最終回で、さとこは、大学時代からの友人からのメールでの誘いがあり、また愚痴を聞いてもらいたい言われるのだが、勇気を絞って断る。昔のさとことは違い「やっと自分を大切にできるようになった」って気づく。他人優先から自分を大切にすることが必要だと思えたのだ。そして、彼女が言った言葉が印象的「自分は、やれるだけのことは、やった」と。これでいいのだ。ある思いがあって団地を出ていって山登りをしている司、そして人生のパートナー的な司(決して恋人ではないと思う)に、そのことをさとこは、なぜか電話で報告する。最後の場面で、司が団地に帰って来た様子、団地のベランダから鈴とさとこが「おかえりなさい」と言う(司にも帰る場所があったのだ!)シーンが映し出されたのだ。
斎藤一人さんは、人に親切にすることを説きますが、自分への親切を絶対に忘れてはならないという。自分に優しくすること、自分をまずかわいがること、そして人にも親切にする、他人への愛はその後だという。どうして、自分が最初なのかは、自分にできないことは、他の人に出来るわけがないといいます。自分の心が泣いていながら、人に愛で接するとありえないでしょうと言う。自分が「こういうのが親切なんだな」「こんな声掛けがうれしいなだな」と知らなければ、人が喜ぶことはできないのだ。
また斎藤氏はいう。世の中には、「いい人なのに、どうしてうまくいかないの?」と不思議なケースがあるという。誰でも優しくて素晴らしい人なのに、なぜか悪いことばかり起こる。観察すると、すぐに理由がわかるという。たいがい、まわりに感謝のできない人が付いていて、本人の波動を下げているというのだ。さとこの大学時代からの友人もこれにあたるようだ。
追伸;さとこの成長としては、司がいなくなったため、鈴さんの手づくりの作品提供の場はないかと探すことから、団地の共有スペースの活用を考えだしたが、資金の面で行き詰ったところ、職場の唐社長が市の補助金の利用を提案、またこれが動き出すという将来の展望を感じさせるところで物語は終わっていた。これもさとこが団地の高齢者のために、何かをしたいと動き出すものであり、人への親切の最もたるものであろう。自分をまずは大切にして、そして他人の親切という、斎藤さんの言う「親切」がかなうことになるのかな?!
最後の最後の話(余談)ですが、斎藤さんの話の「人への親切」って、なんのためしているのということなのだが、これってドラマのテーマにあるように、「幸せ」にたどり着くためなの と思う。まさに、「しあわせは食べて寝て待て」ということなのだろう。ちゃっと食べて、自分を大切にして、寝てから充分体が回復してから、人のために何かをやってもみると、幸せがやってくるということかな。
参考・引用 斎藤一人著「本質」p25 p30・31