元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

転職を考える!!ー会社の中という制限・労働生産性から・一人生一職場か

2024-04-27 16:41:10 | 職場・組織等

 就職してもすぐに辞めるのにはワケがある場合も・・・

 3月末のサンデーモーニングに出演していた元村由希子氏(元毎日新聞解説委員、科学技術の分かり安い解説に定評があり)が自分が転職したからではないが・・・として、一般的な「転職の理由」として、次の3つを挙げた。

 ① 自分の価値を高めること

 ② 自分の時間を持てること

 ③ 起業化・独立化の方向性その可能性                                          

 私、昭和時代の社員にとっては、会社と向き合う場合に、会社の中でという形で、自分の価値を高め、会社の中で自分の時間を持ちということを考え、最後の独立化など考えようがなかった。それは「会社に縛られていること」からの発想で、しかしながら、会社に縛られないとした場合には、もっともっと自分の価値を高められるかも、自分の時間を持てるかも、自分なりの発想で自由に動けるかも(独立)と思えたところでもある。これらの理由は、会社の中にいる限り、会社に縛られ自由に動けないことの裏返しでもある。そうはいうものの、会社の中にいる限りは、その個人の生活を含めて、会社が守ってくれるのである。だからこそ、会社というものが、言い方は悪いが「自由の足かせ」になろうとも、会社の中にいるのであろう。特に、昭和の時代にあっては、各社員が会社を守り会社に忠誠を誓い、共に会社ともに歩むことが、会社の成長を支え、それが経済の発展、もっと言うなら高度経済成長につながって来た。

 しかし、今はそういう時代(高度の成長期)ではない。能力のある者は、その能力に応じて、その能力をもっともっと会社の外に伸ばして欲しい。元村氏のように、能力のある者は、もっともっとその価値を高めて欲しいものである。

 転職が普通に行われる欧米においては、転職を契機に給料が上がっていくことがよくあることだという。日本の給料の低い原因になっているのは、日常茶飯事的な転職が行われないことにあるともいう。会社が会社員を生活を支え、会社員も会社に忠誠を誓うという日本的経営の形態は、日本が持つ強みでもある。しかし、極端に言えば、皆が残業するからといって、皆が残るというような「なれ合い」的な仕事の仕方はやめて、今からは、どうしたら「労働生産的」なのかを考えながら仕事をしていくのを基本としなければならない。会社という枠に縛られず、時には、他の職場で、転職を含めて、仕事をするというのも、必要なのかもしれない。

 経済学で言う「労働」というのは、特に会社間の労働の自由な移動というのは、当然出来るというのが原則である。それだからこそ、最大の結果(生産量)をもたらすと考えるのである。それを会社間で限定的にしか移動できないというのは、現実の日本の経済であろうが、それは経済学が考えるものとは、相違があることになる。現実の日本経済においても、変数的に扱える経済であってほしい。

 一方、出口が「転職等」であるとすれば、入り口は「就職」である。最近では就職してもすぐに辞めるケースもめずらしくなく、辞める側の辛抱の欠如に求めることも多い。そのため、退職を肩代わりするサービスもあるという。しかし、その辞める理由として、中には合理的な理由もあるという。自由な職場だといわれたのに、会社に入ったら服装はこれこれでという強制されたとか、自分はこれこれの職種ということで了解してもらっていたのに全く別の職場になったとか、それなりに納得できる理由もある。これは、最初の会社の説明等が不十分さからくるところもあろうが、お互いに不幸である。就職活動でやっとつかんだ「会社」は、居心地のいい会社であってほしい。就職活動において、どうしたら「公平さ」「納得性」が保てるかの問題でもあって、十分な分かり合える就職システムが出来ることを望むものである。

 入り口の就職から、出口の転職まで、その人にとって、人生の大きな転機である。言い換えれば、それは、その人の「価値」・「時間」・「独立化」という点から、かけがえのない大切な転換点であろう。就職において、自分が納得できない状況にならないようなシステム、転職においては、一生をその会社に尽くすということだけでなく、より自分を高める・より自分の時間を持つといった転職や独立化の動きにもっていくことが、日本経済がうまく動き出すことになるのだと思う。経済学的には、そのようなことが実現するシステムが、最大の利益や生産等をもたらすことになるのだと思う。その人なりの全身全霊を打ち込めるような仕事に就いて欲しいということでもある。そのためには、的確な就職・転職が、必要ということであり、昔のように「一人生・一職場」ということに限らないということでもあろう。

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秀吉にみる人心掌握術の極意・情と知で「人を動かす」=コミュニケ力・動機づけ・目標管理・企画力・競争

2023-09-18 14:50:42 | 職場・組織等

 社員教育の能力開発に対する「題材」=逸材の人物が秀吉!!<管理監督者研修>

 本棚を整理していたら社員研修時代の講師として、 自分が書いた文章がでてきました。現在放映されている「どうする家康」では、「欲望のかたまり」的な怪演、「秀吉」を俳優のムロツヨシさんが演じています。なぜ秀吉は天下を取り得たのか。この文では、脚色じみていて単純化していますが、彼がコミュニケーション力、動機づけ、目標管理・企画力の「人を動かす天才」であり、「情と知の管理」に優れていた点で、社員の能力開発の題材として、彼の話は良いネタになったのです。これは、今も変わらないと思われます。

1 秀吉は「人を動かす」天才                                              NHKの大河ドラマは97年は毛利元就です。96年は秀吉でした。※これらから97年の記述である事が分かる。

 実は、その前に、緒形拳さんが同じNHKの大河ドラマで、太閤記の主人公、秀吉をやっていらしゃいます。20年以上(記述当時の97年から起算しての話)の前の話です。※亡・緒形拳のはまり役だったのはご存じのとおり

 これほどまでに、秀吉がなぜ放送されるのか。農民から天下を取った天下取り、出世物語だけではない、一般には、現代にも通じる生き方をそこに見ることができるからではないかと思われます。

 としては、秀吉からは「人の管理、人を動かす天才」であったことから、人心掌握術「人を動かすノウハウ」をそこから学ぶことが出来るからではないかと思われます。

〇 を動かす天才であったことを示すこんな例があります。手柄をたてて、はじめて城持ち大名となった、すなわち信長の命を受け長浜城の城主になったときのこと。今まで木下藤吉郎と名乗っていましたが、信長が「せっかく城主になったのだから、もっと良い名前がいい。何がいい」といいました。先輩の大名に羽柴長秀と柴田勝家という方がいました。その先輩のいる前で、『尊敬する先輩方、羽柴様の「羽」と柴田様の「柴」を取って、「羽柴秀吉」と改めたいと思います。』とやったのだ。今まで、下っ端と思っていた秀吉が、自分と同じ城持ち大名になる、彼らにとって、これほど複雑な気持ちはありません。しかし、そういった複雑な気分のところで、ハッキリ言って面白くないーそこへ尊敬する先輩から名前をもらってと言われるとまんざら悪い気もしない。柴田さんとは最後まで対立してしまうのです(信長亡き後の後継者争い~賤ケ岳の戦い)が、その時、柴田さんは「同僚としてがんばろうや」と肩をたたいたといわれています。こんな人とのつながりをうまく、心の変化を敏感に感じ、気配りの勧めをやったのが秀吉さんです。

2 秀吉の「人を動かす」才能                                          〇 さて、秀吉の人を動かすポイントは、3つあります。                                〇 一つは、人間関係、コミュニケーションの天才であったことが挙げられます。秀吉がよくやったのが「ニコポン」です。ニコッと笑ってポンと肩をたたく。これは、人間関係をうまく保つことに役立つ、人間関係の潤滑油となる。とにかく、このニコポンに代表するように、人間関係、コミュニケに気を配ったというのが一点。

 2番目に、動機づけがうまかった。人を動かすためには、人をその気にさせなきゃ人は動きません。信長の指示したことを部下に伝えるとき、自分の言葉で伝えた。咀嚼して自分の言葉で伝えた。そしてなるほどと思わせ、その気にさせた。他の武将たちは信長は結論だけしか言わないので、その真意が分からずなかなか説明することができないが、秀吉は、信長の真意を理解し嚙み砕いてうまく説明・納得させ協力させた。(この例は、後で項を改めて「3」で説明)

〇 3番目に、秀吉は企画の天才であった。これは、人の掌握術からは若干外れるとは思いますが、なんで人をうまく動かしたかと聞かれるとこれをあげざるを得ません。人を動かすためには、そのやってもらう企画そのものが、人が納得できるものでないと、ひきつけるものがないと人は動きません。この点において、秀吉は天才的な企画の持ち主であった。                                                  

〇 ご存じだと思いますが、墨俣(すのまた)の一夜城の話、敵地に一夜のうちに城を建てたという話はご存じだと思います。まむしの斎藤道三の孫の龍興の時代 斎藤さんの土地に攻め入る、その足掛かりとして敵地に、川があってここまでは織田の領地、川の向こうが斎藤さんの領地、この斎藤さんの領地に一夜のうちに城を作ってしまった。これは、川の上流であらかじめ必要な形で木を切っておいて、今でいうプレハブ住宅の「ユニット」にして、組み立てがでるように木に組み込みをいれて、立てる直前までにしてから、それを筏にして上流から流す。川下の墨俣で取り上げて組み立て、一夜のうちに城を出現させた。城というよりは砦のようなものと思われるのだが・・・。プレハブの発想がなかった時代に、この想像力、企画力のすばらしさは天才です。この企画力があったからこそ、皆が力を合わせた、納得できるものがあって、成功に導いたといえるのではないでしょうか。

3 清州城の城普請                                                〇 そこで、秀吉の人を動かすのがうまかったという代表的な例として、清州城の城普請の例を挙げてみます。これも有名な話ですので、ご存じの方もいると思います。あるとき、台風で城の堀が壊れた。20日たっても堀の修理はできません。信長は気が短いのでなんでできないのかと普請奉行をしかりつける。それを聞いていた秀吉は、私なら3日で修理しましょうという。                                              

 これには、前準備がいった、自分で石を積んでみた。それでもって全体にかかる日数を計算してみた。3日で出来るという確信をもった。できない原因は、漫然と仕事をやっているからだと思った。10チームに班を編成して、10か所に作業を分割してそれぞれに責任を持たせて行わせた。分かり安く言えば、例えば、100メートルに亘って崩れているとすれば、そこに100人の作業員を投入するば・・・漫然と行っている限り、先が見えない、やった仕事の量が分からないとなる。しかし、これを10チーム(1チームは10人)に分けると、1チームの仕事量は、10メートルである。ここからそこまでと分かるのだ。目に見える仕事になるのだ。今でいう目標管理です、3日でやり終えるためには、一日の仕事はここまで終えなければならない。一日の目標が見えてきます。それによって、3日で完成させてしまった。これをみて、松下幸之助は事業部制の発祥であると言わしめている。チームを分割して目標管理をやる、事業部ごとに独立して目標管理をしていくという、事業部制の発生・由来をそこに見ていらっしゃいます。

 それともう一点は、みんなのためであるという動機付けをしている点です。解任された前の普請奉行が来て、「お前たちは、一生懸命やっているけれども、結局は秀吉の手柄になるだけだよ」と言います。これに対して秀吉は何と言ったか。秀吉はこう言います。「敵がいつ攻めてくるかも分からないのだ。このままでは、いっぺんにやられてしまう。負ければ影響は俺たちばかりではない。俺たち侍が負ければ、あんたたちの女房、子供もどんな目に遭うか分からない。結局はみんなのためなんだ。」と説明したのだ。これが動機付けけとなる。他人事と思っていたのが、自分たちのためだということになれば、がぜん人は動き出す。このように秀吉は、動機づけの天才であったのです。

 さらに加えて、秀吉は信長に約束を取り付けた上で、一番で目標を達成したチームには、褒美を取らせるようにしたのです。これは、競争技術の導入です。国鉄からJRにしたときには、地方ごとに企業を分割しました。同様に、秀吉は、10組のチームの親方を呼び集めて、その旨伝えたのです。そこで、各親方は一番を目指して競い合ったのです。これによって、仕事の漫然化を解消することが可能となったのです。

4、情の管理・知の管理                                                さて、作家の童門冬二さんが「情の管理・知の管理」の本の中で、夏目漱石の草枕の冒頭を引用して説明を加えていらっしゃいます。

 山道を登りながら考えた。・・知に働けば角が立つ、情に棹差せば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい。・・・・

 つまり、「情と知の管理」をうまく運用というか、使っていかないと人の世を生きていくのは難しいと言っています。この清州城の城普請の例は「知による管理」です。目標管理、納得できる説明など、これは知による管理です。しかし、それだけではありません。どの秀吉の例を取りましても、コミュニケーションの取り方が非常にうまかった。清州城普請においても、自分の家に作業員を招待し飲まして食わせたのです。それによって、コミュニケーションを図った。この人ならという気にさせたのです。人は知=理屈だけでは動きません。この人ならという、信頼感、一体感があって初めて人は動くのです。                                             

 この点で、秀吉は、情・智をうまくミックスさせて、人を動かしていった。童門冬二さんがいう情・知の管理をバランスよくミックスさせて、人を動かしていったのです。※                               

 皆様も、この秀吉の例から、人心掌握術を読み取り、活力ある職場、また明るい家庭に、よりよい人間関係を築いていただければありがたい。

〇 ご清聴ありがとうございます。

※ 企画・想像力もこの点で最も必要な能力であるが、これも突き詰めれば「知による管理」ではないか。

◎ この「秀吉」の記述は、97年当時のものです。多分、童門冬二氏の「情の管理・知の管理」からや他の同様の本からの引用等が多いものと考えられます。実は、その題材等は、自分でも今ではどこから持ってきたのか不明の部分が多く、ひとつ一つを検証することが不可能です。検証の上、ちゃんと載せなければならないところですが、それより、今の時代にも、これを出すことの意義があると考えました。童門冬二氏には、この点、お断りいたしておきます。改めてすみません。(他の作家さんのも一部はあるかもしれません。)               

                        

 

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マイナ保険証のミス原因はカード自体ではなく組織外を見ない組織人の計画弱点が曝け出される!!<年金・家族口座の紐づけ誤りにも言及>

2023-06-04 15:39:37 | 職場・組織等

 大規模な改革をする時は大きな目(組織を超えた)を持って問題点を洗い出し徹底的に 解決していくことが必要だった!!

 特にマイナ保険証は命に直結する問題で軽々しくヒューマンエラーで済ましてほしくない!!! 

 マイナンバーカードに関して、コンビニ交付の別人の住民票や登録抹消した印鑑証明書の発行、マイナー保険証に別人の医療情報の登録、また公金受取口座が他人の口座に誤って登録されたというような、本来あってはならないシステムのミスが報告されている。これらは、主導して行った国とは別の民間が絡むもので、コンビニの誤交付は開発したシステム会社によると予期せぬデータ入力がありその「上書き」が原因だというし、マイナ保険証については、情報登録を担当した健康保険組合などが手作業により誤った他人の保険証を登録したのが原因であり、確かに国自体のミスでもない。また、公金受取口座の誤った登録については、市町村で同じ機械で登録する際に、ナンバーカードを持つ個人が変わったにも関わらずに、ログアウトせずに、その前に機械を使用していた利用者のナンバーカードに登録してしまったことが原因であるようだ。これも国自体のミスでもないといえばそうも言える。

   しかし、あれほどまでに鳴り物入りで利点を強調して動き出したマイナーカード。国民の中には、それなら協力しようというものが多数いたはずで、私もその一人である。マイナンバーカードのICチップやマイナンバー制度自体の「守秘」の部分そのものについては、問題は起きてはいない。問題はその取り巻く環境というべきもので、コンビニ交付は、電算開発システム会社に任せたままになっていなかったか(十分テストをしてシステムを受け取ったのか)、マイナ保険証は健康保険組合に任せっきりになっていなかったか(再チェックをさせたのか。その十分な時間はあったのか。)、公金受取口座については、市町村に通達する際に「ログアウトの確認や最後に名前等と入力内容の確認をする」ようによーく通知したのか、の疑問が残る。

 これらは、総務省が企画し、保険証については厚生労働省が実働部隊であり、さらに後からデジタル庁が音頭を取るようになった。よく省庁の壁と言われるが、確かにそうであろう。しかし、ここには、もっと大きな問題が潜んでいるように思えてならない。このマイナンバー制度は、省庁をまたがる大きな制度であるという認識がなかったのではないのかという点である。本来、このマイナンバー制度の目的は、税や福祉や災害時の効率的な運用を行うよう始めたものである。それがコロナの支援金のすぐに分配が出来ずに問題になったことから、政府はまずをもって口座の紐づけを考えるようになった。はじめよりさらに大規模なマイナンバー制度のなったので、もっと大きな省庁をまたがる制度という認識が必要になった。なにが言いたいかというと、一(いち)省庁が企画するのではなく、例えば内閣府なので、初めからこういう制度を作るとどんなことが起きるかの問題点を書き出して、それに対応する措置をひとつ一つ詰めていったのかということである。そうすれば、個人情報保護の観点から、コンビニ交付の別人発行、マイナ保険証の別人登録や公金受取口座の誤登録の問題も予測でき、これが防げたように思う。今回の一つひとつのミスは、よーく考えてみると、いわゆる単純ミスである。これが防げなかったのである。

 なぜそれが十分に行われなかったのか。これには、いわゆる省庁の壁という前に、組織人は組織の外は見ないのではなく、意図するわけではないが、見ないようにしているように思えてならない。組織人は、組織の中では、綿密詳細な計画を行うには得意であるが、このナンバーカードは組織を超えて考えなければならず、この組織の枠を超えて考えるのが不得意なのである。例えば、組織の外になると、例えばコンビニ住民票交付等のシステム開発会社への委託すれば、委託してそれで終わり、そこから先はあまりチェックしないことになる。ちょっと飛ぶかもしれないが、好戦論者ではないにも関わらずに軍の考えに縛られ太平洋戦争の火ぶたを切った山本五十六艦長の例がある。そこは、企画する総理や担当大臣がもっとリードすべきだったのであろう。

 さて、マイナ保険証については、医療機関で作る「全国保険団体連合会」が23年5月31日にアンケート結果を公表し政府に苦言を呈しています。マイナー保険証を取り入れている医療機関2440件から回答があった中で、6割を超える1556件からトラブったとの報告があったとのこと。その中で特に深刻なのは、機械で読み取ったマイナ保険証で「保険資格無効」とか「資格保険なし」があり、トラブったケースの最も多い62.2%あったとのこと。これらはいわゆる「無保険者扱い」で公的医療保険に加入していないと受け取られるので、100%自己負担になります。未加入でないにも関わらず、例えば転職・退職・結婚など保険者(=国民健康保険や保険組合等)が変わった場合に、マイナ保険証の入力が手続上遅れれば、紙の保険証が既に本人に渡されていても、マイナ保険証の上では「無保険者」になることが考えられます。(ある診療所の院長が言うには、一日の患者100人~130人のうち1・2人は必ずいるとのこと;東京) これについて、全国保険団体連合会ではシステム改善を申し入れていたにもかかわらず、そのままになったとのことです。そのほか、カードリーダーや顔認証システムの不具合、またそこで持っている病院の従来のシステムとの不具合などもあるようで、病院の日常業務に支障が出ているとのことです。ここで、一番問題なのは、全国保険団体連合会がこの資格確認の件での延期を申し入れたにもかかわらずに、そのままになったしまったということです。先ほど言った制度を作る際に全体の問題点を洗い出す際に、この問題は出てきてなかったのか、少なくとも当該連合会が申し入れしたというからには、どこかの部署で認識をしていたはずなのに、見過ごされたという点です。

 一番困るのは診療をする側の医療機関です。コロナで人の命を預かることから一生懸命行ってきたにも関わらずに、またここにきて、マイナー保険証でトラブルのは考えられません。すでに起きている現場の混乱はだれが責任を取ってくれるのでしょうか。私も昔医事係に勤めていたことから、お医者さんや看護婦さんやコ・ワーカーの方々には頭が下がる思いです。

 もともとマイナ保険証には、他の医療機関でどんな病気でどんな薬が投与されているのかを見るためには、このマイナ保険証が欠かせませんと言っていたはずです。それが別人が登録されているとすれば、反対に、併用禁忌や過剰投与がなされないとは限りません。それこそ、命の問題です、誰が責任を持ってくれるのでしょうか。

 どこかれとはなく言われる「ヒューマンエラー」ということばで軽々と済ましてしまえる問題ではありません。個人情報漏洩だけの問題ではなく、マイナ保険証は命に係わる問題です。現場の病院・診療所は、もっと怒っていいはずです。こういう大規模な改革をする時には、組織を超えた大きな目を持って、問題点を洗い出しそれをしらみつぶしに 解決していくことが必要だったのです。

 <追伸さらに、この記事を書いて1週間立たないうちに、「マイナーポータル」から他人の年金情報の閲覧可能、公金受取口座紐づけで家族(特に子供)の口座を登録しているとの問題が発生している。他人の年金情報の閲覧の問題については、マイナーカードと年金情報の紐づけの問題であって、これは取りも直さず、本論で問題となった「省庁の壁」の問題である(今問題となっているのは「共済組合」との関係である)。 また、公金口座紐づけについては、なんぼ国は家族の口座では登録できませんと「Q&A」で注意を促していても、口座登録の中で「これが不可であること」をちゃんとチェックできるようにしていなければ、実際には、口座入力の際に他人(家族)の口座でも登録できる形になっているのでは、国民としては 「登録できた」からこれでいいんだ・OKとなるように思う。これは国の制度設計ミスであるように思えてならない。いずれにしても、再度総括的に言うと、 国がマイナンバーカードの導入の際、省庁を超えて大きくとらえて、こうなったらこうなるといった考えられる問題点をすべて洗い出し、組織を超えて一つひとつにつき検討をしていったのかということなのである。マイナンバーカードの根幹については、デジタル大臣が言うように確かに問題はないものの、これほど問題が指摘されると元々国民が問題にし初めから指摘されていた「個人情報保護」そのものが揺らいでおり、再度立ち止まってチェックをしてほしいものだ。

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松下幸之助は終身雇用・年功序列の日本的経営を創る(会社のロイヤリティ育成/従来農村が失業者温存)

2022-05-14 09:08:00 | 職場・組織等
 戦後の10年間はクビ切りは日常茶飯事<農村から企業への帰属意識が芽生えた>

 松下幸之助は、経営の神様として名高いが、 終身雇用と年功序列という日本的経営を根付かせた経営者ということを忘れてはならない。大正から昭和までのに日本は、クビ切りが簡単で、日本ほど会社の従業員は替わるものはないと言われていた。昭和14年に工場法が改正されるまでは、首切りはしょっちゅう見られたし、それを肯定する理論もできていた。日本の工場労働者は、農村から出稼ぎにくるものと考えられていた。景気が悪くなって解雇になれば、また元の農業を手伝えば、所得は減るが飢え死にはしない。日本人のほとんどは農村を本拠地として、出入りをしていたにすぎないとされていたのである。

 そういった状況の中、昭和4・5年の大恐慌が起きたが、松下幸之助は、半日操業、全社員休日を返上してたまっていた商品の販売に取り組み、この不況をくぐり抜けたという。松下は企業が従業員に人生に責任をもつという実践を行い、首切りなしに切り抜けたという。そこで、松下幸之助は、この松下電器産業の成功によって、どの企業でも終身雇用を取り入れることはできると主張するに至った。戦前、そして戦後10年間、ほとんどの経営者は、それでもクビ切りの経営を続けたので、多くの企業で労使紛争が起こったが、その間日本経済は復興して、特に昭和25年の朝鮮戦争を契機に、松下の言う終身雇用が定着したのである。今までの農村に本拠地をおく日本経済は、戦後の高度成長の過程で、卒業後の農村の若者たちが出稼ぎ程度だったのが大量に都市に出てきたので、農山村の地域コニュニティや大家族制度が崩壊したのである。一方で、農村から企業に生活の本拠地を置くといった「企業を中心」とするコニュニティが出来上がっていった。そこでは、従業員側も全人格的に会社に帰属するという環境ができ、従業員を寮や社宅にいれて、福利厚生施設を充実させて、スポーツからお花まで趣味や娯楽までを面倒をみる。買い物は共済組合で、旅行は会社の保養施設を利用できるというような環境が整備された。いいも悪いも、いわゆる「会社人間」となる「職縁型」の社会構造を創ったのである。

 終身雇用がうまく動いていく条件は、常に経済が成長し、人口が増加傾向ににあって若年労働者が増えていくことが必要である。これが平成になると賃金の高い高齢者が多くなると難しくなる。日本は平成7年をピークに若者が減少し、終身雇用は限界にきている。松下幸之助が主張して根ずかせた終身雇用・年功序列は、戦後急速な経済発展と共にうまく機能したのであるが・・・。

 さて、コロナ禍の中で、リモートワークを余儀なくされて、会社に行って皆で一緒に働くということの必要性の良しあしが議論されるようになった。リモートワークに一部また戻りつつあるとはいえ、これを契機に、会社べったりの働き方はどうなのかという疑問も呈されて、全部が全部ではないが、リモートワークでは必ずしも大都市でなく地方でもどこでも働ける環境が整えられてきている。そういった企業では給料もそれなりに対応した給料ということになるだろう。また、職場で集まっていたので能力評価をうまくできたところ、リモートはこの能力評価を困難にしたといわれるが、フェイスツーフェイスから脱却し新しい人事評価制度が出来上がれば一面おざなりにしてきた評価制度が確立することにもなるだろう。また、コロナ前からではあるが、副業・兼業を認める企業も多く出てきたようだ。これも会社専従からの離脱である。また、だいぶ前からであるが、給料も高齢者になると減少・頭打ちという企業も増えた。また、正規の労働者の中でも、転勤はしないという条件の労働者もでてきた。サービス業や物流業等ではロボットを使った業務も多く出てきたところでもある。(また、最後の問題としては、転職とその際の給与の増減の議論は当然必要になる。)これらは終身雇用や年功序列からの脱却を少しづつ行っていることの証であろう。いずれにしても、終身雇用・年功序列が崩れる中で、日本的経営の良さである「企業へのロイヤリティ」を保ちながら、働き方の多様性等を考える方向になるのだろうが、果たして次世代の「働く姿」のイメージはどんなものとなるのだろうか。

参考:日本を創った12人・後編(堺屋太一) PHP新書
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タモリ流;人の悪口は言わない<引き寄せの法則・心理学実験の悪口の影響>

2022-04-17 11:04:23 | 職場・組織等
 他人の悪口を言うと他人ではなく言ってる本人の方が嫌われる<一般的には職場では悪口を言わざるを得ないような状況が常に発生>

 タモリさんは、物事をはっきり言う人であるが、決して他人の悪口は言わない。
 高校に入った頃から有名人になるための練習を始めましたから、有名人の悪口を言わないようにするんです。俺も有名人になるんだから、他の有名人の悪口を言うのはやめようと、思いましてね。(ミセス 1995年7月p150)※注意1※

 彼が有名人になったのは、理にかなっている。「引き寄せの法則」というので説明できるのだ。「この法則を一番簡単に理解するには、自分を磁石だと考えると分かりやすいでしょう。磁石は物を引き寄せるからです。」ジョン・アサラフ 「引き寄せの法則は基本的には自分と似たものが引き合うということです。・・私たちは今、実は思考レベルの話をしているのです」ボブ・ドイル ・・・「引き寄せの法則」は類は友を呼ぶといっています。ですから、あなたが考えていることと似た思考を引き寄せます。※注意2※
 
 引き寄せの法則によれば、あなたが悪口をいえば、周りに悪口をいう人があつまってくるというのです。あなたがそういう人だから、いやなことを引きよせてくるのだという。一時期、はやった「引き寄せの法則」であるが、これはこういう世の中の制度であるということを前提にしない限り、説明したことにはならない。もっといえば、神がこういう仕組みを作ったのだから、これに従えば運命もそれに従うということである。一面「神秘的」な考えでもある。私みたいに年をとってくると、そういうこともありかなあと納得できるのであるが、若い人たちには、一定の前提を必要とするので、これでは説明したことにはならないという人もいるだろう。

 そこで、学者の行った「心理学的実験」を挙げて説明することにします。オハイオ州立大学のジョン・スコウロンスキは、ある役者に自分ではなく、第3者について述べたビデオを被験者にみせてみた。具体的には、その役者に「あいつは(第3者のこと)は動物がきらいでね、犬を見かけると必ず蹴とばすような人間なんだよ」と言わせたのである。すると、犬を蹴とばす第3者ではなく、被験者は 役者の方を嫌な奴だと認識したという。※注意3※  ここで言えることは、他人の悪口を言っていると、言ってる本人が嫌な奴に思われてしまうことである。そうなると、悪口を言っているその人とその周りとの関係はバイアスのかかったものとなり、正常な人間関係を築けなくなる可能性があるのだ。

 社会を引退した身の私が職場での自分を振り返ると、ずいぶん愚痴や他人の悪口を言っていたなあと思う。職場では、仕事をやっていく上で考え方の違いなどから衝突することがしばしばである。そこを上司なりが調整しながら仕事を進めていくのが職場なのであろう。そういうことから言えば、愚痴や悪口を言わざるを得ない状況が常にあるというのが職場であるといっても過言ではないのだ。普通に職場で過ごしていると、ついつい悪口・愚痴の類が出るのは、普通にあることかもしれない。※注意4※ 私事、ある日、課長の決断に疑問を感じ、ついつい課長の悪口をしゃべっていたらそこにいないと思っていた課長がそこにいたのである。それから、それを恥じて一切愚痴・悪口の類はしないと決心したのだが、よほど心に決めないとそこらへんに常に発生の源はあるので、難しいということが分かった。会社には、他人の悪口等は一切口にしないという人がいるが本当に尊敬する。

 「嫌なことが起きるということは、ちょっと嫌なことがあると人の悪口をいったりするからなの。自分がそういう性格だから、嫌なことを引き寄せてくるんです。人の悪口とか、愚痴なんかを言わなくなると、人生は変わるよ。自分が変われば、すべて変わるようになっているんです。」※注意5※  タモリさんは、ひょうひょうとして何らの悩みもないようにしているように見えるが、この「愚痴・悪口を言わないこと」を彼が心に誓ったことから、現在のタモリさんが出来上がったのかもしれない。
  
※注意1※ タモリさんに学ぶ「人生後半」に生きるコツ 内藤誼人者 廣済堂出版 p188/189
※注意2※ ザ・シークレット ロンダー・バーン著 角川書店 p23・24
※注意3※ タモリさんに学ぶ「人生後半」に生きるコツ 内藤誼人者 廣済堂出版 p189/190  
※注意4※ 確認しておくが、「会社内での他人の悪口」とは、会社のルールにのっとり正々堂々と議論を戦わすことは含まれず、相手のいないところで相手を批判することを言うものとします。
※注意5※ 斎藤一人俺の人生p24 そして、次のように付け加えます。「人の悪口を言わないための修行」だとかんがえればよいといいます。ここでの「修行」とは、たとえば彼がよくいうところの「滝に打たれる修行」とみなすことのようです。
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