言い残し、なぜすべて「無」にすることを選んだのかということだという。彼は「臨死体験」を書き残しどの人も同じような体験をしていることを述べたが、これからいけば死後の世界はあると結論づけられるところだが、彼は死の苦痛などから解放するために、脳に本来そのような機能が備わっているからだとも受け取れるとした。あくまでも、彼の場合は科学的説明を求めていたのである。

 しかし、彼はカメラの前で言っている、後期高齢者になると、年齢を重ね死が近くなると若い時ほど死は怖くないという。また、夢に入るように死んでいくのだから、そんなに怖くはないんだともいう。じゃあ、あの世界があるから怖くないかと言うと、そうではないようだ。彼の場合は、肉体が朽ちればそれで終わりと考えていたようなのである。ドキュメンタリーの最後に、話の持っていきかたなのか、私にそう思わせたのか分からないが、私は次のように受けとった。立花隆はこの人生を精いっぱい生きて「知の巨人」として知を探究したが、彼の実績・体験は宇宙の大きな貯蔵庫の中に埋め込まれるのではないかということを、彼は最後に感じたのではないかということである。そうであれば、なんら自分が無と化しても、自分の実績・体験は残るのだから、なんら怖くない。生きた証は残る。立花隆だからこそ、データの蓄積として残るのではない、私たちこの世で生きた者は全てその実績・体験は残るのであろう。

 彼のようなあの世を信じない者であれ、最後まで生き切って残さなければならないものがある。あの世を信じる者にとっても、この世に生まれた以上、ちゃんと生き切って、そしてこの世の実績・体験を残さなければならないのは同じである。そして、それは立花隆と同じデータとして残っていくのだ。「人生なんて生きていればなんとかなる」「人生それほど悪いものじゃない」といって、せっかく生まれたのだから人生を謳歌(!?)したいものだ。

  
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すかいらーくの5分未満の労働時間切捨て<労基法24条の全額払い違反か>(行政通達なし・桑名市事件)・

2022-06-11 09:39:33 | 社会保険労務士
 松野官房長官の記者会見で「一般論としては労働時間の切り捨ては認められない」

 外食大手のすかいらーくホールディングスが、パートやアルバイトの賃金支払いの対象となる労働時間について、5分未満の労働時間は切り捨てていたが、1分単位で計算しなおして、その分の賃金を過去2年分支払うこととしたという。(※注意1) この問題をめぐっては、同社のアルバイトの男性が「全国一般東京東部労働組合」に加入し、切り捨てていた賃金を支払うよう団体交渉で求めたものであるという。(22年6月8日各新聞報道)

 労働基準法の労働時間の「行政」の解釈としては、1分でも残業時間としては計算するという「時間」を端折って計算することは許されていないが、この話の驚くべきことは、大手の会社において、まだまだこんな取り扱いがされていたこと、そして会社側が取材に対し「5分単位の勤務管理自体が違法である認識がない」していた点である。

 この点を重視した結果なのか、政府は(松野博一官房長官)は、9日の記者会見で、すかいらーくホールディングスが切り捨て賃金をさかのぼって支給することについては、「個別の企業の事案」として論評を避けたものの、一般論としては「労働時間の切り捨ては認められていない」として、再度、法令にのっとった対応を各企業に求めたところである。

 労基法24条1項には「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」とあり、「全額を支払わなければならない」ということからくるもので、労働時間を端折って計算することは認められていないとするものである。これは当然の事とするところで、これを前提として、「1か月」における割増賃金の計算においては、1か月の時間外労働の合計したところ、それが30分未満の端数ならば切り捨てることができるという通達(昭和63年3月14日基発第150号)がある。すなわち、1か月の労働時間の総計において、計算の複雑性から端折るのは認めるけど、これ以外の例えば1日の労働時間を端折るのはダメだと言っているのである。しかし、この取り扱いはあまりにも当たり前になっているためか、直接、基本として、労働時間の切り捨てが出来ないとしたことに言及した通達はないように思う。その意味では、確かにすかいらーくホールディングに言い分は、分からなくはない。

 最近になって、名古屋地裁の平成31.2.14判決(桑名市事件)が出された。これは、桑名市が運営する応急診療所に当番医として勤務していた医師に対して、時間外労働(厳密には「法定時間外労働」ではないところの「法定時間外労働」※注意2①)に対して15分未満は切り捨てられていたものである。いわゆる5時定時で5時10分まで働いたとしても、5時に丸められていたのである。

 この裁判の結論としては、前述の労基法24条1項の解釈から、労基法上、労働時間の端数処理を行うことは原則として許されず、労働時間として、労働日ごとに1分単位で把握しなければならないという、行政が当然のように行っている解釈をそのまま認めたものとなっている。したがって、15分の一定単位の端数の切り捨て処理により、実労働時間よりも少ない労働時間を集計することは認められないとしたものである。(※注意2②)
 しかし、ここで端数処理は原則として認められないという、当然としていた行政の解釈を裁判の場で争い結論がでたということは、私としては、はっきりしたという点で胸のつかえが降りた感じではある。(※注意3)

 
 なお、上記の1か月の時間外労働の合計において、30分未満の端数がある場合の「切り捨て可能」というのは、労働者にとって不利な労働条件を強行的に禁止している労基法の性格、および、情報技術の発展により端数処理も事務的に煩雑とはいえなくなっている状況からすれば、現在としては、労基法に違反すると解すべきではないかと、水町勇一郎氏は指摘している。(※注意4) 要するに、労働時間の端数処理は、絶対的に認められないとするものである。私としても、賛成したい。
 

※注意1 賃金請求権の時効は、2020年4月の改正労基法で3年になっているが、施行前は2年の時効となっていた。この事案において、会社側がさかのぼり期間を2年としたのは、この施行前の2年を踏まえての団体交渉の結果であったとみられる。

※注意2①-② この桑名市事件における時間外は、法定時間外労働ではなく法定内時間内労働であり、この法定内残業においては、合意があれば労働時間の切り捨てが労基法24条1項の関係で認めらるのか、いまいちはっきりはしません。(法定時間外労働であれば、切り捨ての合意があっても、労基法37条及び24条から、全く労働時間の切り捨ては認められないところ。労基法37条・24条1項=時間外の割増賃金・全額払い さらに 労基法13条=最低基準) というのも、当該事件は切り捨ての労働時間の合意があったかどうかの証拠はないという前提のもとに、労基法24条1項で労働時間の切り捨ては認められないと判決がなされているからです。

※注意3 元医療事務に携わった私としては、非常に興味深い争点がある。桑名市が「医師の診療行為には裁量がある」とか「診療終了時刻直前に受け付けられた患者の診療は医師の応招義務(診療を医師は正当な理由なく拒否してはならないー医師法19条)に基づくものである」から、時間切り捨てができる旨を主張したが、それだからこそ、医師に重い義務が課せられているからこそ、労働時間はちゃんと計算すべきものであろう。裁判では、市の主張は退けられている。

※注意4 詳解労働法 東京大学出版会 P674
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朝ドラちむどんどん「出来事には意味がある」の考えはプラス思考でなくブレイクスルー思考で!

2022-06-03 15:20:52 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 自分の人生は自分で計画してから生まれてくる!!適宜な時期に適宜な出来事が生じるので全てがプラスの出来事!!

 比嘉家(沖縄県やんばる在住)の次女、主人公暢子の妹である歌子は、これまで本人も認識しているように、人見知りで人前での仕事は難しいと思われているにもかかわらず、一念発起して、歌手のオーデションに参加しました。しかしながら、一次はパスしたものの、直前までに床に臥せっていた歌子は2次の試験の最中に倒れてしまい、失格になってしまいました。
 東京で料理人の修行中の暢子は歌子と仲が良くよく電話で連絡し、オーデションについても事前に相談を受けていた暢子。そして、歌子が長女が出産したことを報告した後に、オーデションに落ちたことを告げた。「この回り道には意味があると思って、これからも歌い続ける。うちは歌が好きだから。」という歌子。「それでいいと思う」という暢子。一方、家では、歌子は母優子に泣いて病弱の悔しさを吐露したが、長女の良子は歌子が自分で応募し人前で歌ったことに「誇らしい」と抱きしめたのであった。

 人生生きていくうえで、試験に不合格だったり、仕事上で大きな失敗をしたり、うまくいかないことも多い。この場合、この「〇〇には意味がある」ということば、最近では多く聞かれるようになった。意味があるととらえるのは、なんとなく、今後の長い人生において勉強になったという意味でとらえ、それを経験することによって、本来、どっちかというとマイナスと捉えるところをプラスに考えようということである。しかし、こういったプラス思考で、この場を乗り切ったんだけれども、結局、時間が解決する形で、今もって、納得はしておらずすっきりしていない人も多いのではないかと考える。自分もプラス思考の本を読んで実行したが、この場合、もともと出来事をマイナスとして捉えているので、これをプラスに変えるのは難しいと思った。繰り返しになるが、マイナスと思っている出来事が起きてから、後からその出来事の意味を考え、これをプラスに変換するには、限界があろう。

 しかし、前世・現世・来世というスピチュアルな世界を信じるならば、もっと納得できる考え方があるという。ここでは、前世において、人は自分で自分の人生を計画して、現世に生まれるという。ここでは、飯田史彦氏のいう「ブレイクスルー思考」により、人生誰もが経験する「失恋」を例に、説明します。※※

 自分は、今回、生まれる前に自分で計画しておいた予定どうりに、順調に、失恋した。それは、人生のこの時期・この段階で、「異性関係」について大いに学ぶように人生計画を立てていたからであり、そのために最適な現象として、失恋という試練が生じた。しかも、失恋する相手がその人であったということにも、大きな意味があるはずだ。・・・そして、予定どうりに順調に、その体験をすることができたのだ。これからは、順調に、その体験を生かしていけるはずだ。

 プラス思考には、もともとマイナス評価があるからこそ、プラス思考ということがでてくるのであるのですが、ブレイクスルー思考には、このマイナスという観点が存在しません。このブレイクスルー思考には、どれほどマイナスのように思えることであっても、すべて予定どうり順調な、本来的にプラスの意味や価値を持っているという前提に立ちます。これを彼は「意味が現象に優先する」といい、「人生にはまず全てのことに意味(学びの材料)が存在し、その意味を実現するために最適な現象が生じてくる」とすれば、世の中にマイナスの物事は存在しないとの考えである。現象より先に「人生のこの時期・この段階で、異性関係に学ぶ」という意味が存在しており、その意味を実現化させるために最適な現象として、「失恋と言う価値ある試練」が発生したと解釈するのです。だから、先に意味が存在し、それを実現するために生じる現象は、「予定どうりに順調な試練」であり、それは「意味を実現化させるという価値」を伴っていることになります。人生にはマイナスの現象はない、すべてあなたを次のステップに上げるために予定された出来事なのです。

 ただ、このブレイクスルー思考には、前述のとおり、前世・現世・来世を流れるスピチュアルな部分を認めなければ出てこない発想です。死ねばすべてがなくなってしまう唯脳論の考え方の人はこれを受け付けないでしょうが、少しでもそういう考え方もありかなと思う人(私もまだこういう考え方かなあ)ならば、ぜひ参考にしていただきたい、考慮に値する考えであると思います。

 ※※ 以下、飯田氏のブレイクスルー思考について説明するが、ほとんどの部分において、彼の文言をそのまま使うか、特に最初の数行は、そのまま引用している。ただ、端折ったり、表現を変えたりしている部分はあるので、作者の意図が伝わらないところがあるかもしれません。お断りしておきます。<{完全版}生きがいの創造 PHP文庫p793~より 飯田史彦著>
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