元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

ネガティブオプション(送り付け商法)は、消費者・商人によって対応が異なる!!

2014-04-25 18:22:06 | 社会保険労務士
消費者に送り付けられたら、一定期間後は処分可能だが、商人の場合は損害賠償も!?

 
 申し込まないのに、例えば書籍・健康食品等が送りつけられてきて、価格が3万円の値段が付けられている。代金の支払方法を書いたあいさつ文が添えられており、さらに振込用紙もついていました。こんな商法を「ネガティブオプション」とか「押し付け商法」とか言います。

 
 もちろん、申し込んでもいないのに、かってに送りつけてきたのですから、売買契約は成立していませんし、代金を支払う必要はありません。少なくとも、何の商品をいくらで買う買わないの申し込みと承諾の意思表示が合致して、はじめて契約は成立しますので、申し込んでもいないから、契約は、成立はしていません。だから、代金を払う必要はまったくありません。

 
 この契約不成立ということは、当たり前のことですが、私のような消費者側に身を置いた者(消費生活センターにいました)にとっては、当然のように、ネガティブオプション=送り付け商法として、この送り付けられた商品を一定期間保管すれば、後は処分してよいという風に考えますが、それは消費者としての見解であって、いわゆる「商人」である場合は、この対応が違ってくる場合があります。場合によっては、商品処分は、損害賠償が発生することになります。
 契約不成立は間違いないのですが、送られてきた商品をどうするかについては、消費者、「商人」によって対応が分かれてくるのです。

 まず、消費者に送り付けられた場合について、説明します。
 送られて来た商品については、その商品の所有権は送り付けてきた者にあります。相手の商品ですから、勝手に処分することはできないというのが、一般的な結論になります。

 ところが、この送り付け商法については、特定商取引法*で規定しています。その内容は、商品が送付された日から14日間、または業者に商品の引き取りを請求した場合は、その請求の日から7日間を経過したときから、業者は商品の返還請求権を失うというものです。
 
 *旧「訪問問販売法」、訪問販売を規制した法律でしたが、マルチ商法やモニター商法等の規制で、特定商取引を規制する法律ということで、特定商取引法に改められた。ただし、訪問販売法の時代から、この送り付け商法は、規定されています。 

 この場合の7日間、14日間というのは、起算日は送付された日(商品の引き取りにあっては、その請求したその日)を起算日としますので、民法の一般的な起算日からすれば、夜中の12時からスタートするのでなければ、普通は翌日から起算しますので、実質13日、業者に引き取りを請求したときは、6日間ということになります。

 すなわち、勝手に送り付けられた商品については、送り付けられた日から起算して14日間、または業者に引き取りを請求した場合は7日間の間、保管しておけば、この期間だけじっと我慢の子で保管したのちは、業者は返還請求権を失うので、後は煮るなり焼くどうしようと勝手であるということになります。

 ところが、このネガティブオプションの一定期間の経過の後は、処分していいとされているのは、いわゆる送り付けられた方が消費者の場合です。というのは、この規定では、「その商品を受けた者のために商行為となる売買契約の申し込みについては、適用しない」となっていまして、「商行為となる売買契約」については、適用しないのです。したがって、商行為とならない「消費者」についてのみ、この一定期間保管後の処分は認められることになります。

 では、この商行為とはなんでしょうか。これは商法に規定があり、一言では説明できないところですが、簡単に言えば、誰がやっても、物を買い、それを売ってもうけようとする行為はすべて商行為になるのです(絶対的商行為)が、それだけではなく、営業として行えば商行為となる業種についても定めています(営業的商行為)。そして、この商行為をなりわいとしている者を「商人」と呼んでいます。さらに、株式会社や有限会社は、業種・業態にかかわらず、すべて「商人」とされています。総じて、株式会社としての商人、あるいは個人で行っている自営業者としての商人があるということです。

 したがって、この商人については、必ずしも一定の期間保管すればいいとは限りません。少なくとも「商行為となる売買契約」については、一定期間保管後の処分は認められません。(以下「次回」につづく

 なお、この書籍が公立図書館に送られてきた場合はどうでしょうか。公的機関等は商行為をしているとはいえませんので、一定期間後の処分は認められます。
 さらに、わたしたち社会保険労務士や弁護士は、どうでしょうか。「士」が付くため「士業」といわれていますが、士業は商人ではありませんし、その行為は商行為には該当しないとされていますので、同様に一定期間後の処分が可能ということになります。
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坂本竜馬の絶命寸前の手紙を発見<経済で国を動かす政治理念・思想が分かる>

2014-04-18 18:08:06 | 社会保険労務士
 組織のリーダーは、困難に直面したとき、未来の目標を指し示す必要!! 

 なんでこんなものが今頃ここに、しかもちゃぶ台の下に!古物商から1000円で入手!!

坂本竜馬が暗殺される10日前(頃)に、土佐藩の参政 後藤象二郎にあてた直筆の手紙の下書きが東京都内で発見された。この大発見のきっかけは、NHK情報バラエティー番組の「突撃!アッとホーム」であるというから驚きである。バイきんぐが番組の中で偶然出会った主婦秦優子さん、父が約30年前に古物商から1000円で買ったものだというが、ちゃぶ台の下に置いてあった。NHKスタッフは、初め偽物だと思っていたが、番組取材で、高知県坂本龍馬記念館、下関市長府博物館、京都国立博物館の鑑定をしてもらううちに、まちがいなくほんものであることが分かった。

 この手紙は、福井藩の松平春嶽に土佐藩の命を受けて、会いに行った時の「復命書」である。司馬遼太郎の「竜馬が行く」では、福井に行って松平春嶽本人に面会したとされているが、この手紙では、本人に会えなくて、代わりに三岡八郎(後の「由利公正」である。)にあったと記されている。こういった事実や、下書きであるため、逆に竜馬の正直な本音がにじむ出て出ているため、非常に貴重な史料であって、価値が高く1500万円の値段が付くという。

 当時の歴史の流れを時系列にすると、1867年は、竜馬の働きもあった10月14日*の大政奉還、その直後の10月30日に福井を訪ねて三岡八郎に面会、11月5日に京都に戻っている、そして同15日に近江屋事件で竜馬が暗殺されることになる。(ゆえに、京都に帰ってから復命書を書いたとすれば、11月5日から11月15日の間で手紙をしたためたことになる。)

 注目すべきは、大政奉還後の新政府の樹立をにらみ、福井藩士の三岡八郎を財政担当として、この土佐藩にあてた手紙の中で推薦している点である。手紙文中では、新政府の財政担当は「三八(三岡八郎の「三八」)を置かば他二人なかるべし」となっている。福井藩の財政立ちなおしの立役者となった三岡に会って、三岡が幕府の財政を憂いていたことに、国の財政の担当者になるべしと、ますます意を強くするのである。土佐藩主山内容堂らが大政奉還を企てたので、土佐藩の言うことに、だれもが一目置くようになったからかはわからないが、事実、三岡八郎は、新政府の基本方針を示した「五箇条の御誓文」の起草に参画し、財政政策にかかわっている。

 今でいえば、世界的に見ても、政治が悪いのでまずは政権を倒せば何とかなるというような者が多い中で、当時の竜馬は一つ違っていた。日本の未来を見据えて、「船中八策」を唱えたのも竜馬であるし、新政権樹立後すぐに財政政策担当を誰にするかを考えていたのも、非常にたぐいまれな将来を見通す先見の明を持っていたといえる。いまでこそ、文化・政治等には、経済的な基礎があって、はじめて成り立つと考えられているが、当時、明治政府の樹立の基盤において、「経済で国を動かすという龍馬の政治理念や思想を感じさせる」(毎日新聞、高知県坂本龍馬の森館長)ものであり、龍馬の発想がいかにすばらしいものであったかが分かる。

 と同時に日本のリーダーとして考えたとき、目標を示して、あるべき未来の到達点をまず示し、皆がそれを共有することが、必要不可欠であるとされる。とくに、江戸幕府が解体したときにおいて、日本が進むべき道を示さない限り、未来はない。その点において、坂本竜馬が経済がまずは基本であるという発想とその人材を見つける作業をしていたということには、素晴らしいものであると考えるのである。会社という組織においても、窮地に追い込まれたとき、目標を示すリーダーの存在は、同様に大きなものがある。

 歴史に「もし」はないといわれるが、あと少し生きていて明治政府の姿を見ていて欲しかったと思うのは私だけではないだろう。
 
*10月15日から10月14日に訂正しました。(2014年4月19日)
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「仕事と家庭の両立支援ガイドブック」(宮崎県労働政策課作成)の紹介<妊娠中の解雇は原則無効>

2014-04-11 18:37:52 | 社会保険労務士
 解雇が有効とするためには、解雇と妊娠・出産等との間に因果関係がないことを証明することが必要!!

 はたらくみなさんへ「仕事と家庭の両立支援ガイドブック」(両立を支援するための法律のあらまし)と書いた、宮崎県労働政策課発行の冊子が手元にあります。これは、法律のあらましとして、妊娠中の勤務、産前・産後の休暇、出産、育児休業、復職後の勤務、介護休業、要介護状態の労働者の勤務時間等に分けて、労働者が取り得る制度の条文等が最初のページに書いてあり、次のページからは、Q & A形式で述べてあり、全体で16ページですので、さっと概要を把握するには、ちょうどよい分量です。というのは、この仕事と家庭の両立支援に関する法律は、主には、男女雇用機会均等法ですが、その他、労働基準法、健康保険法、育児介護休業法などの法律の規定があるから、そのちょっとした全体の概要をつかむのには、適当な冊子だと思われます。興味のある方は、県の機関等のパンフレットのコーナー等においてありますので、見て見られるといいと思います。

 その中で、気になる条文がありますので、紹介しておきます。

 男女雇用機会均等法
 第9条
 3 事業主は、その雇用する女性労働者が妊娠したこと、出産したこと、労働基準法の産前・産後の休暇を請求し休業したこと、その他の妊娠・出産に関する事由(厚生労働省令を定めているもの)を理由として、当該女性労働者に対して解雇その他不利益な取り扱いをしてはならない。
 4 妊娠中の女性労働者及び出産後一年を経過しない女性労働者に対してなされた解雇は、無効とする。ただし、事業主が当該解雇が前項に規定する事由を理由とする解雇でないことを証明したときは、この限りでない。
 
 ここで、注目したいのは、4項の「妊娠中と出産後1年を経過しない女性労働者に対してなされた解雇は、無効とする」と言い切っているところです。ただし、別の規定ですが「産前・産後休暇期間とこれに続く30日間は、いかなる理由の解雇についても絶対的に禁止」されているところですが、これとは違い、続く文章では、但し書きが次に続いていまして「事業主が・・・を証明したときは、この限りではない」として、ちょっとはゆるくはなっていますが、「無効にする」と断定している点は、法律としては、非常に厳しい表現であると考えます。

 では、無効にならないのは、事業主が、妊娠、出産、産前産後の休業、その他労働基準法の母性保護措置や男女機会均等法の母性健康管理措置を受けたこと・受けようとしたこと、妊娠・出産に起因する能率低下や労働不能があったこと等(これは3項に書いてある不利益な取り扱いの事由です。)を理由とする解雇ではないことを証明したときのみについて、解雇が認められるとしています。

 繰り返しますが、まずは、妊娠中と出産後1年を経たない解雇は無効とした上で、事業主が前項の3項に該当しないことを証明したときだけに、初めて無効ではなく、解雇が有効になるとしている点です。

 事業主については、非常に厳しい規定になっています。逆にいえば、今まで、妊娠・出産に関して、安易に解雇という措置が取られていたので、それはなりませんよという、裏返しの規定なのかもしれません。

 これで、上の期間の解雇をした場合は、ボールは事業主にあるわけで、3項の妊娠・出産に関する理由でないことを証明しなければなりません。
 特に、能率低下や労働不能を理由とする場合でも、それが妊娠・出産に起因するものであったときはアウトになるわけです。解雇は「客観的・合理的理由がなく、社会通念上相当と認められない場合は、権利濫用として無効」(労働契約法16条)の条文があることから言って、くだけた言い方をすれば、その理由が、妊娠・出産等に関与しているか否かについて、3項に該当するのが、一般常識的に認められるよというのであれば、事業主としては、3項に規定する解雇ではないと証明できないすることが難しいわけで、その場合は解雇は無効となりますので、注意すべき規定です。

 有期雇用契約についても、この規定は適用されるますが、はっきり、3項に規定する解雇でない、雇止めであることを事業主が証明できるのであれば、解雇は認められます。しかし、有期雇用契約が何度か反復してなされ、雇止めが解雇と同一視出来ると認められる状態になっていた場合などは、契約更新が認められますので、これとの絡みがあって、事業主は、さらなる慎重な対応が求められます。

(平成24年8月から、判例にあった「雇止法理」として、明確に労働契約法9条に規定された。さらに、通算5年を超えて契約更新した労働者は、無期契約の転換規定が同18条に25年4月から施行されている。これについては、別の機会に説明したいと思います。)、
 
 
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黒田官兵衛の異見会の基となった「異見に対する考え方」について<諫言の取り扱い>

2014-04-04 18:46:59 | 社会保険労務士
 官兵衛のリーダーとしての度量の大きさ<諫言=忠告の扱い方>


黒田官兵衛は、福岡に転勤の身となったが、子の長政に言い伝えて、「家」を守るために、あえて「異見会」という政治手法を編み出したということを、前に書いたが<>、それは彼が、次代を担う「天下人」の気質を備えていたから、秀吉や家康からに警戒されたため、考え出したものと言える。

 
 読んで字のごとく、「異見会」=異なった意見を言う会なのである。意見の一致をみる「意見」ではなく、あえて、モノをいう「異見」を言う会なのである。トップの考えにイエスではなく、あえて違った意見を言わせるところに意義があるのである。

 
 それでは、異見がまとまらないという方もいるかもしれないが、これも「慎重さ」の重視であって、もう戦国の世ではなく、江戸の太平の世の中に移行していた当時の政治手法としては、理にかなっていたのあり、明治の廃藩置県まで続いたのは、その表れであろう。


 この異見会の制度は、秀吉・家康から、彼が警戒されているのに対し、親友の小早川隆景が「あなたは決断が速すぎる。もっとゆっくりと慎重に考えてもよかろう」と忠告したことから来ているとも考えられる。彼の即断則決は、すばやくかつ的確な判断を下していたのであるので、私ならすぐに反論するであろうが、彼は、そういった諫言を受け入れる、リーダーとしての度量の大きさを持っていたのであろう。

 
 彼はよく次のように言っていたという。(以下、童門冬二著「戦国武将一日一言」1月18日 の分から)
 
人間には必ず、相口、不相口というのがある。相口というのは、他人の心をよく知ってそれに合わせることだ。不相口というのは、逆らって異見を言う者をいう。が、大切なのは不相口であって、相口の者ばかりまわりに集めたのでは、決してその者にとっていいことではない。不相口の者が言う異見に耳を傾けるべきだ。


 確かに難しい事ではあろうが、しかりである。


<異見会は現在の経営手法にも通じる>
<異見会と黒田家の家訓>


 参考:童門冬二著「戦国武将一日一言」PHP文庫 他
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