この世の個々の体験を神の体験そのものとして記録してもらう使命がある!!
NHKの朝ドラ「あんぱん」は、アンパンマンの作者・やなせたかしさんとその妻・小松暢さんをモデルにした人生の物語。第10週のタイトルは、戦争の影が生活に影響を及ぼす時代を反映して、「生きろ」でした。戦争という国家の争いであっても、個々にあっては、結局は人が人の命を奪うことには変わりありません。そういったやむを得ず命を断たざるを得なかった大戦を幾度となく経験した日本。だからこそ、今、平和を希求していかなければなりません。
「生きろ」というのは、宮崎駿監督がもののけ姫の中で主人公に言わせた言葉でもあります。「君たちはどう生きるか」でも生きるという言葉が使われています。私は、「生き抜く」ということばを、最近では使っています。「生きろ」というのは、他人に対する投げかける言葉です。「生き抜く」というのは、他人ではなく、自分自身に対して、言うべき言葉です。どちらも、命のある限り、最後まで生きろという点では同じです。
おギャーと生まれた命を授かった瞬間から、私たちは「生き抜く」というのを全うすることが求められます。どんなに苦しくても、自分で自分の命を縮めることがあってはなりません。この世に生まれること、それはいろんなことを「経験すること」、すなわち「体験する」ためだと言われています。神は我々を生み出すことは出来ても、神自身がこの世に生まれ体験することはできません。皆がどんな体験をするかをあの世から全部見ていなければならないからです。神自分がこの世に生まれるなら、皆のこの世の行い全部を見ることができなくなってしまいます。そして、我々個人が体験した経験は、そのままデータとして神に送られます。主義主張が違った経験であっても、その矛盾した考え方・データも神はそれをも包み込んでしまうのです。神はアルファーでありオメガであるのです。
また、私たちは、生まれてくる前に、神と相談の上でこの世の計画を立てて出てきます。寿命が尽きるまでの全部の計画を決めるのです。だから、途中でその人生を投げ出してはならないのです。最後までの人生を生き抜くことが求められます。どんなに苦しくても自分で自分の命を断ってはならないのです。そこで、どんなに苦しくても今まで培ってきた経験・知性から必ず乗り越えられるといわれています。だって、自分でその時々で計画して出てきた出来事ですから、絶対に乗り越えられるはずなんです。ただ、自分で計画したことをこの世では忘れてしまっているだけなんですから。そして、最後の命が尽きるまで、私たちは、前言ったように、この世の自分の体験を神に伝えなければならないのです。また、この世の体験を通じて、私たちは神に一歩一歩近づいていく過程にあるともいわれています。
第12週「逆転しない正義」の59回の放送では、戦場で食料を断たれ、嵩は栄養失調でその場に倒れてしまい、亡くなった父と会話する場面があります。「お前は父さんの分も生きるんだ。皆が喜ぶものを作るんだ。何十年かかってもいい。あきらめずに、作り続けるんだ。」
父との会話となっていますが、実は嵩自身が自分で人生設計して、この世で実現しなければならないことを父に言わせたことなのでしょう。原作の本人・やなせたかしが、アンパンマンを漫画として世に出したのは、実に60歳過ぎであったのです。
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