元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

朝ドラ「舞いあがれ」70/71話・決断の時=退職勧奨はお願いであって拒絶自由なので強制すれば違法・損害賠償の対象

2023-01-29 11:55:25 | 社会保険労務士

 使用者・労働者誠意をもって臨み両者合意により解決するのが退職勧奨(社長の顔が見える町工場にはそれなりの誠意ある勧奨の方法がある!!)

 経営困難に落ち入った会社のIWAKURA。 信用金庫の意向もあって、最低3人をリストラしなくてはならなくなった社長のめぐみ。徹夜し悩んだ末に、その人選をようやく決めた。 

 面接一人目、稲本氏
 めぐみ;これは強制ではありませんが、稲本さんに退職していただきたいと思っています。本当に申し訳ありません。
 稲本 ;そうですか。
   (そのまま、椅子から立ち上がる。)
 めぐみ;再就職先は、いっしょに探します。・・・・(そして)何かご質問はありませんか。
   (稲本、首を横に振る。)
   (そのまま、部屋から出ていく。)

 面接二人目、砂川氏
 砂川 ;何で俺なんですか。
 めぐみ;生産管理から1名辞めていただく必要があんのんです。
 砂川 ;若手違うて給料高いし、かといって、いてへんようなって困るほどのベテランではないというとこですか。
     ええよ、分かりました。お世話になった会社、困らしたかないしな。
 めぐみ;申し訳ありません。 
   (立って出ていく間際)
 砂川 :ほな、近いうちに退職届出しますわ。
 めぐみ;よろしくお願いします。
 舞  ;再就職先探すお手伝いさせてください。
 砂川 ;お嬢ちゃんも、こんなこと手伝うて大変やな。

 面接3人目、小森氏
 小森 ;いやです。退職勧奨ということは、断る自由もあることですよね。
     ほな、断ります。俺辞めません。   

 再就職先を探す過程で、小森さんの就職先については、金属加工をしている「長井」さんの所がいいと地元の会社仲間の話があった。そこで、長井の社長に小森が働いているのを見てもらったところ、「いい職人さんである」とほめていたことを舞が小森の伝えると、小森は次のように話し出した。俺が先代社長(浩太)初めて褒められた「ねじ」やと取り出し、そして「IWAKURAのねじは他とは違うと先代社長はいった。ここで働いていることは俺の自慢でな。けどな、俺が辞めな、IWAKURAがつぶれてしまうのやったら、しゃあないわ、おれやめるわ」。単に意地をこねているのではなく、小森は、このIWAKURAで働くことで、誇りをもって、仕事についていたのである。

 これは、いわゆる「退職勧奨」である。 労働契約の解除については、使用者からの使用者からの一方的な意思表示による「解雇」と労働者からの一方的な意思表示のよる「(依願)退職」がある。これに対して、退職勧奨の場合の「勧奨」というのは、労働者に対して労働契約解約の「申し込みの誘因(誘い)=退職を勧めること」に過ぎない。したがって、退職勧奨は、いわば、会社から従業員に対し「退職してくれませんか」とお願いしているのです。これを受けて、基本的には、労働者が退職届(願)を提出する解約の「申し込み」があって、この申し込みに対して使用者が「承諾」するという「(双方)合意(による)退職」などがあって、初めて「退職」となるのである。

 したがって、小森氏が言うように、退職勧奨は、申し込みの誘いであって、断る自由は当然ありますし、めぐみさんがいうように強制的なものでは全くないわけです。だから、例えば、退職しない意思表示をしているにかかわらず、しつこく何度も勧奨することは、違法となり損害賠償の対象となるので注意が必要です。

 また、砂川氏が「退職届を出しますわ」といったことにネットでの疑義が出されているようですが、確かに、退職勧奨の場合は、単なる退職とは違い「退職合意書」のような合意契約書(退職の合意・退職事由・退職までの出勤要否・私物貸与物の取り扱い等)を結んで、退職届としては提出しないこともあります。しかし、一般の就業規則には、「退職」の規定のみが規定されているところもあり、会社によっては、退職届を要求することがあり得ます。会社としても「退職の意思表示」は確認しなくてはならないことから考えると、退職届の提出を求めることはやむを得ないと考えられます。その場合には、労働者としては、その退職の事由として、一般的な「一身上の都合により」と書くのではなく「退職勧奨により」と書いておきましょう。

 そうでないと困ることが起きてしまう恐れがあります。経営困難による退職勧奨は、雇用保険上は、あくまでも自己都合の退職ではなく、会社都合の退職です。「正当な理由がない自己都合」と取られると、被保険者期間により最悪の場合には、失業手当(法の呼称では「基本手当」に改称されてはいる。)がもらえなかったり、失業手当の支給開始が2~3か月遅れたり、また支給される期間・額に差が生じてしまいます。また、退職金の規定があるところでは、自己都合と会社都合により、支給額に差が生じるところもあります。そこで、繰り返しになりますが、「退職勧奨による」という退職事由は、はっきり記載しておきましょう。

 さらに、条件によっては、退職してもよいという場合もあるでしょう。労働者としては、ある程度納得できる条件になるように、例えば、いわゆる「色をつけること」等を交渉してみる価値があるかもしれません。

 さて、冒頭のIWAKURAの退職勧奨の面談の例は、どう感じるでしょう。亡くなった先代社長の浩太は、小さな町工場から大きな夢を持って少しずつ会社を大きくしていき、その技術は他のどの会社にも負けないほどに成長した。それを見ていた従業員は、大企業と違い、社長の顔もすぐそばにあり、会社のためにかける思いや誇りには強いものがあった。それゆえ、退職勧奨の対象となった当の本人は、砂川氏のように「なんでおれが」という意識もあるが、それは会社の中の自分の位置づけを理解している当の本人が分かっていた部分もある。それゆえ、妻のめぐみが社長に就任して、やむえずリストラしたときは、先代社長やったらそんなことはなかったのにという思いと同時に、会社がつぶれるのやったら、自分がやめるしかないという退職勧奨に応じるようになったと思われる。

 一方めぐみと舞は、まずはこの面談が強制ではないことを伝えた上で、会社の実情から上乗せ給与等が出来ない分、会社としても再就職先を探すことを同時に伝えたのである。そして、事実、めぐみと舞は、再就職先を奔走して探しまわったのである。その過程で、小森が「なぜ辞めないと言った」のかも分かることとなり、従業員の心情に寄り添った点で、結果的には、良い結果を招いたと思われる。リストラするためのリストラではなく、めぐみも舞も誠意をもって従業員の立場にたってリストラで当たったのが、トラブルにならなかったのではないかと思われる。町工場の例であるが、大企業のような厳しい規定の沿ったものではない「ゆるゆる」ではあるが、それはそれなりのリストラの方法があると感じさせられた。<注>

  第80話・81話では、ジェット機用のねじの試作に取り組む過程が描かれたが、退職勧奨で長井金属(後継者問題で廃業のため)に移った小森氏が紆余曲折はあったが、IWAKURAに復帰することになった。                          

 舞;戻って来れるよう、精いっぱい頑張ります。 小森;信じたいけどな。それ無理やろ。

 舞の約束が果たせたのだ!!

 
 
 <注>IWAKURAの退職勧奨は、ドラマの中に描かれていたのは、1回目の退職勧奨である。2回目以降は、1回目で勧奨に応じた稲本・砂川氏に対しては、退職手続きの説明に入っていくことになり、拒否の意思を表明した小森に対しては、退職条件を変えたり、あるいは強制にならない程度で、まだ聞いていなかった拒否の理由を確かめたりして、次の段階に進んでいくことになるのだろう。

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NHKプラタモリ「高千穂」;高千穂峡・眞名井の滝・水神様・棚田の成立を地質学・歴史的に解明

2023-01-22 05:18:53 | 経済・歴史

 子供の頃遊んだ「用水路」の由来、こんな歴史があったのだ!!<神話の里・高千穂はどうできた?>

 NHKの23年1月21日(PM7:30)放送のプラタモリを見ていただきましたでしょうか。観光地の九州の高千穂(宮崎県)が取り上げられていました。観光として訪れた人にとっては、なんであんな風景が広がっているのかという不思議を説き明かしてくれることになりましたでしょうし、私のように高千穂出身の者にとっては、今の高千穂を科学的に説明されことにより、巣立った高千穂のよき姿を改めて、見直す機会になりました。

 プラタモリは、私の場合は、散歩の時間でいつもは見ていないわけですが、縁あっての頃良い「連絡」もあり、VTRにて見ました。そこでは、タモリさんの絶妙な語り口と地質学や地元の歴史家たちの解説を加えて、「高千穂」がいかに作られたかを説明してくれました。高千穂峡の観光地のあの渓谷のすばしさを見せながら、そびえ立つ巨大な柱状節理(柱状の岩の割れ方)のでき方や、なぜ神話に出てくる「眞名井の滝」があそこにあるのか、地質学(阿蘇山の溶岩流が流れた経緯)の解説を加えています。

 そして、その観光地・高千穂峡を見たとき、水が豊富にあると思いきや、昔は、生活用水にも困り「水神様」を地区のいたるところに祭り、貴重な「水」に祈りをささげていたという事実。天保の大飢饉を境に村をあげて一大事業として山の上の水源を基に用水路を張り巡らし、今の有名な「棚田」の風景が出来たということ。高千穂峡の絶景から、棚田の風景のすばらしさを結び付け、そしてそれには高千穂の人々が生活の困窮さから(特に「水」に焦点をあてる。)脱するためどうしたかを、科学的に説明してくれたのだ。私、高千穂出身の者にとっては、神話の世界は、いくぶん語り継がれたものもあって知っているところもあるが、地質学的に、また歴史的に、こういった「科学的な」高千穂の説明は聞いたことがなかった。「プラタモリ」の番組に感謝したい。

 実は、高千穂を紹介されるたびに思っていたのは、民俗(学)的な視点から、古来から受け継がれている風習を取りあげ、それだけならいいのだが、今では存在しないようなものまで現在も残っているような取り上げ方で、「面はゆい」思いをしたものだった。現在の捉え方をきっちりするならば、民俗学的な視点はもちろん否定するものではなく、必要なものであろう。プラタモリでは、そういった視点ではなく、現代と地質学的な時代を結んだ、すなわち「う~万年」前の阿蘇山の大噴火にその根源を発し、それらを科学的に結び付け、現在の高千穂の風景を説明してくれた。見事である。

 今も流れている(と思われる)山間を流れる「(用)水路」。田んぼに供給される水であることは知っていたが、こんな歴史があったとは驚きである。よく夏の暑いときには、子供の頃その水で遊んだものである。そして、誰かがそこでおぼれたためか、何時ごろからか学校ではそこでの遊びが禁止された記憶があるが・・・。その用水路にそんな歴史があったとは。

 見逃した方は、特に高千穂に由来を持つ方、プラタモリ(高千穂)を「NHKぷらす」(登録すれば簡単に見れる)では、まだ1週間見れますので(‘23 1月28日同放映時間終了まで)、是非ご覧ください。

   

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朝ドラ「舞いあがれ」(15週・決断の時)=夫の思いを実現(一見・不合理)するかは火事場のバカ力も含めて「ワクワク」を選択

2023-01-12 15:11:07 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 人生においては、大決断の時、感情的なもの(不合理なもの)を含めた総合的な体験が重要と思うのだ!!

 リーマンショック後の工場営業の困難等の苦労がたたってからか、心筋梗塞で突然亡くなった浩太(舞の父)。めぐみ(舞の母)は、連絡してない取引先がないか居間でチェックしていた。悠人(舞の兄)はパソコンに向かっている。舞が入ってきて、手伝おうかとめぐみの横に座ります。祥子(五島に住んでいる舞の祖母)は台所の片づけをしてだまって聞いている。
 悠人      工場どないするん。こういう話は早い方がいい。おれもしょちゅう帰ってくるわけにはいかんし。
 話を続ける悠人 売るのが一番いいて
 めぐみ     お父ちゃんは工場売るつもりはなかった。立て直すことだけを考えてた。
         そのお父ちゃんの気持ち大事にしたいねん。
        何か続けられる方法はないの
 悠人      親父がいなくなった今、状況はさらに悪くなっているねん。
 めぐみ     もうちょっと考えさせて。
 
 場面は変わり悠人は自分の部屋で、けんか別れしたまま亡くなった浩太のことを思い出していましたが、そこに祥子(五島に住んでいる舞の祖母)が入ってきて話しかけた。
 祥子 工場ば売ったほうがいいと思っているん。会社を継ぐつもりはないの。
 悠人 はい、ないです。おれの仕事は投資家やし、この世界で一流になるために努力してきた。
    投資家として冷静に計算して、今、工場を得るのがベストだと判断した。そんだけです。
 祥子 賢かけん。じゃばってん、人間や馬鹿力ば出るときがあるとさ。
    向かい風に強かけんが強くなることもあっとぞ。
 悠人 それ、舞もいってました。
 祥子 よく話し合えばよか。邪魔ばしたね。

 いったん、工場をたたむことを決心しためぐみだったが、浩太の「日記」を見直し改めて彼の工場にかける思いや、信金が工場の価値を見積に来る日の朝早く皆がそうじをするような従業員の態度、また、夫を早く亡くしめぐみを中学生から育てた祥子の思いなどを聞いて、その判断を翻し、工場を続けることにしたのである。

 それにしても、この「舞いあがれ」の作者は、人生におけるポイントを心得ており、それを脚本の中に反映させているのは見事というほかはない。⇒セリフの太字部分に留意

 人は、精神世界のあの世から、肉体を持ったこの世に生まれ出て、あの世では体験できない様々な経験をする中で、魂の成長をしていくという。めぐみのように、社長であった夫がなくなってどうするかというような窮地に立たせれる状況では、精神的な負担を含め、相当大きな決断を伴う究極の体験をすることになろう。簡単にいうようだが、そういった体験を通して、初めて大きな魂の成長が可能となるものであろう。そういった経験は、どの人の人生において、必ず訪れるものだとも思う。

 めぐみはいかに考えるべきか。冷静に考えれば、悠人のように今売るのが一番いいのかもしれないが、夫の会社にかける思いという一見合理的でない、感情的な思いというものも人生の分かれ目に立った時には、「つまらない」理由にはならないと思われる。感情的な夫の思いも、重要な要素となる。むしろ、夫の思いを実現したいというのを併せて決断するのが、この世での感情的な思いを含めた決断であろう。というのも、会社を売るというのは、今、分かっているだけの条件において「損得勘定」から見た判断(=この時点における考えられるの最適な解)であり、夫の思いを実現したいという「祥子がいう火事場のバカ力」が出てくる可能性は、全く含まれてはいないのである。未来は必ずしも悲観的に考えるべきではないのである。

 人生の決断に迷ったときには、楽しい方を選択せよというが、この楽しいというのは、苦しいのを選ばないというのではなく、ワクワクする方を選ぶことの意味だという。どちらを選んだにせよ、本人が苦しいと自覚すれば苦しいのだし、ワクワクするのあればそちらの方がいいというか、頑張って未来を切り開くことができるのだ。もともと、どちらを選んでも、人生においては、選ぶべき道だったと捉えることもできるが、ワクワクするのを選べば、人生を切り開いていけるので、そちらの方がいいのではないかということである。そして、結果的には、人生のよりよい経験をすることになるのである。

 私の場合を考えてみると、60歳定年の退職の際、職場が用意した仕事と資格を取っていたのでそれに関連する仕事するのかという「選択」には迷った。職場が用意した仕事は、いままで関連する仕事で同様の仕事を続ければよく、一方、資格関連の仕事は全く未知の仕事でどうなるか分からない仕事だった。しかし、職場が用意した仕事では、そのときのあっせんしてくれる上司が私のものすごくきらいな上司であって、その人の世話にはなりたくないという理由だけで断った。そんなばかな理由で、資格関連の仕事に就いた私だったが、今では、その仕事での経験をできたことは、良かったと思う。冷静に考えると、嫌いな上司が進める仕事とか考えずに、職場のあっせんを受けていれば、それなりの仕事はもらえたはずであるのだが、感情的には、人生そうはできないこともある、単に「自分の意地」というものかもしれないが・・・。一方で、「ワクワクできる仕事」として、何が起こるか分からない資格関連仕事を選んだのも事実である。今では、この仕事を選んで、いろんな経験をさせてもらってありがたいと思っているが、「上司との意地」で資格関連の仕事を選ばざるを得なかったのも間違いない。合理的な決断ではなく、感情的なものに動かされて決断するのも、人生における選択なのではないかと思う。

 さて、この週では、主人公の舞は、社長となる母と一緒に会社の経営を行うことを決断するが、同じパイロットの道を進めなくなった舞は柏木と別れることとなるという、悲しい結末を迎えることになった。
 さらに、パイロットの道をあきらめた(?)舞にとっては、テーマである「舞いあがれ」とは、別の意味付けをしなければならないことになるが、どうなるのだろうか。

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朝ドラ「舞いあがれ」=個々の人生の「個別の経験」はかけがえのない貴重な体験

2023-01-01 00:00:00 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 困難な人生の渦中では「自分は舞台に立つ主人公でその役柄を演じているのだ」と考えると客観的・痛みの緩和に役立つ!!

 眠れない舞は、航空会社の入社が1年延期にショックを受けたことをばんばに初めて明かす。そのときのばんばの台詞。
 ばんばの船は、出せん日も多か。嵐の日や、家でじっとしてるしかなかとじゃ。しゃけん、そいや無駄な時間とは思わん。嵐の日やけん、出くるこつもある。体を休めたり、備品を修理したりしてな。いつかは空も晴れる。それまで、出来ることばやればよかとかなかか。(「翼を休める島」60回 12/23(金))

 工場の受注が減少する中で胃潰瘍で入院したが、いまだ飛行機のねじを作ることに夢をいだく父。見舞に来た病院での舞のパイロット訓練の様子(セリフ)。
 大変やったけど楽しかった。あかん、私には無理やと思っても仲間に教えてもらったり、元気になってもう少し頑張ろうと思うねん。ほんだら、前の日、出来へんかったことも次の日に出来て、後チョットがんばろうかなあと思って。そういう日の繰り返しやった。しんどい思いをしたから、空を飛んだ日、ホンマうれしかってん。がんばったんは、この日のためやなって、そう思った。お父ちゃん、その日のためにガンバッテンねんや。(「向かい風の中で」61回 12/26(月) )

 人は、精神世界のあの世から、肉体を持ったこの世に生ま出て、あの世では体験できない様々な経験をして、魂の成長をすることに意義があるという。その成長度合いには、人それぞれであり、自分で今度はこんな経験がしてみたいという、ある程度の計画をもって生まれてくるという。それゆえ、個別に人生も違うものとなってくるものだし、人それぞれの体験も違ってくるのだ。舞のパイロットになる夢をもって努力するのもその人の人生だし、ばんばの海に生きるのもそうだし、定職を持たない親父を持ちナースになった久留美の人生もその人の個別の人生があるのだ。そして、それらの人生で経験する体験は、その人その人のかけがえのない貴重な体験となるのだ。

 その中でも、貴司のように職場になじめずドロップアウトしてしまったりの人生も、次のステージに進むための貴重な体験をしたことになるといえる。ただ、その非常に困難な人生の渦中にいるときは、どうしたらいいのか分からないことがあろう。私の場合、転勤した職場が全くの初めての仕事で、部下に長年にわたりその仕事をしてきたものがおり、その人からパワハラを受けた経験がある。そのときどうしたかと言うと、自分は舞台に立つ主人公でその役柄を演じているのだと考えた。考えるに、あの世の精神世界が魂の故郷であり、「体験」するために、この世には(誤解を恐れずにいえば、また言葉としてどうかと思うが)「プレイ=Play」するために訪れておるのであり、この体験が終了すれば、またあの世に帰っていくのであると考えられる。

 そうであれば、先ほど言ったが、「自分は舞台に立つ主人公でその厳しい役柄を演じているのだ」と考えても、なんら違和感はないだろう。そのことにより、自分を客観的にとらえることができたし、「痛み」もいくぶん緩和することができたと思う。 ※1 ただし、その痛みの和らいだパワハラの経験=「舞台の主人公の経験」であっても、経験は経験として残り、貴重な自分の体験として、記録されるのは間違いない。

 ※1 ただ、それは一時的なものであり、根本的な解決は、職場を変えてもらうことであり、直後の異動時期に動いたのを覚えている。
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