元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

朝ドラ・ちむどんどん=連続10日8時~23時勤務は労基法上どうなの<当時法上は適法!?女性深夜労働の禁止!!>

2022-05-26 18:42:34 | 社会保険労務士
 午前8時から午後11時までならシフト制で早番・遅番・休み等があるはずなのだが・・ドラマでは全く見えてこない

 沖縄で育った暢子は料理人になるため上京、沖縄県人会会長さんの紹介を経てレストラン「アッラ・フォンターナー」で修行することになる。オーナーの房子は暢子の亡き父との「因縁」があるようで、修業当日から連続10日勤務の朝8時から午後11時までの勤務を命ぜられる。

 これって、労働基準法上どうなのか。暢子が上京した時は、まさに沖縄が本土に復帰した時とあるから、1972年になる。1972年当時の労働基準法は、労働時間の1日8時間は今と変わらないが、現在基本的には週40時間(レストラン等は44時間)ですが、このころは週48時間まで働くことができたようです。しかも、変形労働時間制が認められているので、4週間変形であるとして、4週間の間の1週間の平均労働時間が48時間内であれば、たとえある日が8時間より多かったとしても、法的にはクリアーはすることにはなります。当初の一日の勤務時間が8時間を大幅に超えるものだったとしても、後半の2週目から4週目の週の勤務を制限して、4週間全体の週平均労働時間が48時間であればよいことになります。10日間の連続働き詰めの点についてはどうでしょう。これも週に1日の休みが原則ではあるが、その変形として、4週間の中で4日の休みが取れればよいことになっているので、勤務初めの10日間休みがとれなかったとしても、11日目から後の2・3・4週間のうちに4日取れればよいことになります。

 しかし、ドラマの中では、どうも解せないところがあります。まず、暢子が働き始めたときの店側の態度です。技量テストをしてから、オーナーの合格がでましたが、番組上端折ったのか知りませんが、事務的手続きの場面が全く出てきません。すなわち、うちの就業規則はこうなっているとか、労働契約締結の場面がでてきません。なにがいいたいかというと、もしも変形労働時間を採用しているのであれば、少なくとも、前もって労働条件通知書や就業規則でちゃんと周知しておかなければなりません。変形労働時間制でないのであれば、修業当時の午前8時~午後11時までの勤務は、昼休の時間を2・3時間取ったとしても労働時間が8時間をはるかに超えており違反と言うことになります。
 (ここで就業規則の作成が必要かということですが、暢子を含めて従業員8人?<10人未満であれば就業規則の作成は必要ない>なので、就業規則は法上はいらないことになります。しかし、このように変形労働時間制をとっているのであれば、就業規則<従業員10人未満なら就業規則に準じるものでもOK>にその旨の記載が必要であるように思います。)

 変形労働時間制であったと仮定して、このレストランは少なくとも昼間と夜の部の来客の対応をとっている店だと考えますが、そのため、午前8時から午後11時という長時間の従業員の労働時間ということになるのだと思う。こんな長期間働くことになると、なんらかのシフト制で早番、遅番、または全く勤務時間の割り当てのない日(休日)等があるはずですが、「だれが今はいない」とか全然ドラマの中では現れてきていません。変形労働時間であれば、今の時間は彼は当番上まだ出勤していないなど、必要な登場人物が登場しないことになって、ドラマの展開上仕方のないことかもしれませんけど・・・。<・・・と書きましたが・・以下 ※注意※ を見てください。>

 ここまで説明してきて、大事な点が抜けておりました。沖縄復帰の1972年ころの労働基準法には、今の労基法と違い、大きな違いがあります。女子従業員には、絶対的に超えてはならないものとして、深夜労働の禁止がありました。深夜労働は午後10時から午前5時までの時間ですので、暢子の午後10時からの労働はこの当時においては禁止されていることになります。

 この規定は女性は深夜に働けないことから、女性の社会進出を阻むという議論が出てきたわけです。この女子労働者の制限規定は、その後1985年の男女雇用平等法の成立、そして1997年の改正によって男女差別規制が強化されることになり、これと同時に、女性の深夜労働の禁止部分は撤廃されることになります。

 さて、ドラマの中では、「今のままでいい」という「親父」の遺言なのか、物おじしない、オーナーへのためぐちなど主人公へ一言言いたいこともありますが、オーナーもオーナーですぐに「クビ」という、今なら法律上制定してある「パワハラ」となるような物言い(本当にクビなら「解雇権濫用法理違反」=当時も契約法の制定がないだけでパワハラ違反は違反だろう。)もどちらもどっちのような気がします。

※注意※ この後の放送で暢子の「休み」の日の様子とか出てきていましたが、シフト制(交代制勤務)なのがはっきり分かったのが6月28日「暢子の同店でのデート騒動」・7月4日の「3人スタッフの同時退職事件」でした。考えられてはいたのですね。
 この点、朝ドラの「なつぞら」では、育児休業等が取り上げられており、女性の働き方については、うまく描かれていたように思います。
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労基法対象外の家事使用人とは「用語(文理解釈)」でなく論理解釈すべき<適用除外範囲は厳格に解するが相当>(東京地裁H25)

2022-05-21 10:03:46 | 社会保険労務士
 家事使用人であっても指揮命令等把握が容易・家庭の私生活自由の保障の観点から支障がなければ労基法の適用あり

 労働基準法は、一般的にいえば、労働者を保護するために作られた法律であるということができる。そこで、適用になる労働者の範囲であるが、労基法116条では、労働者であっても、「家事使用人」にはこの労働基準法を適用しない旨を定めている。家族内の問題について、労働基準監督署などの行政監督や刑事罰をもって国家が監督や規制を行うことは適当ではないと考えられたからである。「家事使用人」とは、家事一般に従事するために使用される者をいうが、従事する作業の種類、性質のいかん等を考慮して、個別具体的には決定すべきものとされる。法人に雇われるものであっても、その役職員の家庭においてその家庭の指揮命令下で家事一般に従事しているものは家事使用人に当たるものだし、個人家庭における事業として請け負う者に雇われて、ぞの事業者の指揮命令の下で家事を行う者は、家事使用人には当たらないととしている。(例規解釈例) ここまでの例では、労働基準法を適用すべきかどうかは、その「家庭」の指揮命令に服しているかということになるかということで区分できるとは思う。

 さて、ここで、なぜ家事使用人を労基法の適用から除くのかをより明確に整理された判例として、地裁の判例であるが「医療法人衣明会事件」がある。(東京地裁平成25年9月11日)この判例は、Y社に雇用・その代表者個人宅でのベビーシッターの業務を行っていたXらが、割増賃金支払い等を求めて提訴した事件であるが、その前提として、労働基準法の家事使用人であるかどうかが争われた事件である。再度確認すると、労働基準法の家事使用人であれば、労働基準法上の適用はないことになり、労基法に基づく時間外労働賃金の未払い云々はもともとないことになる。判例はおおむね次のように述べている。

 家事使用人について、労働基準法の適用が除外されている趣旨は、家事一般に携わる家事使用人の労働が一般家庭における私生活と密着して行われるため、その労働条件について、これを把握して労働基準法による国家的監督・規制に服しめることが実際上困難であり、その実効性が期しがたいこと また 私生活と密着した労働条件等についての監督・規制を及ぼすことが、一般家庭における私生活の自由の保障との調和上、好ましくないとの配慮があったものと解される。
 しかしながら、家事使用人であっても、本来的には労働者であることからすれば、この適用外の範囲については、厳格に解するのが相当である。したがって、一般家庭において家事労働に関して稼働する労働者であっても、その従事する作業の種類、性質を勘案して、その労働条件や指揮命令等の関係を把握することが容易であり、かつそれが一般家庭における私生活の自由の保障と必ずしも密接に関係するものではない場合には労働者を労働基準法の適用除外となる家事使用人と認めることはできないというべきである。

 すなわち、繰り返しになりますが、家事使用人が適用対象外になったのは、家庭まで入り込んで労基法を規制することが困難であり、私生活の自由の保障からいっても好ましくないとの考え方によるので、家事使用人であっても本来的には労働者であることからすれば、労基法適用外の範囲を厳格にすべきといっている。それゆえ、これらの労基法の規制することの困難性等が取り除かれれば(労基法の適用が容易・一般家庭の私生活の自由の観点)、労基法を適用すべきと述べている。

 この事件の内容であるが、まずこの争われた「ベビーシッター」と一般的な「家事使用人」の業務について、明らかにしておきたい。ベビーシッターといっても、確かに、この事例では、基本的には1歳女児のそばを離れずその世話をするのであり、付随する食事準備、洗濯、各所幼児教室への送迎等が中心であったが、洗濯・ゴミ出しは幼児だけのものではなく家庭全部のものだったし、リビング、キッチン、トイレなどについては簡単な掃除をしていた。ただし、週一回は専門の掃除業者が入るし、食事は派遣料理人がいる。要するに、この「ベビーシッター」の業務は、ベビーシッターの業務を中心とするものであり、その程度は、広く家事一般にかかわる家事使用人よりは限定的であったものであるが、その内容はA家における私生活上の自由にかかわるものであったのである。

 さて、このベビーシッターは、労働契約を締結、24時間を2交代または3交代制でシフトを組んで行うものであり、その労働時間の管理については、タイムカードにより管理されていた。そして、これにより、医療法人であるY社を介して給与支払いに反映されていたのであって、Xらの労働条件や労働の実態を外部から把握することは比較的容易であったということができ、Xらの労働が家庭内で行われていることにより、そうした把握が特に困難になる状況はうかがわれない。さらに、Xらベビーシッターに対する指揮命令は、親であるA夫妻が主として行っていたが、各種マニュアル類の整備がされ、連絡ノートの作成や月1回程度の会議も行われており、そうした指揮命令が、もっぱら家庭内の家族の私生活上の情誼(人との付き合う上での人情や誠意)に基づいていたともいい難い。そうすると、Xらについては、その労働条件や指揮命令の関係等を把握することが外部から把握することが比較的容易であり、かつ、これを把握することが、A家における私生活上の自由の保障と必ずしも密接に関係するものともいい難いというべきであるから、Xらを労働基準法の家事使用人と認めることができないというべきである

 この裁判は、労働基準法116条において、家事使用人を労働基準法の適用除外としたため問題となったものであるが、家事使用人においても同じ労働者であり、私生活の自由と労基法を適用する技術的観点の阻害要件がなくなれば、家事使用人に対しても、直ちに労基法を適用すべしとしたこと(この裁判では、「労基法適用除外の範囲については、厳格に解するのが相当」としている。)にあり、単に「家事使用人」に該当するかいなかということではなく、論理解釈により、労働基準法の対象を広げたものといえよう。
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松下幸之助は終身雇用・年功序列の日本的経営を創る(会社のロイヤリティ育成/従来農村が失業者温存)

2022-05-14 09:08:00 | 職場・組織等
 戦後の10年間はクビ切りは日常茶飯事<農村から企業への帰属意識が芽生えた>

 松下幸之助は、経営の神様として名高いが、 終身雇用と年功序列という日本的経営を根付かせた経営者ということを忘れてはならない。大正から昭和までのに日本は、クビ切りが簡単で、日本ほど会社の従業員は替わるものはないと言われていた。昭和14年に工場法が改正されるまでは、首切りはしょっちゅう見られたし、それを肯定する理論もできていた。日本の工場労働者は、農村から出稼ぎにくるものと考えられていた。景気が悪くなって解雇になれば、また元の農業を手伝えば、所得は減るが飢え死にはしない。日本人のほとんどは農村を本拠地として、出入りをしていたにすぎないとされていたのである。

 そういった状況の中、昭和4・5年の大恐慌が起きたが、松下幸之助は、半日操業、全社員休日を返上してたまっていた商品の販売に取り組み、この不況をくぐり抜けたという。松下は企業が従業員に人生に責任をもつという実践を行い、首切りなしに切り抜けたという。そこで、松下幸之助は、この松下電器産業の成功によって、どの企業でも終身雇用を取り入れることはできると主張するに至った。戦前、そして戦後10年間、ほとんどの経営者は、それでもクビ切りの経営を続けたので、多くの企業で労使紛争が起こったが、その間日本経済は復興して、特に昭和25年の朝鮮戦争を契機に、松下の言う終身雇用が定着したのである。今までの農村に本拠地をおく日本経済は、戦後の高度成長の過程で、卒業後の農村の若者たちが出稼ぎ程度だったのが大量に都市に出てきたので、農山村の地域コニュニティや大家族制度が崩壊したのである。一方で、農村から企業に生活の本拠地を置くといった「企業を中心」とするコニュニティが出来上がっていった。そこでは、従業員側も全人格的に会社に帰属するという環境ができ、従業員を寮や社宅にいれて、福利厚生施設を充実させて、スポーツからお花まで趣味や娯楽までを面倒をみる。買い物は共済組合で、旅行は会社の保養施設を利用できるというような環境が整備された。いいも悪いも、いわゆる「会社人間」となる「職縁型」の社会構造を創ったのである。

 終身雇用がうまく動いていく条件は、常に経済が成長し、人口が増加傾向ににあって若年労働者が増えていくことが必要である。これが平成になると賃金の高い高齢者が多くなると難しくなる。日本は平成7年をピークに若者が減少し、終身雇用は限界にきている。松下幸之助が主張して根ずかせた終身雇用・年功序列は、戦後急速な経済発展と共にうまく機能したのであるが・・・。

 さて、コロナ禍の中で、リモートワークを余儀なくされて、会社に行って皆で一緒に働くということの必要性の良しあしが議論されるようになった。リモートワークに一部また戻りつつあるとはいえ、これを契機に、会社べったりの働き方はどうなのかという疑問も呈されて、全部が全部ではないが、リモートワークでは必ずしも大都市でなく地方でもどこでも働ける環境が整えられてきている。そういった企業では給料もそれなりに対応した給料ということになるだろう。また、職場で集まっていたので能力評価をうまくできたところ、リモートはこの能力評価を困難にしたといわれるが、フェイスツーフェイスから脱却し新しい人事評価制度が出来上がれば一面おざなりにしてきた評価制度が確立することにもなるだろう。また、コロナ前からではあるが、副業・兼業を認める企業も多く出てきたようだ。これも会社専従からの離脱である。また、だいぶ前からであるが、給料も高齢者になると減少・頭打ちという企業も増えた。また、正規の労働者の中でも、転勤はしないという条件の労働者もでてきた。サービス業や物流業等ではロボットを使った業務も多く出てきたところでもある。(また、最後の問題としては、転職とその際の給与の増減の議論は当然必要になる。)これらは終身雇用や年功序列からの脱却を少しづつ行っていることの証であろう。いずれにしても、終身雇用・年功序列が崩れる中で、日本的経営の良さである「企業へのロイヤリティ」を保ちながら、働き方の多様性等を考える方向になるのだろうが、果たして次世代の「働く姿」のイメージはどんなものとなるのだろうか。

参考:日本を創った12人・後編(堺屋太一) PHP新書
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労基法と労契法の労働者の定義の違いは「事業」の表現のみ=例:個人の事業性の有無

2022-05-07 09:18:23 | 社会保険労務士
 改正前の労基法では17の事業に該当しないと「労働者」の規制が適用なし

労働基準法にも労働契約法の規定にも「労働者」の定義があって、ほとんど内容は一緒なのだが、次のように若干違っている。
 労働基準法9条 この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。
 労働契約法2条1項 この法律で「労働者」とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいう。

「使用される」と「賃金を支払われる」というキィーとなるポイントは、両規定も同じあることが分かるだろう。労働基準法では、事業に「使用される」となっているが、事業には使用者がいて、この「使用者の指揮命令により働く」ことになる。労働契約法では、「使用者に使用されて労働」するというそのままの表現になっており、同じく「使用者の指揮命令により働く」ことになり、結局、労働基準法と労働契約法は「使用者に使用される」という意味では全く変わらない。また「賃金を支払われる」の「賃金」は、労働の対象として使用者が支払う報酬をさし、この「賃金」を使用者からもらうことを意味する。すなわち、労働基準法においても労働契約法でも、使用者から労働の指揮監督を受けて働き、賃金をもらっているのが労働者と言うことになり、基本的にはその定義は変わらない。

 労働基準法でこれに追加の表現である「職業の種類を問わず」とあるのは、戦前の工業法などの時代に「職工」を対象とするなどの職業に制限があったことから、戦後に労働基準法が制定されたときに、職業には制限なくその対象とするという意味で設けられた規定である。労働基準法はあまねく全職業を規制する法律であることは、当たり前になっているので、今ではあまり意味を持たない。労働契約法では職業の種類の表現はないが、この表現がないことにより逆に「職業の種類」は限定していないころになる。

 問題は労働基準法の「事業」に使用されるという点である。実は平成10年改正前の労働基準法では、17の事業を掲げそのいずれかに該当する事業のみ適用するとなっていた。ゆえに、これら以外の事業では労基法は適用しないとなっていたのである。しかしながら、ほとんどの事業が列記されており、適用漏れとなったのは、選挙事務所とか個人サービス業(塾、翻訳業等)であったといわれる。

 こういった事業所にも本来は適用すべきであったと思われるが(なぜ適用にならないのか分からない。)、こういった事業列挙方式にしたのは、むしろ事業別に労働時間にばらつきがあったから、こういった事業別の列挙方式にしたからといわれている。しかし、女性の労働時間の保護規定が男女雇用機会均等法改正に伴ってなくなり、この事業別列挙規定の意味が薄れたことを受けて、事業別の規定はなくなり、すべての「事業」に使用されるという労働者という意味から、この「事業」という規定のみが残ったのである。

 そのため、この「事業」という用語は、私はあまり意味はないのではないかと思っていたのであるが、これには若干注意を要するという。まず事業というのは、「業として継続的に行われるもの」とされている。したがって、宗教団体などが行う営利目的ではないものも含まれる。そして、いままでずっと説明してきたが、労働基準法と労働契約法の労働者の定義の違いは、結局、この「事業に使用される」というこの「事業」の表現がないことだけだといえよう。労働契約法には、「事業」の表現がないのである。ゆえに、継続的に行われるものに雇われるのでなくとも、労働契約法は適用になる。たとえば、個人で植木職人に植木の剪定をさせている場合には、その者を使用し賃金を支払っているという実態があれば、労働契約上の労働者ということになる。しかし、一般には、個人での植木の剪定は、せいぜい1か月に1回、出来上がりの結果に対して報酬を支払うような委託契約によることが多く、労働者という認定はまれであろう。

 いずれにしても、現実にはどうであれ、事業の表現のないことにより、すくなくとも「業として継続的に行われる」ものでなくとも、理論的には、労働契約法は適用になるということになる。これは、労働基準法では行政の管理監督のもとに罰則を伴う規制が行われるので、事業継続性のあるものが対象となる。しかし、労働契約法では、契約を結ぶ対象の労働者が全て対象となり、使用する者に事業継続性があるかどうかは関係なく、労働契約のルールとしての「労働契約法」を適用するということなのだろう。

 参考;詳解労働法 水町勇一郎
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