元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

テレワーク中のモニタリングについて

2021-01-28 15:52:06 | 社会保険労務士
 就業規則にモニタリング実施をうたうことが必要<プライバシー権の侵害を除くため>

  テレワークを行う場合は、当たり前ですが、会社外で業務を行うことになります。そこで、会社側としても目が届きにくくなりますので、パソコンの利用状況をモニタリングする会社も出てきます。この場合は、必ず就業規則等に、会社にモニタリングする権限があることを定めないと、プライバシー侵害で訴えられる可能性があります。そこで、まずはパソコンの私的利用の禁止をうたい、その上で、就業規則に会社のモニタリングの根拠規定を明確にうたい、労働契約の内容とすることが必要です。
 そこまで言及しなくとも、従業員は会社に対して不信感を持つことになりますので、必ず就業規則のモニタリングの記載は行うようにして、あらかじめの予告・徹底を図りましょう。

ただし、就業規則へのモニタリングの権限の設定は、あくまでの社長さんの考え方次第です。従業員との信頼関係を崩したくないという社長もいらっしゃるかもしれませんし、うちは成績を残せば文句はないという社長さんもいらっしゃるかもしれません。

 就業規則では、職務専念義務の規定を設けている会社であっても、会社にいる場合もそうですが、家族との至急の連絡等やむを得ない場合などには、弾力的な運用を行っているというのが現状でしょう。そこのところは、テレワークであるからと言って急に厳しくなるということではなく、会社勤務と同様に、少しぐらいのことは認めることになります。むしろ、従業員の中には、テレワークに慣れないものもいて、モニタニングされることが分かると精神的に過剰に負荷がかかるものもいるかもしれません。適度のモニタリングにとどめることが大切です。

 しかし、テレワークになると、やはり長時間、私的なインターネット、メール等を、ついつい行う従業員もいないとは限りません。モニタリングの権限を会社側に持たせることによって、従業員に抑止効果を働かせることはできます。

 また、それらしい従業員を発見した場合には、この規定に基づきモニタリングを行い、指導しても同様の行為をさらに繰り返す従業員には、改善指導書を出すことも検討しましょう。この指導書によって、懲戒処分の対象となることを認識※させることも必要です。
 ※職務専念義務等なんらかの懲戒処分の対象となる項目が就業規則にはあると考えられるところ。

 参考  テレワークの労務管理のツボとコツがゼッタイにわかる本 秀和システム  寺林顕ほか著
     就業規則の法律実務                  中央経済社   石嵜信憲編者

 
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テレワークで通勤手当の支払いは就業規則の規定次第

2021-01-23 15:55:42 | 社会保険労務士
 民法では通勤手当はどうするかは任意規定で労働者の負担

 テレワークにしたときに、留意すべきものは、通勤手当との兼ね合いです。原則論をいえば、「通勤手当」は、民法上は、労働者側の負担です。労働者は、会社で労働するにあたり、会社に行ってから「労働する」という、その労働するための費用=通勤に要する費用は、労働者の負担になっています(民法485条)。この規定はあくまでも任意規定ですので、厚生福利の観点等から、ほとんどの会社で、通勤手当については、就業規則で全部または一部を負担することとされています。(これは、所得税法上、一定額までは非課税となっているので、その範囲内で通勤手当を出している企業が多い。)

 したがって、通勤手当の支給については、就業規則にどう書かれているかにかかっているのです。テレワークにしたから、通勤しないので、その費用もかからないから出さないよというのはまずいのです。就業規則に通勤手当が描かれている以上、給料として規定したことになり、その規定どおりの通勤手当を出さないといけないということになります。
 (ここで、通勤手当を定期券相当額ではなく、定期券の「現物」で支給する場合は、労働協約を締結しなければなりませんから、労働組合がなければ、協約は締結できませんから、定期券での支給はダメということになります。)

 就業規則をみると、入社・退社・住居の移転・出向等の通勤手当の日割り計算はあっても、これがテレワークの場合を想定しているとは思えない規定があります。また、給与計算期間の全期間で実際の出勤がない場合、たとえば長期出張、欠勤、休暇、育児介護休業、有給休暇取得のほかこれに準じる事由として、通勤手当は支給しないとしていても、これもまた、とてもテレワークそのものを想定しているとは思えません。この場合、日割りや全額不支給はできなくて、全額支給しないとトラブルになるおそれがあります。

 以上のまとめと解決策は、次のようになります。まず、フルタイム出勤では、公共交通機関の定期代相当を通勤手当として支払う旨就業規則に規定して、その額を支払うのが一般的です。しかし、テレワークにより、会社に出勤しない場合にも、通勤手当全額を支払うことは、会社が必要のない経費を出費することになります。一般的に、定期代は、通常運賃の半額程度といわれています。そこで、就業規則に、テレワークにより出社する場合は、月15日未満出勤のときは日割り、月15日以上の出勤のときは、定期代で支給すると規定しておけば、実質の額に近い通勤手当を支給することになると思われます。
 
  参考  テレワークの労務管理のツボとコツがゼッタイにわかる本 秀和システム  寺林顕ほか著
      就業規則の法律実務                  中央経済社   石嵜信憲編者
 
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明智光秀は文武両道・秀吉とともに織田の合理主義下で中途採用で出世

2021-01-16 09:35:00 | 社会保険労務士
 信長が部下を信用せず・絶対的な服従と不用な部下の切り捨て・天下布武の展望を共有しなかったことで光秀は疑心暗鬼(ブラック企業化)

  明智光秀がどこで会得したかは分からないが(前半世はほぼ不明) 、彼は今でいう文武両道に優れており、この両面の技能をいかんなく発揮して、やや遅咲きながら(明智城没落は29歳・その後全国を放浪)、織田信長に仕えると出世街道を突き進んだ。和歌に優れ、身分の優劣なく参加できた連歌の会で、朝廷・貴族(吉田兼見など)や幕府・将軍足利義昭との接触を図っていった。そこで、光秀は京都周辺の統治を信長より命ぜられ、朝廷や幕府との橋渡し役を行ったのである。いまだ将軍義昭の護衛としての頃、三好氏との本国寺合戦において、織田の兵士の先頭に立って指揮し自慢の鉄砲の腕を発揮したことにより、信長に認められた。朝倉義景の越前攻めにおいては、金ケ崎城で浅井長政の裏切りにより挟み撃ちにあいそうになったが、秀吉とともに殿(しんがり・撤退役)という大役を務めた。織田信長にとっては、京都の朝廷・幕府と繋がりが深く、戦いの場においても、軍略に優れた光秀はまさに使える存在であった。以後、近江坂本城、丹波亀山城の一国一城の主となっていくが、秀吉も同様に長浜に城を築いて出世していくのである。

 織田信長は、合理主義で、利用するものはなんでも利用した。海外からのキリスト布教に来た神父たちに布教を認める代わりに、鉄砲などの先進技術を手に入れ、堺の自由な交易を認める代わりにいくらかの対価を上げさせた。戦に必要な物資を得ることに努めたのである。

 組織的には、その合理主義から、能力のあるものは、新参であるにも関わらず、秀吉・光秀もどんどん引き上げていった。そして、徹底した合理主義と裏腹のものとして、絶対的な服従を強いるとともに、強い恐怖心も起こさせた。また、手向かう者には女・子供であっても部下に殺害を命じた。荒木村重の謀反にあっては、敵への内通が疑われ、有岡城に立てこもり降伏勧告を受けても、前例のように処刑されたくないということから、1年以上も徹底抗戦を続けさせたのである。合理主義者が究極に達すると「人の心情」が分からなくなるといわれるが、松永弾正の謀反では、人の心を理解せず、家柄のいい筒井順慶の方に、松永と争っていた奈良地方の治安を任せたためといわれる。松永に言わせると、家柄は合理的ではなく従来の考え方であるというが、信長に言わせると地縁を重視する土地柄から筒井の方が適任と思ったのかもしれない。これは、また合理的といえば合理的な考え方であるが、信長は言わないので分からないのである。佐久間信盛に至っては、いかに功績や家柄があっても、過去の栄光がばかりにしがみついては、切り捨てられるという警戒心を部下にいだかせた。信盛は、父の時代から使える筆頭家老で、石山本願寺攻略の大将であったが、攻めあぐんでいたばかりでなく、部下の指導も行き届かった。そのため、光秀の丹波平定、秀吉の播磨・但馬平定に比べられ、その任を解かれ高野山へ追放になったのである。また、あくまでも、本能寺の変の一つの要因であると考えるが、秀吉が中国地方を平定中に援軍を要請したところ、手の空いていた光秀に行けといったことは、秀吉の配下に加わることになる。同じ途中採用の秀吉と光秀のライバル同士の微妙な人間関係にはあまり気に留めなかったのと思われる。

 会社に例えると、信長の会社は、まさにブラック企業で、畿内平定を終えると、次は丹波に出陣を命じられ、それが終わると中国地方に手伝いを命じられる。次から次へと息つぐ暇もなく、戦いを強いられる。徹底した合理主義とその裏腹の「情」を認めないと同時に、絶対的な服従をさせられ、能力がないと見るやすぐに切り捨てられる。信長に取り立てられて恩義のある光秀であって、忠誠をつくす光秀であっても、どこかで懐疑的にならざるをえない。彼が背かなくても、疑心暗鬼になり、ほかのだれかが謀反を企てたかもしれない。信長にすれば部下はそれぐらい察せよというような考えで、常に意思の統一を図るようなリーダーではなかったのであろう。筆頭の部下であった光秀に対して基本戦力を伝えていたならばこういうことはなかっただろう。実は機会はあったわけで、武田攻略から本能寺の変が起きるまで信長・光秀は一緒に行動し、特に武田との戦い後1か月以上富士山見物をしたりしたが、その間天下布武のルードマップを信長は光秀と共有しなかったと思われるのである。

 そこへ、信長の本能寺とその鼻の先である子・信忠の妙覚寺の取り巻きの少ない滞在である。2人同時に打ち取るこれほどの機会はない。疑心暗鬼の光秀に対し、<※> 一方の信長は光秀の謀反など全く考えていなかったようである。「是非に及ばず」(光秀なら「仕方がない」と解釈)は、その証左と考える。とにかく、主君を打ち取る機会を光秀に与えたのである。すなわち、信長のブラック企業した会社をどうにかしたいと思っていたところ、光秀は乗っ取りの機会を与えられたのである。
 ※光秀は京都の治安を預かる守護の立場にいた。信長にとって京都滞在するのは、安心だと考えていたのではないか。しかも、信長は、後継のことを考えて信忠とは一緒に行動しないのが原則だったのだが、それが同じ京都に滞在とは、よほど光秀を信頼していたのではないか。

 もちろん、NHK麒麟が来るに流れる主題のように、将来の展望も必要で、太平の世は、信長のようなブラックな企業ではなく、もっと国民に寄り添ったものではならないといったものがあったように思われる。その証拠として、とにかく天皇に信長の後継者としても詔をもらうことを第一と考えたこと(政権交代をちゃんとした形で天皇に認めてもらうことによりブラックではないことにしたい。)、安土城に入ったとき信長の蓄財の金銀財宝を家来に惜しげもなく分け与えたこと、光秀の治めた地方では領民から慕われていたこと などから、信長の世でないもっと親しまれる世の中を作ろうとしていたとも思われる。

 乗っ取った後の「自分を守る」青写真があったかといえば、天皇から信長後継者の詔を得ることが最重要課題であった。信長後継者の詔を得た光秀は打たれないだろうと考えたふしがある。ところが、秀吉の方がその考えより上回っていたのである。中国地方備中高松城からまたたく間に引き返しことにより、光秀は態勢を整える間もなく「山崎の戦い」に敗れた。後方の勝竜寺城に退却。このとき秀吉はわざと抜け道をこしらえ、自らは首をとらず土民たちの竹やりに殺されるよう仕向けたとされる。というのも、天皇から詔を得た「信長の後継者」光秀を殺せば天皇に背くことになるので、秀吉は、故意に土民たちに首を取らせたとされるのである。

 光秀にとって、秀吉の中国大返しは予想外のことであった。2人のライバルが両者競い合いながら信長に認められ出世していったが、その企業は、今でいうブラック企業であって、いつ吐き捨てられても仕方のないものであった。それは、<※1>ライバルの秀吉にしても危うい状況は、同様であったのではないか。光秀は、自分にもチャンスがあれば取って代わるようにして準備しておいたとしても不思議はない。そこへきて、この本能寺の信長宿泊である。まさに「敵は本能寺にあり」である。文化人であり戦人でもあった光秀が、もっと別の信長と違った世の中を夢みたとしても当然であろう。<※2>  天皇の詔を得たのは、光秀にとって、信長のブラック化した会社の象徴でもなく、天皇から正式に認められた安定的な政権に移行したかったのであろう。光秀はたんなる精神錯乱状態とか黒幕がいたとか<※3>ではなくて、本当に、<※4>彼の器量により、天下を取りに行ったとみるのが正当な解釈ではないか。

 
 ※1 ライバル秀吉は、謀反どうこうではないが、どうも光秀の動向を探っていたふしがある。というのは、本能寺と中国地方の備中高松城の距離は200㌔、一日に動く距離50キロとすると通報が通常4日かかるのであるが、実際は信長訃報の知らせは、翌日に秀吉に伝えられた。前もって、伝令・早馬等通報の方法を準備していないとできるものではない。秀吉とて、中央の情勢に耳を欹てて、謀反うんむんとは限らないが、何らかの行動を行う対策を立てていたのは事実のようである。特に軍師黒田官兵衛が控えており官兵衛から訃報は挙げられたとされるが、その時の「殿 運が向いてきましたな」の有名な官兵衛のセリフ。
 ※2会社経営に例えると・・・創始者の先代が退き会長におさまり、息子が後を継いだが、先代の消費者に寄り添った経営ではなく、極端な生産合理主義に陥り、なんでも切り捨てブラック化していた経営をしていたところ、そこへ先代の認めた専務が先代の意向を察し、経営改革をおこしたというところか。成功するかどうかは、まさに時の運的なところもある。事の大小はあれ、よく聞く話でもある。
 ※3 特に有力な説は、信長は四国の有力な大名長曾我部元親と同盟を結んでいたが、畿内を統治するためかってそこを勢力圏としていた三好一族を取り込むため、元親に対し占領した四国の三好領の返還を促し、元親と同盟を解消しようとした。光秀にとっても、元親は部下の斎藤利三を通じて縁戚関係にあったため、光秀は板挟みにあったといわれる。これが、本能寺の変の原因となって元親と共謀したといわれるゆえんである。しかし元親の件これ一つが原因ではなく、これらのことが積み重なりブラック企業化したのがその原因ではないか。また「麒麟がくる」(月へ上がる者)では正親町天皇が光秀に「信長が道をたがえぬよう、しかと見届けよ」とおっしゃったとしても、それは一因であっても黒幕とはいえない。本文でも触れたが、信長では平和な世はこないという、光秀の文化人としての根本的な主義主張の違いがあったと思われる。
 ※4 徳川3代のブレーンであった天海は光秀だったとのトンデモ論てきなものは排除して、できるだけ通説的・史実に近い形で、現代の企業に置き換えて説明するとこうなるのでは思われる。

 参考 NHK麒麟がくる(放映内容)
    なんだこりゃミステリー<明智光秀>
    明智光秀の生涯・外川淳著・三笠書房
    明智光秀と本能寺の変・小和田哲男・PHP文庫
    


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テレワークに伴う在宅勤務の通信費の負担は会社負担か?!

2021-01-15 16:24:33 | 社会保険労務士
 費用負担を事前に就業規則記載→定めないときは会社の負担/ テレワーク手当の問題

 テレワークにおいて、在宅勤務の場合は、従業員が業務に使用する電話・FAX・メールなどの通信費用がかかってきます。これについて、従業員から通信費の請求があったときは、どう対処すべきでしょうか。

 労基法89条5号の規定では、就業規則の作成において「労働者に食費、作業用品その他の負担をさせる定めをする場合においては、これに関する事項」を記述しなければならないので、労働者に通信費用の一部・全部の負担をさせる場合は、就業規則に記載する法的義務があることになる。

 しかし、問題は、従業員の家庭において、業務に使用した通信費がいくらと出せるところは、まずありえないのではないかと思われます。そこで、通信費相当額の見合い額を見積もりや従業員との話し合い等の上で、一律の固定額を費用負担することが対応策として考えられます。

 このことから、自宅勤務者に対して、一定の額を「テレワーク手当」として支給することによって、その費用の一部として考える企業もあるようです。この手当として出す場合は、単なる支弁された費用でなく「賃金」として考えること※になりますので、テレワーク規程だけでなく賃金規程にも手当の規定を入れる必要があります。さらに、残業手当の計算の基礎にも含める必要も出てきます。
 ※ただし、出張旅費のように業務遂行に必要な費用(いわゆる実費弁償)として、実費精算するということであれば、賃金とはいえない。

 また、テレワークにすることによって、通勤の要する手当=通勤手当はいらないだろうと、通勤手当をテレワーク手当に変更するところもあるようですが、賃金規程の変更だけでなく、通勤手当が所得税非課税(一定額まで)なのに対して、テレワーク手当になると課税されますので、給与計算上注意が必要です。

 これらの規定を就業規則に盛り込まなかった場合や急な政府の要請等により在宅勤務が急に決定された場合など通信費に関する事前の合意さえなかったときは、どうなるかということですが、会社の勤務場所の変更により「新たに生じた履行の費用」として、会社の方に負担義務があると考えられます。(※民法485条ただし書き)。したがって、この場合には、従業員が負担していた費用について、会社はその額を従業員に支給しなければならないことになりますので、相当な注意が必要です。
 
 ※弁済の費用について別段の意思表示がないときは、その費用は債務者の負担とする。ただし、債権者がその住所の移転その他の行為によって弁済の費用を増加させたときは、その増加額は、債権者の負担とする。
 
 
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「官房長官」が抜けない首相<リーダーの資格>

2021-01-14 09:22:10 | 社会保険労務士
 リーダーが仮定の質問に答えられないではどうなのか!会社に置き換えるとどうなのか。 `21/1/14

 首都圏の非常事態宣言時の会見(1/7)で、1か月の期限が満了した時に、感染が止まらなかった(レベル3相当に達するということ)ときはどうされるんですかとの質問に、「首相は、仮定の質問には答えられない」と答えた。首相は、そう答えたときに、多分しまったと思ったのか、苦笑いをしたように思えた。これは、いただけない。首相の言い訳をすれば、官房長官の時代の言い方が抜けきらないというのもわかる。

 官房長官であれば、こういった紋切型で、それ以上は答えられないというのもいいのだが、一国の総理が、国民が一番聞きたい質問にこういった答え方は、出来ないはずである。確かに、仮定の話であるが、企業のリーダーであれ一国のリーダーであれ、もしもの場合の次の一手は、用意しておくべきである。具体的に、詰めていないにしても、少なくとも方向性ぐらいは示すべきである。

 国民にとって、すでに3波の非常事態宣言である。コロナ疲れもあるし、事業者にとっては、もう耐えられない、廃業も検討するというところまで来ているというのが実態である。一か月で非常事態宣言が終わるのかは、重大問題である。ここで、紋切型の回答は、まったく国民の感覚からずれているしか思えない。 

 この質問は、非常事態宣言の期限を切った時に、当然考えられる質問だったと思う。その質問に対する返答がこの答え方であった。想定問答として、用意すべきものであったように思う。首相自身もそうだが、首相周辺の対応がぎくしゃくしているとしか思えないのである。

 会社であれば、こうなったらこうする、こうなったらこうなるというような場合分けをした適切かつ即座の対応をするはずである。部下も経営者の指し示す目標を共通のものとしなければならないのである。そうでないと、会社はすぐに経営は成り立たなくなるのである。首相が全く考えなかったはずはなく、いろいろ考えてはいたはずであるが、定まった結論がなく、そのため仮定の質問には応じられないとなったのであろう。もしも本当にその考えがないとすれば、危機意識がないと言われても仕方がない。この首相の答えには、国民はがっかりしたように思う。

 尾身会長は、のちの会見(1月13日)で緊急事態宣言解除に向けたシナリオを作る考えを示し、感染者数横ばい・極めて緩やかの減少の場合はさらに強い対応も必要、うまくいった場合でも、一気に解除するのは避けて一部は継続しなければ、リバウンドが起こるとした。国民が求めていた回答はこのことで、非常事態宣言時に、具体的・詳細に説明することは無理でも、少なくともこういった方向性だけでも示して欲しかったのである。
 
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