元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

NHK朝ドラ「舞いあがれ」;職業において依然残る「男社会」を変えようとする倫子

2022-12-16 17:04:56 | 社会保険労務士
 労働法の世界では男女機会均等法に加えて2015年女性活躍推進法が成立 

 差別意識の中で、職場の中で今なお根深く残っているものとしては、職業により違いはあろうが、やはり男女差別が挙げられるだろう。ドラマの主人公の「舞」が職業として選んだのはパイロットであり、現実には、これこそ男性優位の社会であり、いわゆる「男社会」である。それゆえ、舞が航空学校に入学して、厳しい訓練・学業の傍らそこでの恋愛感情を描きながらも、作者がこの「男社会」の問題に触れざるを得なかったものと考えられるのである。※注1※

 最終審査まであと5日と迫ったときに、同一訓練のグループの一人・中沢(慎一)が、「妻が突然離婚届を送ってきて、電話をしても出ない」という状況を皆に言った。舞と同部屋の(矢野)倫子は、彼の話は他人ごとではないようではあり中沢に「言いたいことをいったら」ということで、「舞」は倫子と共に中沢の部屋を尋ねる。ちょうどその時中沢は離婚届を出しに行くところであったが呼び止め、話し合う。最終審査の前に余計なことは考えたくないし、また、それに集中できないので、そのまま離婚に応じるという中沢。というのも、妻の方が話をする気がないから仕方がないという中沢に、倫子はどうしたら妻の美幸さんが話してくれるか考えなさいという。
 
 中沢 何で俺が離婚しなきゃいけないんだ。パイロットになって、家族を養って、一体何が不満なんだ。
 倫子 中沢は美幸さんの夢、聞いたことあるの
 中沢 なんだよ急に。・・・俺の夢を支えることか?  
 倫子 本気でそう思ってるの。・・・あんたはまず、最初に理解しなければならないことがある。
    (そして続ける)
    中沢が夢を追いかけられるのは、中沢が男だからよ。
    もし子供を持つ女性が、突然パイロットになるなんて言い出したら誰が応援してくれる。
    きっと止められる!「母親なのに」って!
    それに「パイロットなんて男の職業でしょ」なんていわれて!
    女性の機長だってまだ日本にはいないじゃない。中沢はその意味を全然分かっていない。
 中沢 男が稼いで女が家庭を守る。そう決めたのは世の中だろう。
    (倫子はそこにあったお茶をぶっかけほど激怒する。)
 倫子 だから私は変えたいの。変えるためにここに来たの。
    自分の人生を、世の中に決められたくない。男も女も関係ない。・・・
    私がパイロットになりたいと思ったように、美幸さんもやりたいことがあるかもしれない。
    中沢は、これまでそういう話を聞いてこなかったんじゃない。
    中沢は、気がついているんでしょ。美幸さんの気持ちから目を背けていたってこと。
    逃げずに美幸さんと向き合うべきだと思う。中沢ならできるよ。
  ⇒舞は、倫子がこんな強い思いで、この学校に来ていたことにおどろきを覚えた。

   その後、中沢は同部屋の吉田に騒がせしていることを謝るとともに
   レターセットを借り手紙を書いて、後日、妻と話し合うことになったとナレーションは伝えた。

 現実の世界(家庭・社会)がまだまだであることを、中沢(男)と倫子(女)のこれらのせりふが全てを言いつくしている。
 
 労働法の世界では、労働基準法の男女差別賃金の禁止、そして1972年に成立した男女雇用機会均等法による男女差別の諸待遇の禁止規定が出来たが、日本の雇用システムに根差した男女間の採用・昇進等の格差は解消されずに、女性の職業生活と家庭生活の両立はなお困難な状況にある。そこで政府は、2015年に、10年間の時限立法として、女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(「女性活躍推進法」)制定した。これは、①女性への採用・昇進等の積極的な提供とその活用 ②職業生活と家庭生活との円滑・継続的な両立を可能とするための「環境の整備」 ③職業生活と家庭生活の両立に関する「女性の意思の尊重」 を基本原則として、女性の職業生活における活躍を推進することを目的としたものである。※注2※

 ※注1※ 「舞い上がれ」’22年12月14日(水)放送分=第11週(第53回)「笑顔のフライト」
 ※注2※ 参考 詳解労働法 水町勇一郎著 P344~

 
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引き寄せの法則から見た偉人伝(「苦労しなければりっぱな人になれない」)の間違い

2022-12-03 09:27:26 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 引き寄せの法則;「こうはなりたくない」から発せられた思考についてはそこに意識を向けてはならない!!

 引き寄せの法則とは、思ったこと(思考)は磁石のように引き寄せられて現実に実現するというものである。これは、健康、富、人間関係など日常生活のすべてのことに応用できるといわれている。しかし、難しいのは、引き寄せの対象である「思考」の「こうありたい」「ああありたい」というのが、「ああはなりたくないなあ」という反対の感情から生じているものであることが多い。この場合には、「ああなりたくない」というそのネガティブな思考が強く意識されるたときには、そのネガティブな思考そのものが実現してしまうということである。そうであるなら、肥満であるという感情を感じているならスリムな体を、また貧乏だという感情を感じていたなら、生活が豊かになることは永遠にないであろう。というのも、スリムや豊かな生活ではなく、それは肥満・貧乏というそのネガティブな事実を引き寄せてしまうからである。一時期、引き寄せの法則が取りざたされたことがあったが、それらの本(「引き寄せの法則ーエイブラハムとの対話」「ザ・シークレット」など)が示したのは、このネガティブな思考をどうするかという方法論に尽きるといっても言い過ぎではないと思う。そうでなければ、こうしたい、ありたいという積極的な思考を実現することができないのである。
 
 さて、そう考えたとき、我々「日本人」は、偉人伝を読む際に、苦労に苦労を重ねて立派な人になったという話を聞かされてきたように思う。例えば、今では交通事故を誘発するなどの理由でなくなっているが、小学校の校庭に薪を背負った姿で読書する二宮金次郎の銅像があったものである。彼は家が貧しかったので仕事で生活の糧を得ながら、「苦労して」勉強し藩の財政を救うような思想家になり、渋沢栄一が日本資本主義の父であったなら、彼はその日本資本主義の祖父であるといわれる人物である。それほどのものになるには、血のにじむような努力のかいあってのものであると教わってきた。また、私の心に残っているのは、野口英世である。家が貧乏で母が働きにでて子供の面倒を見てやれないことから、小さい彼はいろりの火により大やけどを負い手が使えず「勉学」により食べていくことを 決心するのだが、ある名医の手術により手が使えるようになり、医師の道を歩むことになるというものである。まさに、貧しい、苦労などがテーマになった偉人伝である。エジソンについても、電球の発明で、フィラメントの材料に使うもので最後は日本の竹であったと思うが、それに行きつくまで失敗に失敗を重ねてたどり着くまでの努力を苦労話として聞かされてきたのだ。今の若い人たちはそうではないと思うが、貧しい、苦労をしないと立派な人にはなれないと、我々「団塊の世代」以前の人は、教わってきたように思う。

 日常生活のことで、健康や人間関係であっても、最終的には幸福だと感じることだと思う。これら偉人伝や親から教えられてきた底に流れる考え方は、苦労しないと幸せになれないよ(偉人伝ならりっぱな人になるには苦労しなければ・・)と教えられてきたのだ。しかし、引き寄せの法則からいうなら、苦労しなければならないというネガティブな思考は、まずは苦労しなければ幸福をつかみ取れないということになる。しかし、苦労しなければならないという発想は、捨てなければ、すぐには幸福にはなれないのである。思うに、偉人伝の人物は、苦労などと思ったのではないのではないか。目標に向けて努力していく際には、本人たちは苦労を苦労と思わなかったはずである。勉強がしたくてしたくてたまらないほどの欲求に突き動かされて、また、発明の実現に向けて何回も何回も試みる、その実現に向けての努力は実は苦労ではなかったはずである。我々、特に団塊の世代以前の者にとって注意しなければならないのは、苦労しなければ幸福はつかみ取れないという発想はいったんおいて考えるべきではないか。努力は必要であるが、本当は、それは苦労でもなんでもないのである。

 引き寄せの法則を考えた場合に、「苦労しなければ実現できない(幸福になれない)」というのは、まずは「苦労そのものを引き寄せる」ことになるのだ。そうではなく、引き寄せの法則から言ったら、直接、素直に、「幸福なりたい」という積極的な思考そのものを考えなければならないのだ。

 <余談=戦後の日本の経済復興について> 団塊の世代より「以前」の人間が戦後の復興の担い手であったことは間違いない。これらの世代は、苦労話の偉人伝を聞かされてきた世代である。戦後の復興期に経済がまだうまく回っていなかったころ、努力だけでなく、確かに他人から見たら苦労したのではないかと思う。これらの人々は、渦中にいる多くの者にとっては、生活に一生懸命で苦労を苦労と思わなかったのではないか。時には、それを苦労とは感じたかもしれないが、戦後の復興にはそれでも生活をよくする原動力となったはずである。このように、総じてこの時代は確かに苦労を苦労と感じないような努力が必要であったのだと思う。
 経済的には世界と肩を並べてレベルになった今では、そんな苦労話の偉人伝は必要ないのではないかと思う。偉人伝を話するにしても、エジソンの例から言わせれば、苦労というのではなくて、何回もフィラメントの材料に挑み続けたのでこの材料ではだめだと分かり、結果、日本の竹がそれに適合したというような書き方でよいのではないかと思う。

 <考察> 引き寄せの法則は、突き詰めれば、科学的思考であるように示されていても、結局は、信じるか信じないかである。私みたいに年をとってきて考えてみると、信じる方向に考えるようになっている。自分は、昔から、金には頓着がない方であるが、一方で生活に困らないだけの最低の資力があればいいという信念のもとに生きてきたものであるが、現実に今はそういう状況になっている。また、ある時点で、失敗したことを考えてみると、確かにマイナスの考え方が勝っていたとも考えられ、引き寄せの法則が全般にわたって適用されていたように感じる。

 ※参考 「斎藤一人俺の人生」(斎藤一人著)P134~ 特に苦労話に基礎をおく偉人伝(二宮金治郎)について
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