会社の創業期の強いストレスにもメンタルヘルス不調者が出なかったのはなぜか?
ずーとさかのぼること、数十年前のことである。病院の医療事務の係長をしていた頃、医療事務のコンピューター化をしようということになったが、スタートの時期は決まっており、途中で間に合わないことが分かってくると、皆が一致してやらねばならないという固い決意の下、どうにかプロジェクトを完成した経験がある。長時間残業も皆ものともせずに行ったが、メンタルヘルスの不調者が出なかった事に対して、よくもまあそれで済んだあと思うことしきりである。
そこで、同様に、たとえばとして、次のような例を考えてみよう。数人でベンチャー企業を立ち上げ、初めのその有志は、社長役も副社長も、専務等の幹部たちも給料もろくろく与えられず、わずかに入った取引の報酬から、皆で給料を分け合い、時には、大きな取引が入ったとかで、三日三晩、徹夜の状態で仕事をするだけではなく、日常的にも、やったこともない事務処理等も入ってくることから、当然のごとく長時間の残業ともなる。わずか数人での立ち上げのため、社長や一番下の者でさえ、○○部長の役職が与えられ、少なくとも公式の場では役職で呼び合うが、会議で議論が伯仲するとオイ、オマエという言葉も飛び交い、皆会社を成功させようという志は一緒のようである。皆な創業のプロジェクトを成功させようとやっきになっているのである。この職場は、客観的に見ても、非常にストレスの高い状態だと言えるが、まったくメンタル不調者は、この段階では出てこない。
しかし、新規の社員も必要になり、会社が安定期に入っていく。給料もそこそこもらえるし、厚生面でも充実してきた。社長・幹部たちは、創業期の苦労を知っているが、新しい社員たちは、話を聞かせてもそれほど関心を持たず、会社が中堅だからという理由で、会社に入ってきた動機の者もちらほらいることになる。創業期に発生していた無茶苦茶な残業は発生しないにもかかわらず、この状態の段階で、メンタル不調者が多々発生することになる。
創業期のストレスは、安定期のストレスより本来は強いストレスのはずであるが、創業期にメンタル不調者が出ないのは、どういうことであろうか。アルバートエリスのABC理論(※下記 関連記事 参照)のBにおける、ストレスの「感じ方」の違いであろう。創業という会社を立ち上げた者どうし、会社の成功という同じ目的に向かっているのである。ちょっと意見が違っても、会社を成功させようということは同じであり、分かり合える人間関係にある。そして、自分の意見が採用されるという自負も皆持っているのである。連帯感、やりがい、達成感、裁量権を創業者たちは、上から下の者までも持っている。しかし、会社が大きくなると、連帯感、やりがい、達成感、裁量権は、その上司・部下の人間関係や組織関係の中に、さがして「見つける」ことが必要になってくる。
ここで、上司の部下の管理方法としては、「俺についてこい」というようなやり方では、どうも通用しなくなっているのではないか。新入社員にしても、最近では、社会の経験者もおり、あるいは高学歴の方等もいる。仕事の内容によるが、こうやれではなく、この仕事の目的はこうだから、やり方については、その運用の範囲内にあれば、認めるということもあり得よう。(ただし、技能者のようなものについては、やり方について、初めから教示していくこともある。) 今言ったのは一つの方法にすぎず、要は、やりがい、達成感、裁量権等をいかに持たせるかということである。あまり、縛るやり方では、部下はついてこないし、精神衛生上もよくないのではないか。
** 参考:著書<「職場のメンタルヘルス」を強化する> 精神科産業医 吉野聡 ダイヤモンド社発行
⇒関連記事<アルバートエリスのABC理論>
ずーとさかのぼること、数十年前のことである。病院の医療事務の係長をしていた頃、医療事務のコンピューター化をしようということになったが、スタートの時期は決まっており、途中で間に合わないことが分かってくると、皆が一致してやらねばならないという固い決意の下、どうにかプロジェクトを完成した経験がある。長時間残業も皆ものともせずに行ったが、メンタルヘルスの不調者が出なかった事に対して、よくもまあそれで済んだあと思うことしきりである。
そこで、同様に、たとえばとして、次のような例を考えてみよう。数人でベンチャー企業を立ち上げ、初めのその有志は、社長役も副社長も、専務等の幹部たちも給料もろくろく与えられず、わずかに入った取引の報酬から、皆で給料を分け合い、時には、大きな取引が入ったとかで、三日三晩、徹夜の状態で仕事をするだけではなく、日常的にも、やったこともない事務処理等も入ってくることから、当然のごとく長時間の残業ともなる。わずか数人での立ち上げのため、社長や一番下の者でさえ、○○部長の役職が与えられ、少なくとも公式の場では役職で呼び合うが、会議で議論が伯仲するとオイ、オマエという言葉も飛び交い、皆会社を成功させようという志は一緒のようである。皆な創業のプロジェクトを成功させようとやっきになっているのである。この職場は、客観的に見ても、非常にストレスの高い状態だと言えるが、まったくメンタル不調者は、この段階では出てこない。
しかし、新規の社員も必要になり、会社が安定期に入っていく。給料もそこそこもらえるし、厚生面でも充実してきた。社長・幹部たちは、創業期の苦労を知っているが、新しい社員たちは、話を聞かせてもそれほど関心を持たず、会社が中堅だからという理由で、会社に入ってきた動機の者もちらほらいることになる。創業期に発生していた無茶苦茶な残業は発生しないにもかかわらず、この状態の段階で、メンタル不調者が多々発生することになる。
創業期のストレスは、安定期のストレスより本来は強いストレスのはずであるが、創業期にメンタル不調者が出ないのは、どういうことであろうか。アルバートエリスのABC理論(※下記 関連記事 参照)のBにおける、ストレスの「感じ方」の違いであろう。創業という会社を立ち上げた者どうし、会社の成功という同じ目的に向かっているのである。ちょっと意見が違っても、会社を成功させようということは同じであり、分かり合える人間関係にある。そして、自分の意見が採用されるという自負も皆持っているのである。連帯感、やりがい、達成感、裁量権を創業者たちは、上から下の者までも持っている。しかし、会社が大きくなると、連帯感、やりがい、達成感、裁量権は、その上司・部下の人間関係や組織関係の中に、さがして「見つける」ことが必要になってくる。
ここで、上司の部下の管理方法としては、「俺についてこい」というようなやり方では、どうも通用しなくなっているのではないか。新入社員にしても、最近では、社会の経験者もおり、あるいは高学歴の方等もいる。仕事の内容によるが、こうやれではなく、この仕事の目的はこうだから、やり方については、その運用の範囲内にあれば、認めるということもあり得よう。(ただし、技能者のようなものについては、やり方について、初めから教示していくこともある。) 今言ったのは一つの方法にすぎず、要は、やりがい、達成感、裁量権等をいかに持たせるかということである。あまり、縛るやり方では、部下はついてこないし、精神衛生上もよくないのではないか。
** 参考:著書<「職場のメンタルヘルス」を強化する> 精神科産業医 吉野聡 ダイヤモンド社発行
⇒関連記事<アルバートエリスのABC理論>