元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

朝ドラ・ らんまん第54 回「ユウガオ」=<神はこの世での財産名誉欲には正・悪を判断しない>責められるように感じるのはなぜ!!

2023-06-19 15:36:26 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 だれかに認めてもらいたいとそう思って「不安」で行動するから

 万太郎は石版印刷の技術をも習得。植物学会の会報誌ともいう雑誌の創刊号にこぎ着けた。                       

田辺教授;日本の植物学は、やっと目が出たということを世界に知らせるいい機会だろう。               私が雑誌を思いついたからこそ、こういう形になったわけだ。雑誌にするといったのは私だろう。

万太郎;はい、そのとおりです。

田辺教授;よかったじゃないか。槙野君、私が雑誌作りを許したおかげで、こうして見事にできたじゃないか。

万太郎;はい、ほんまにありがとうございました。うれしいですき。

 万太郎が雑誌の発刊を発案したのを知っている皆は、教授の態度にあきれている。また、万太郎のその調子の良さにもあきれているようだ。

 田辺教授は、財産・名誉欲の権化のようだ。雑誌がうまくできていなかったら燃やせばいいとまで言い切った教授であったがその出来栄えに感心して、人の手柄を横取りするのもいとわない。一方、万太郎と言えば、日本での植物学が世界に広まっていけばよいという純粋な目的による雑誌発行である。多分、万太郎のあの世で見つけ出した課題・そのための自分への問題集は、世界に遅れていた日本の植物学を日本で根づかせ、総まとめとして「植物図鑑」の発刊であろう。そして、この学会誌はその一歩であったのであろう。それゆえ、彼にとってこの雑誌の発刊は、この世の名誉や地位なんてものは目にはなく、その人生の問題集を解くため、そのための挑戦であって、それに向かう一直線にすぎないのだ。

 人は神に近づくために何度も生まれ変わるし、時には田辺教授のように、その生まれ変わった世において、地位・名誉のとりこになることもあるだろう。そのこと自体、神はそれを良いとか悪いとかはいうことはできないとし、まして罰するとかはしないという。(神との対話1) そういう生き方も認めるが、なんども何度も生まれ変わるうちには、最終的に自分の目指す方向はそこにあるんじゃないと自分で気づくんじゃないかということなのだろう。

 田辺教授のように、地位・名誉にとらわれすぎると「追いかけられている」「責められている」という感にとらわれることがあるだろう。田辺教授と著者の私を同レベルでとらえるのは、どうかと思うが、私が現役時代には、常にそういった感覚で仕事をしていたように思う。特に私みたいに天才的な才能は持っていないために、いつも誰かがトップにいたような場合には、「満足できずに」いつも追いかけられている感じであったのである。これは、地位・名誉にとらわれすぎだし、今思えばある程度の生活レベルが確保できれば「ばんばんざい」ということでは満足できなかったのか、ということでもあるのだが・・・。

 いつも誰かに責められているというある人が、退行催眠を受けて「光」からのメッセージは、「自分が何かをできるいということを、他人に見せようとしている。だれかに認めてもらいたいと、そう思って、そういう不安で行動している。それは違う。」という。

 どう変えていったいいのか、ヒントをください。自分に素直になること。恐れないこと。他人から認めてもらうことは必要じゃない。お前は、もう認められている。だから、もっと、愛を、自分の愛を信じて生きていけばよい

 私はいつも責められているような気がしているんです。「それは、学ばなければならないこと。誰もが必要な存在であること。何かができるとか、そういうことではない。自分も人も、人生も、愛にゆだねることを学ばなければいけない。責めるのではなく、許さなくてはならない。」 

 今の私は周りの人を幸せにしていますか。幸せにしている。なのに、お前は、自分をとても責めている。」*1 

 前にも書いたが、この世を卒業して、「光」から投げかけられるのは、人間社会で成功したかは全く関係なく、2つの質問だけだという。

 「充分に、学んできたか。」 「充分に愛してきたか。」飯田史彦氏 (ツインソウルPHP研究所P77)

 「人生を楽しみましたか。」 「人に親切にしましたか。」斎藤一人氏 (変な人が書いた世の中にしくみP176/177)

 どちらも表現は違っても同じことを言っているように思う。日本人にとっては「愛」(高尚な愛というべきか)という言葉は、日常表現としてあまり使わないので、斎藤氏は「人への親切」で言い換えているように思う。 

参考:神との対話1(Nウォルシュ著)   

*1 引用;完全版生きがいの創造 飯田史彦著 PHP文庫P200・201 

 

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マイナ保険証のミス原因はカード自体ではなく組織外を見ない組織人の計画弱点が曝け出される!!<年金・家族口座の紐づけ誤りにも言及>

2023-06-04 15:39:37 | 職場・組織等

 大規模な改革をする時は大きな目(組織を超えた)を持って問題点を洗い出し徹底的に 解決していくことが必要だった!!

 特にマイナ保険証は命に直結する問題で軽々しくヒューマンエラーで済ましてほしくない!!! 

 マイナンバーカードに関して、コンビニ交付の別人の住民票や登録抹消した印鑑証明書の発行、マイナー保険証に別人の医療情報の登録、また公金受取口座が他人の口座に誤って登録されたというような、本来あってはならないシステムのミスが報告されている。これらは、主導して行った国とは別の民間が絡むもので、コンビニの誤交付は開発したシステム会社によると予期せぬデータ入力がありその「上書き」が原因だというし、マイナ保険証については、情報登録を担当した健康保険組合などが手作業により誤った他人の保険証を登録したのが原因であり、確かに国自体のミスでもない。また、公金受取口座の誤った登録については、市町村で同じ機械で登録する際に、ナンバーカードを持つ個人が変わったにも関わらずに、ログアウトせずに、その前に機械を使用していた利用者のナンバーカードに登録してしまったことが原因であるようだ。これも国自体のミスでもないといえばそうも言える。

   しかし、あれほどまでに鳴り物入りで利点を強調して動き出したマイナーカード。国民の中には、それなら協力しようというものが多数いたはずで、私もその一人である。マイナンバーカードのICチップやマイナンバー制度自体の「守秘」の部分そのものについては、問題は起きてはいない。問題はその取り巻く環境というべきもので、コンビニ交付は、電算開発システム会社に任せたままになっていなかったか(十分テストをしてシステムを受け取ったのか)、マイナ保険証は健康保険組合に任せっきりになっていなかったか(再チェックをさせたのか。その十分な時間はあったのか。)、公金受取口座については、市町村に通達する際に「ログアウトの確認や最後に名前等と入力内容の確認をする」ようによーく通知したのか、の疑問が残る。

 これらは、総務省が企画し、保険証については厚生労働省が実働部隊であり、さらに後からデジタル庁が音頭を取るようになった。よく省庁の壁と言われるが、確かにそうであろう。しかし、ここには、もっと大きな問題が潜んでいるように思えてならない。このマイナンバー制度は、省庁をまたがる大きな制度であるという認識がなかったのではないのかという点である。本来、このマイナンバー制度の目的は、税や福祉や災害時の効率的な運用を行うよう始めたものである。それがコロナの支援金のすぐに分配が出来ずに問題になったことから、政府はまずをもって口座の紐づけを考えるようになった。はじめよりさらに大規模なマイナンバー制度のなったので、もっと大きな省庁をまたがる制度という認識が必要になった。なにが言いたいかというと、一(いち)省庁が企画するのではなく、例えば内閣府なので、初めからこういう制度を作るとどんなことが起きるかの問題点を書き出して、それに対応する措置をひとつ一つ詰めていったのかということである。そうすれば、個人情報保護の観点から、コンビニ交付の別人発行、マイナ保険証の別人登録や公金受取口座の誤登録の問題も予測でき、これが防げたように思う。今回の一つひとつのミスは、よーく考えてみると、いわゆる単純ミスである。これが防げなかったのである。

 なぜそれが十分に行われなかったのか。これには、いわゆる省庁の壁という前に、組織人は組織の外は見ないのではなく、意図するわけではないが、見ないようにしているように思えてならない。組織人は、組織の中では、綿密詳細な計画を行うには得意であるが、このナンバーカードは組織を超えて考えなければならず、この組織の枠を超えて考えるのが不得意なのである。例えば、組織の外になると、例えばコンビニ住民票交付等のシステム開発会社への委託すれば、委託してそれで終わり、そこから先はあまりチェックしないことになる。ちょっと飛ぶかもしれないが、好戦論者ではないにも関わらずに軍の考えに縛られ太平洋戦争の火ぶたを切った山本五十六艦長の例がある。そこは、企画する総理や担当大臣がもっとリードすべきだったのであろう。

 さて、マイナ保険証については、医療機関で作る「全国保険団体連合会」が23年5月31日にアンケート結果を公表し政府に苦言を呈しています。マイナー保険証を取り入れている医療機関2440件から回答があった中で、6割を超える1556件からトラブったとの報告があったとのこと。その中で特に深刻なのは、機械で読み取ったマイナ保険証で「保険資格無効」とか「資格保険なし」があり、トラブったケースの最も多い62.2%あったとのこと。これらはいわゆる「無保険者扱い」で公的医療保険に加入していないと受け取られるので、100%自己負担になります。未加入でないにも関わらず、例えば転職・退職・結婚など保険者(=国民健康保険や保険組合等)が変わった場合に、マイナ保険証の入力が手続上遅れれば、紙の保険証が既に本人に渡されていても、マイナ保険証の上では「無保険者」になることが考えられます。(ある診療所の院長が言うには、一日の患者100人~130人のうち1・2人は必ずいるとのこと;東京) これについて、全国保険団体連合会ではシステム改善を申し入れていたにもかかわらず、そのままになったとのことです。そのほか、カードリーダーや顔認証システムの不具合、またそこで持っている病院の従来のシステムとの不具合などもあるようで、病院の日常業務に支障が出ているとのことです。ここで、一番問題なのは、全国保険団体連合会がこの資格確認の件での延期を申し入れたにもかかわらずに、そのままになったしまったということです。先ほど言った制度を作る際に全体の問題点を洗い出す際に、この問題は出てきてなかったのか、少なくとも当該連合会が申し入れしたというからには、どこかの部署で認識をしていたはずなのに、見過ごされたという点です。

 一番困るのは診療をする側の医療機関です。コロナで人の命を預かることから一生懸命行ってきたにも関わらずに、またここにきて、マイナー保険証でトラブルのは考えられません。すでに起きている現場の混乱はだれが責任を取ってくれるのでしょうか。私も昔医事係に勤めていたことから、お医者さんや看護婦さんやコ・ワーカーの方々には頭が下がる思いです。

 もともとマイナ保険証には、他の医療機関でどんな病気でどんな薬が投与されているのかを見るためには、このマイナ保険証が欠かせませんと言っていたはずです。それが別人が登録されているとすれば、反対に、併用禁忌や過剰投与がなされないとは限りません。それこそ、命の問題です、誰が責任を持ってくれるのでしょうか。

 どこかれとはなく言われる「ヒューマンエラー」ということばで軽々と済ましてしまえる問題ではありません。個人情報漏洩だけの問題ではなく、マイナ保険証は命に係わる問題です。現場の病院・診療所は、もっと怒っていいはずです。こういう大規模な改革をする時には、組織を超えた大きな目を持って、問題点を洗い出しそれをしらみつぶしに 解決していくことが必要だったのです。

 <追伸さらに、この記事を書いて1週間立たないうちに、「マイナーポータル」から他人の年金情報の閲覧可能、公金受取口座紐づけで家族(特に子供)の口座を登録しているとの問題が発生している。他人の年金情報の閲覧の問題については、マイナーカードと年金情報の紐づけの問題であって、これは取りも直さず、本論で問題となった「省庁の壁」の問題である(今問題となっているのは「共済組合」との関係である)。 また、公金口座紐づけについては、なんぼ国は家族の口座では登録できませんと「Q&A」で注意を促していても、口座登録の中で「これが不可であること」をちゃんとチェックできるようにしていなければ、実際には、口座入力の際に他人(家族)の口座でも登録できる形になっているのでは、国民としては 「登録できた」からこれでいいんだ・OKとなるように思う。これは国の制度設計ミスであるように思えてならない。いずれにしても、再度総括的に言うと、 国がマイナンバーカードの導入の際、省庁を超えて大きくとらえて、こうなったらこうなるといった考えられる問題点をすべて洗い出し、組織を超えて一つひとつにつき検討をしていったのかということなのである。マイナンバーカードの根幹については、デジタル大臣が言うように確かに問題はないものの、これほど問題が指摘されると元々国民が問題にし初めから指摘されていた「個人情報保護」そのものが揺らいでおり、再度立ち止まってチェックをしてほしいものだ。

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