元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

朝ドラ・ らんまん第29回「ドクダミ」=< 雑草という草はない> どの草花もそこで生きる意味がある!! !!

2023-05-21 16:06:18 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 人はあの世で聞かれる2つの質問=①充分学んだか?②十分愛してきたか?

 上野戦争で政府軍に敗戦した彰義隊の生き残りの倉木隼人、その背中には刀傷が残り生活が相当すさんでいる。万太郎が宝物と称するトランク(草花の標本が入っている。)を、彼は金目のものと勘違いして盗んだ上で火にくべようとする寸前の所で、万太郎はその草花の標本に10円を出すと約束し取り返す。万太郎は長屋の彼のもとを訪ねてその支払いの場面。

<倉木>; 雑草だろうが・・・。なぜ雑草に金を払う。誰の目にも入らねえ、入ったとして疎まれ踏みにじられ、踏みにじったことを誰も覚えていない。生えててもしょうがないだろうが。

                                                                               <万太郎>;雑草という草はないき。必ず名がある。天から与えられた持って生まれた唯一無二の名があるはずじゃ。その名をまだ見つかってない草花なら、わしが名づける。草花に価値がないらぁ人が決めつけるな。わしは楽しぃながじゃ。わしが出会おうものが何者かを知るが。わしは信じているき。どの草花も必ずそこで生きる理由がある。この世で咲く意味がある・・・かならず。                                  

<倉木>; 出ていけ

 人と分け隔てなく付き合ったという牧野富太郎博士の有名なことばが、この「雑草という草はない」ということばなのだが、彼をモデルとして描かれたドラマの中で、これがうまく表現されている。 

 人はあの世にいけば、金持ちだろうが世に知られていた者であろうが、誰それ関係なく、2つの事しか聞かれないという。この点、一般に言うところの神の前では「平等」なのです。「充分に学んできましたか」というのが1問目。2問目は、「充分に愛してきましたか」というのだ。

 1問目は、生まれる前に、自分に対する何らかの課題を見つけて、その「問題集」をもって生まれ、この世においてその問題集を解いていくのだと言われています。(ただ、自分が作ったこの問題集。この世に生まれるときに忘れ去るようになっているといいます。これは問題集の答えが分かっていては意味がないからです。) その「学び」を投げ出さずに、十分にあなたは行ってきたのかという質問です。2問目はとりもなおさず、時にはうまくいかない人間関係において、人を憎まず「愛をもって接してきたか」ということなのです。 

 

 参考:飯田史彦著 「ツインソウル」2006年第1版p77 PHP研究所         

 

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朝ドラ・ らんまん第23回「狐のカミソリ」=<この世で与えられた課題>あなたの段階にふさわしい問題集を解くこと!!

2023-05-06 09:53:52 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 アインシュタインのような大きなミッションを持って生まれる人って!(その才能をうらましがる必要なし) 

 万太郎と姉の槙野綾は、祖父タキの前で、姉が養子を取ることにより峰屋を引き継ぐことを申し上げ、万太郎は次のように話し始めた。     

<万太郎>;わしのことは勘当してください。植物学の道に進むため東京へ行かせてください。お願いします。どうせわしは体が弱かった。元から生きながらえるかも分からんかった。それで、自分でも思うちょった。生まれてこん方がよかったと・・・

 タキは万太郎にびんたを浴びせて、仏壇の間に引きこもってしまう。万太郎は話の続きを伝えるために部屋の前で語り掛ける。

<万太郎>;わしは幸せもんじゃ。わしほど幸せもんはおらん。ぬくぬく守られてきた。ひとえにわしは、この家に生まれた男(おのこ)じゃけん、そのことをずーっと苦しゅう思うてきた。わしは酒も一滴も飲めん。皆が懸命に働くのを眺めぇゆうじゃけ。つらかった。なんで、わしみたいな出来損ないが当主に生まれたと思ちょった。けんど、そう思うのはやめたがじゃ。 

<万太郎>;わし、とびっきりの才があるがよ。植物が好き。本が好き。植物の絵を描くが好き。好きと云う才がある。この才はわしが峰屋に生まれたからこそ、育ててもらったもんじゃ。名教館に行かせてもらった。好きな本は、なんでも買うてもろうた。なにより、おばあちゃんがおってくれ、いっつも大勢の人がおったき、寂しゅうなかった。

<万太郎>;みんなに守られて、好き云う才を育ててこられた。全部・全部・全部、峰屋やからこそ。人はわしに石を投げるじゃろ。運のえいじゃけののんきものじゃて。そのとうりじゃろ。わし運がいいじゃ、恵まれて生まれてきた。その分、われに出来ることを果たしたいがじゃ。母さんがわしを生んでくれた、おばあちゃんやみんながお日様みたいにわしを育ててくれた。ほんじゃき、わしは何者かになりたいがよ。

 峰屋の跡取りとして育った万太郎がその当主の座を捨ててまで、進むという植物学の道。今まで育ててきた祖母にとって、生い立ちにまつわる万太郎の様々な様子から分からんことではなかったが、峰屋の一家を預かるものとして、決して認められるものでもなかった。だから、祖父は「決して、お前を許さんぞね」と言いながらも、涙ながらに万太郎を抱きしめる。

 モーツァルトやアインシュタインのような人類の文化・科学の歴史で大きな影響を与えるような大きな業績を残すような天才的な才能をもった人は、前世からの才能を引き継いでいるのではないかと言われています。特にスポーツや音楽の世界では、その傾向が強いようです。どうもこの物語の主人公の槙野万太郎 実在名の牧野富太郎もそういった人の一人に挙げられそうです。

 しかし、そんな才能のある人をうらましがっても意味ないことです。人は、あの世において、この世に生まれてくる前に、何らかの課題を見つけ、その人の「問題集」をもって生まれてくるといわれています。小学生の始めの段階では、足し算・引き算を、それが進んでくると掛け算・割り算へ、そしてさらに因数分解へ。高校段階になると、微分・積分と習っていきます。このように、各自の能力に応じて最適な問題集を選択していくというわけです。しかも、こういった人それぞれの人生は、例えばとして今、算数の世界で考えましたが、算数だけでなく他の違う教科を習う授業もあって、しかも、同じ教科を習う者にとっても、このようにそのレベルが全く違うのです。だから、その人それぞれに与えられた問題集は幾多もあり異なっているのです。だから、因数分解を解いているあなたが、足し算・引き算を解いても意味ないように、微分・積分を解く人をうらやましがる必要もないのです。あなたも何回か生まれ変わり時期が来れば、微分・積分の問題を解く日が来るだろうということです。だから、いつの日か、あなたもモーツアルトやアインシュタイン、牧野富太郎博士のように、歴史に名を残すような人になって生まれてくるかもしれません。

 このように様々な問題集がこの世に存在することになり、人に与えられた課題・才能をうらましがっても仕方がありません。あなたはこの世において課題の問題集を解いていくのが与えられたあなたに与えられたミッションなのです。確実に解いていってください。そして、決して途中で投げ出さないようにしてください。才能とは、結局、過去世、また、この世でいかに修業をしたのか、その実績の積み重ねで決まるのですから。

<参考> 完全版「生きがいの創造」 飯田史彦著 PHP文庫 主にp798~800

     変な人の書いた世の中の仕組み 斎藤一人著 サンマーク出版 p190~191       

      

 

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