元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

原則年金の受給権は誰にも譲れませんが、例外に問題があり<悪徳商法>

2014-12-29 06:05:12 | 社会保険労務士
 年金を担保にして融資ができるのは認められた公的機関だけ~福祉医療機構等のみ 

 
 年金の受給権は、一身専属の権利とされ、その意味は本人のみにその権利が帰属し、他人に譲ることのできない権利とされています。さらには、借金の担保にしたり、差し押さえたりはできないものとされています。

 ただ、原則には、例外はあるものです。年金は、大きく分けると支給の事由は、老齢、障害、遺族に分かれます。障害を理由に年金を支給する、本人が死亡したので遺族に年金を支給するなど、福祉的性格があります。ところが、65歳になってからとかの年齢を理由に支給する老齢年金は、福祉的意味合いよりは、むしろ今まで働いて収入を得てきたのが退職等を機に収入がなくなることに対し、その所得補償という面が強く出てきています。

 そこで、老齢を事由として支給する、老齢基礎年金、付加年金、及び老齢厚生年金等のの受給権は、国税滞納の差し押さえの対象となっています。年金と言えども、意図的かどうかを問わず、税金が払えずにいる者に対して、福祉的なものとしてではなく「所得」としての意味合いの年金も差し押さえができないというのでは、国民の納得が得られないことから、政策的な配慮にもとずくものなのでしょう。(もちろん、差し押さえの限度はあります。)

 また、年金は受給者の生活安定のためであり、税金の対象とはされず非課税が原則です。ここでも例外があり、同様に老齢基礎年金、付加年金、老齢厚生年金など、老齢及び退職を支給事由とする年金給付については、所得税が課されます。ただし、公的年金については、雑所得として計算されますが、公的年金控除額ができるなど、納める額の配慮がみられます。

  借金の担保についてはどうでしょうか。これについても原則として禁止されていますが、厚生年金や国民年金を担保として、唯一独立行政法人福祉医療機構だけが融資できることになっております。(共済年金や恩給を担保としては、日本政策金融公庫と沖縄振興開発金融国庫が融資している。) 年金だけがたよりの生活者は、保健・医療、介護・福祉、住宅改修、冠婚葬祭、生活必需品の購入など一時的にお金が足りない時もあり、その時のために、どこも貸してくれないということではこれこそ問題です。年金を担保にして融資できるのは、これらの機関以外にはありません。

 なお、年金の種類は、老齢、障害、遺族いずれのものでも借りられます。

 これに対して、同じ年金を担保にして、本来は認めていない貸し付けを、民間の金融業者が行っている場合があります。消費生活センターに勤めていた時には、こんな相談を何度か聞いたことがあります。証書を預かるというやり方は福祉医療機構と同じですが・・・似て非なるがごとし。福祉医療機構も証書を預りますが(代わりに預り証書をもらえます。)、制度として認められていますので、年金支給額の中から借金者の指定した額を償還できます。しかし、民間の業者の場合は、証書を預かっても償還金が入ってこないことから、強制的に口座番号、年金証書番号、暗証番号等を聞きだし、キャッシュカードを受け取り引き出したり、口座から出金する用紙を作成させて、業者が代わりに引き出すこともしているようです。銀行印を預かることもしているようです。年金証書を肩代わりに、行っている悪質商法と言えます。受託金融機関で正式の手続きを行いながらも、その斡旋料として法外な手数料を取っている場合もあります。出資法の上限利率20%を超える貸し付けも行っているとも聞きますが、「高齢者歓迎」「年金立替」「高齢者も借りられます」などのうたい文句で宣伝を行っているようです。

 年金は、老後の貴重な生活資金という性質がありますので、公的年金を担保にむやみに貸し付けをすることは控え、積極的な年金担保貸付制度は行うべきではありません。融資できる公的な機関においても、低利で計画的にかつ必要な場合に限って、必要な金額について貸し付けを行うことに努め、いたずらに年金担保融資の利用を促すことはありません。民間業者のこうした例は、こうした消極的な年金融資制度を逆手にとった悪質商法です。

 いずれにしても、年金の受給権は一身専属的であり、例外はあるものの、他人に譲ることのできない権利であることを考え、うまく活用・生活していかなければなりません。貴重な年金です、大事に使いましょう。<自分への自戒を含めて>
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失敗しても、潜在意識にプラス思考があれば、落ち込まないで、立ち上がれる!!

2014-12-21 17:53:33 | 社会保険労務士
失敗ととらえるのではなく、うまくいかない方法を発見したに過ぎない。
 

 最近、年を取ったせいか、それとも組織から離れたところに身を置いているせいか、昔勤務していた時代、ずっと若いころの失敗や穴に入りたくなるような顔赤らめるような出来事が思い出されます。若いころのちょっとした失敗では、自分が至らないことが原因であるので、自分への反省を含めすぐにでも立ち直っていたのですが、そのうちに大きな仕事の失敗などで落ち込んでしまったこともあります。

 人生の先輩たちは、そんなときのどうしたのか。

 経営心理学者の飯田史彦氏(元福島大学教授、生きがい論の著者)は、「生きがいの経営論」の中で、失敗しても立ち直ることができる人、できない人の違いは、深層心理の中というか、「潜在意識」の中に、プラス思考があるか、自分は絶対できるという積極的な考えがあるどうかであると(いうようなこと、私の記憶に頼っていますので正確には違うかも知れません。)をおっしゃっておられた。潜在意識が自分は絶対成功できるというような思考形態であると、失敗してもなんなく立ち上がれるということである。確かにそうかなとは思うが、ではどうしたら潜在意識をそのように積極的に代えることができるのか。

 格言にはいろいろあります。「七転び八起き」「千三(せんみ)つ」(企業でヒットするのは千のうち三つ)、そして「人生、塞翁が馬」、学者・研究者の研究態度から、学べるものがあります。「失敗はしていない、うまくいかない方法が見つかった」(エジソン)「9回失敗しないと一回の成功はやってこない」(山中伸弥京都大教授)、ホンダの創始者 本田宗一郎の「99回の失敗に1回の成功でいい=99%は失敗の連続であった、その実を結んだ1%の成功が現在の私である」。こんなことばを聞いて、再度やってみようとする人もいるかもしれませんが・・・・。なかなか難しいでしょう。これらの人々は、もともと潜在意識がプラスの積極的思考の皆さんであるように思えます。これらの人々に近づくためにはどうしたらいいのか。

 失敗を「失敗」という判断することは、どうなんでしょう。 失敗を失敗として、マイナス面で捉えるのではなく、そう判断することに問題があるように思われます。エジソンの言葉は負け惜しみのように見えて、真実をついているように思えます。失敗ではなく、うまくいかない方法を教えてくれたのです。「天」は間違った方向へ行くと、それが間違いだと、「うまくいかない方法」を教えてくるのだそうです。そこで別の方向へ歩き出せばいいわけです。人生は修行の場、あなたの「精神」をより高めるために、障害物を用意しているのだそうです。時には、障害物は、2・3回あるいはそれ以上チャレンジしなければ飛べないものもあり、人生では、精神の修行のために、障害物はなくなることはありませんが、必ずあなたに合った、それ相応の超えることが可能な障害物が用意されているのです。それで、その障害を乗り越えるために、いろいろ考え行動しなればなりません、そして一つの間違った方法を発見したのです。別の新しい方法で試みればいいのです。

(この考えは、銀座まるかん創設者で納税額日本一の実業家の斉藤一人さんの言っていることを、私なりの解釈で書いたにすぎません。斉藤一人さんは「天」を「神」、「人生」を「この世」、「精神」を「魂」、「障害物」を「問題」と言っていますが、あくまでも、私なりにとらえたものを私なりの捉え方で書いたものです。)

 はその方向は間違っているよとメッセージをくれるのです。そして、そこで耳(むしろ心)を傾けると必ずそこに、別の道のヒントが隠されているのです。そちらの方向に進めばいいのです。失敗ではなく、やり方を変えろと言う天のメッセージなのです。
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仕事の「引継ぎ」は会社の財産を残し、企業文化の蓄積につながる

2014-12-14 18:16:08 | 社会保険労務士
 引継ぎを行えるような職場の雰囲気を作ろう

 組織においては、職場の活性化のためや関係先との癒着等の防止等から、人事の異動を行うが、その際欠かせないのが、仕事の引継ぎである。私の職場では、約3年ごとに異動していたが、その短い間でも、相当引き継ぐものがあり、初めの職場では簡単な引き継ぎに終わっていたが、最後の職場ではだんだんと引き継ぎ事項が多くなり、性格上からか詳細な引き継ぎになったのを覚えている。

 引き継ぎ事項としては、仕事の内容はもちろんであるが、経験から得た仕事のエッセンスであり、その仕事のコツであり、これだけは配慮しなければならないというものが必ずあるはずだから、そこのところを引き継ぐことが重要である。企業は、継続するものであり、仕事の引継ぎがうまくいかないと、その人だけの財産に終わってしまうところであり、次の担当に引き継ぐことにより、財産の蓄積が次々となされていくものであって、それがその「組織の文化」になっていくのであろう。

 
 ところが、それがうまくいかないのが現実であると考えている。なぜなのか。ある職場でびっくりしたことを覚えている。ある担当者が苦労して覚えた仕事のエッセンスを簡単に他人には引き継げないというのである。担当者は担当者として苦労すればいいというのである。組織の担当者としての自覚のないこの言葉には、私も唖然としました。


 しかしながら、自分を振り返ってみて、そういった考えが全くないとはいえないなあ、というのが、頭をよぎったのを覚えています。そういった個人的な考えを払しょくするためには、やはり組織としての財産の蓄積を進めるために、その担当の上司が仕事の引継ぎを促進させる役割を働かせなければならない。組織の上司が担当同士の引き継ぎの同じメモをもらうなどのチェックをすることが必要なことではある。

 しかしそれだけでは、先ほどの担当者のような考えの人には、面従腹背で形だけのメモを上司に挙げて、エッセンスともいうべきものは引き継がないこともありうるのである。

 そこには、やはり、職場の雰囲気が前述の担当者のような人を生んでいたのかもしれない。次々と仕事を引き継けるような職場の雰囲気をつくらなければならない。担当が代わる際にメモを残すだけではなく、普段から仕事を教えあうような雰囲気を作らないといけないのではないか。その人がいなくても別の人がカバーできるような職場をつくることは、弾力的な職場をつくることであり、今叫ばれている女性が進出できる職場づくりにもつながる。

 組織にいたころは、私がいなくては仕事が回らないという自負心を持って仕事を行っていましたが、そんなことはない、勝手に回ってるのであるから、その自負心は自負心として持つことは必要であるが、自分の代わりを普段から作っていくことは必要であると、組織を離れた今では考えている。

 最近のドラマであるような、○○派、××派というような派閥争いが横行する会社においては、次の人が別派閥の人であるような場合は、まったくもってそんな職場をつくることは困難であろうが、次の担当者がいけすかない人であることもありうるのであり、そんな場合にも、風通しのよい職場であれば、こころよく自分のやってきた仕事のエッセンス等を引き継げるようにできると思われる。

 
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後見制度を利用する場合、後見・保佐・補助のどれが該当するのか。<3類型の判断基準・区分>

2014-12-06 15:06:17 | 後見人制度<社労士>
 保佐と補助については、連続的で区別が困難ではある。

 民法の成年後見制度は、判断能力が不十分な人を支援するための制度であり、判断能力の減退の程度が重症のほうから、成年後見・保佐・補助の3つの制度が用意されています。成年後見の対象となる人(これを「成年被後見人」と呼びます。)は、精神上の障害により法的な判断能力を通常欠いている状態にある人のことで、保佐は精神上の障害により著しく不十分な人(これを「被保佐人」と呼びます。)が、そして補助は精神上の障害により判断能力が不十分な人(これを「被補助人」と呼びます。)が対象となります。

 成年被後見人、被保佐人、被補助人には、それぞれ成年後見人、保佐人、補助人が家庭裁判所から選任され、同意権・取消権、代理権という法的手段をもって、これらの方々を支援・保護することになります。成年後見の場合は、判断能力を通常欠いている状態のため、成年被後見人が代理人としての役割を担い、もしも被後見人が契約等の法律行為を行った場合には、成年後見人がそのまま取消権を持ちます。
 また、被保佐人の行った一定の契約等は、保佐人の同意がなければ完全な契約等とはみなされず、保佐人による取り消しがあり得ますし、被補助人の契約等の場合は、さらにそのうちの一部分である特定の行為のみ、補助人の同意がなければ取り消しが可能となります。保佐、補助ともに特定した範囲で代理権限を与えることもできます。
 なお、契約には、財産上の契約だけでなく、老人ホームの施設の入所契約や病院の入院の契約等も含みます。

 しかし、なかなか成年後見・保佐・補助の区別について、判断能力を「通常欠いている」とか、「著しく不十分」とか、「不十分」というのが民法の規定ですが、なかなかその区別がはっきりしません。

 鑑定書手引きでは、「財産を管理・処分する能力」をキーワードとして、区別しているようです。

 1-A 自己の財産を管理処分することができない。
  日常的に必要な買い物も自分ではできず、誰かに代わってやってもらう必要があるという程度⇒後見に相当する。
 1-B 自己の財産を管理処分するには、常に援助が必要である。
  日常の買い物程度は単独でできるが、重要な財産行為(不動産、自動車の売り買いや自宅の増改築、金銭の貸し借り等→民法13条で定める9項目をいいますが、別途下に掲げる項目です。*1)は自分ではできない程度⇒保佐に相当する。
 1-C 自己の財産を管理処分するには、援助が必要な場合がある。
  重要な財産行為(不動産、自動車の売り買いや自宅の増改築、金銭の貸し借り等)について、自分でできるかもしれないが、できるかどうか危惧がある。(本人の利益のためには、誰かに代わってやってもらった方がよい。)という程度⇒補助に相当する。

 最高裁判所による紹介事例では、より具体的に次のような具体例が紹介されている。(「成年後見教室」P253から)

 2-A アルツハイマー病の男性(57歳)。5年ほど前から物忘れがひどくなり、直属の部下を見てもだれかわからなくなるなど、次第に社会生活を送ることができなくなった。家族の判別もつかなくなり、症状は重くなり、回復の見込みはない。2年前から入院している。⇒後見に相当する
 2-B 中程度の認知症の女性(73歳)。以前から物忘れがみられた。最近症状が進み、買い物で1万円札を出したか5000円札を出したか、わからなくなることが多くなった。日常生活に支障が出てきたため、長男家族と同居することになった。⇒保佐に相当する。
 2-C 軽度の認知症の女性(80歳)最近、米をとがずに炊いてしまうなど、家事の失敗が見られるようになった。訪問販売員から必要のない高額の呉服を何枚も購入してしまった。⇒補助に相当する。

 この具体例について、上の鑑定書手引きと対照して、見られたらどうであろうか。より納得できると考える。

 市民後見人養成講座パート1(成年後見センターリーガルサポート編、P53・60・67)では、よくある類型の例として次のようなものをあげている。

 3-A 1-Aの他に、ア、ごく日常的な事柄(家族の名前、自分の居場所等)が分からなくなっている人 イ、完全な植物状態(遷延性意識障害の状態)⇒後見に相当する
 3-B 1-Bの他に、ア、いわゆる「まだら状態」の人(ある事柄はよくわかるが他の事柄は全くわからない人と、日によって認知症の症状等が出る日と出ない日がある人の両方を含みます。)のうち重度の人⇒保佐に相当する。
 3-C 1-Cの他に、認知症の症状が、いわゆる「まだら状態」で軽度の人⇒補助に相当する。

 最終的に云えるのは、後見相当は、判断能力が「常に」欠けているため、「絶対的」な判断能力の基準があると思われるが、保佐と補助相当においては、連続的でなかなか線を引くのが困難で、結局、民法13条の定める重要な財産行為の9項目のすべてについて、支援保護すべきかいなかということになる。9項目全てで保護すべきであるときは、保佐相当であるし、その一部分であるときは、補助相当であることになる。(成年後見制度 新井他著P33)
 ここで、法的権限の付与であるが、同意権・取消権付与や代理権付与については、補助について特定の同意権・取消権や代理権(特に同意権・取消権について)を限りなく多くすれば、保佐に近づき、保佐との境界になる。また、保佐の方でも同様のことがいえるのである。保佐と補助の境界域は、法的な権限においても、連続的で区別は困難な領域があると思われる。


 
 *1 民法13条で定められている重要な財産行為(9項目)
  ・貸金の元本の返済を受けたり、不動産や金銭の貸し付けをすること
  ・金銭を借り入れたり、保証人になること
  ・不動産をはじめとする重要な財産(自動車等)について、売買等をすること
  ・訴訟を提起すること(相手方の訴えに対する応訴は含まない)
  ・贈与をすること、和解や仲裁合意をすること
  ・相続の承認や放棄をすること、遺産分割の協議をすること
  ・贈与の申し込みを拒絶し、遺贈を放棄し、負担付贈与の申し込むを承諾し、又は負担付遺贈を承認すること
  ・新築・増築・改築又は大修繕をすること
  ・建物について3年、土地について5年を超える期間の賃貸借契約をすること
 
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