元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

女城主直虎の戦い⇒戦国の世にあって平和の希求⇒徳川家康の朱子学の奨励

2017-12-24 05:57:12 | 社会保険労務士
 下剋上からの脱却とは、「君足らざれば、臣、臣たらず」から「君、君足らずとも、臣、臣たれ」に!!

 NHKの大河ドラマ「女城主 直虎」の最終回が放送された。(2017年12月17日) この全編に流れるテーマは、武士の戦いの中にあって、平和を希求する直虎の心の戦いであろう。そして、その心は、育てた直政を通じて、徳川家康の長期の安定政権へ引き継がれるという設定である。

 徳川家康は、江戸の住む安くするための水路を廻らし、船を内陸へ付けさせという流通の要をつくり、江戸を大改革した。そういった、環境・条件を変え、住みやすい土地柄に変えただけではない、人そのものの「精神」を変えさせたのである。

 戦乱の世の中、人が人を策略や戦い等によって、土地を奪い合い、その中で生まれた「君、君足らざれば、臣、臣たらず」<下剋上>という考え方が生まれたが、豊臣を滅びした今にあっては、新しい考え方が必要と家康は痛切に感じた。そこで、家康は、朱子学を奨励した。朱子学の基本は、「君臣の大義名分」であり、それは「君、君足らずとも、臣、臣たれ」という、主人が主人らしくなくとも部下は部下の責任を果たさなければならないという思想である。これが、後の武士道の精神ともなった。

 「水は方円の器に従う」ということばがある。水は、丸いときはまるいなりに、四角張ったときは四角に、それなりに外の環境条件に従うのである。そして、家康は、新しい環境・条件の中で生きる「人の考え方」そのものをも変えさせたのである。そうでなければ、江戸の安定が260年も続くことはなかったであろう。

 このドラマは、直虎自体があまり知られていないところがあって、その分創作できる部分が多くある。例えば、家康が明智光秀の謀反を知っていたにもかかわらず、織田信長の誘いに応じるという設定である。確かに、本能寺の変については、謎が多く、そのような説もあり、そのように直虎で描かれていても不思議ではないのであるが・・・。

 いずれにしても、女城主 直虎は、徳川家康の「戦いはイヤ」という心を「見抜き」、この人ならと晩年は家康の支援に回るという設定であった。平和の世の中を築く戦いを最後までしたのである。その精神は、井伊の谷の小さな井戸から、直虎・直政と受け継ぎ、家康がその精神を日本中津々浦々まで浸透させたものであろう。

 会社の仕える者としては、これをどう捉えるのか。まさか、君たらずとも殺しはしないだろうが、いずれ独立して見返してやるというのか、そういう覚悟がなければ、臣たれで、部下の責任を果たし、会社を支えるのか。どちらにすればいいのかの結論は、与えられた条件にもよるだろうし、チャンスをどうとらえるかにもかかっているが、どちらを取るにしても、相当の‘覚悟’(独立よりも臣たれは相当の覚悟を必要とするものと私のつたない人生では考える。)を必要とすることは言うまでもない。

 参考;童門冬二 武蔵 p151~
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「気づき」は成長の糧、「誉める」のはちょっと上で誉めると納得!!<野村監督のノムダスから>

2017-12-09 06:01:16 | 社会保険労務士
 野村監督は古田捕手の気づき・感じるからこそ信頼

 野村克也が監督時代に、古田は捕手兼4番打者として活躍し、両者は、亡くなった妻の野村沙知代氏(ご冥福をお祈りします。)とはもちろん「相棒」だが、ここは野球の「相棒」として見られている。打撃の側に回った控えの席は、後ろに野村監督がおり、そのすぐ前に古田がおり、野村が「ぶつぶつ」つぶやけば、古田は対照的に「へんな投げ方をした」「バットを短く持っている」「引っ張りにきている」と聞こえる声でつぶやく。この「気づき」は人の向上・成長にとって欠かせないものである。野村監督いわく、他の人が気が付かないものに、よく気が付くのは一種の「能力」であり、どんな商売の人間にとっても強力な武器になるという。前の席の古田をぶつぶつ言って叱り、批判するのは、この能力を基本的に信用していたからであろう。
 
 介護の関しての仕事の手伝いをさせてもらっているが、彼ら・彼女らの一生懸命な仕事に対する姿勢には頭が下がる。この業務に対する能力の向上には、この気づきが欠かせないと思う。利用者がどう感じるか、どのようにしてほしいのかは、気づきがなければうまくできないと考える。もちろん、食事介護にしても、着替えの介助にしても、マニュアル化されたものがあり、そのとおりしなければ、うまくできないのは事実である。しかし、このとき気づきがなければ、マニュアルがマニュアルとして生かされない。

 野村監督は、この「気づき」「感じる」能力を選手にいかに高めてもらうかは、「情」(温情と非情の相対する2つ)と「ほめる」ことしかないという。彼は褒めることに対しては、基本的に下手であり、ぶっきらぼうに「よう打ったな」としか言えないという。しかし、それでもよいとしている。

 『「人は自分自身の評価よりちょっと上で誉めると納得するもの」であるから、「そういわればそうかも」と納得できる範囲内で誉めてやればいいというのである』(西尾幹二氏の「人生の価値」・新潮社)として、逆にやりすぎは嘘っぽく聞こえるものであろう。彼はもっと褒めたい自分をこれも自分で仕方ないかとしているようだ。 
 
 参考:「弱者が勝者になるために」(野村克也著) ㈱扶桑社  


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