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笑顔の江川

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尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

貧舟の歴史人間学ー注目されない明治の海舟が重要

2025-01-30 15:38:13 | 日記
勝海舟と言うと幕末に咸臨丸でアメリカに渡ったことや西郷隆盛との江戸城無血開城の談判が注目されます。テレビドラマも勝海舟を取り上げると江戸城無血開城で終わってしまいます。しかし、勝海舟は、その後明治を30年生き続けます。その注目されない明治の30年こそが勝海舟の姿だと私は思っています。では勝海舟は明治に何をしたのか。確かに明治の海舟をテレビドラマ化するには面白くないかもしてません。何かを成し遂げたとか、何か大事業に成功したとか、それは明治の海舟が時代の批判者ーまあ流行に逆らった生き方をしたからかもしれません。明治新政府が西欧列強に目を向け西欧風に改革している時に、これからの日本はアジアと連携して日清戦争などしている時ではないと戦争反対したり、と言ったり、明治政府の推し進める足尾鉱山で鉱毒事件が起きると操業停止すべき、と言ったり政府批判に徹していました。また新政府と戦った苦しんでいる旧幕臣を助けたりもしています。勝海舟が批判した明治政府の行動は、何か現代の政府がしていることに何か似ているように思えるのは変人の私だけかもしれませんが・・・!?

貧舟の歴史人間学ー偉い人とはどういう人?江原素六を考える

2025-01-29 18:54:17 | 日記
昔から偉い人と言うと身分や地位で見ようとします。本当にそうでしょうか?どんな身分の人であろうと、その人の人となり姿勢を見るべきではないでしょうか。そのためには、その人の一生涯の生き方を見なければ分からないと思います。そんなことを考えているうちに数年前に沼津の明治史料館に訪ねた時に知った江原素六を思い出しました。そこで何冊か江原素六に関する書物を購入して、その生涯にふれたとき、偉い人とはこのような人物のことを言うのだなあと思いました。常に他者を思い行動する、人生の重荷を自らしっかりと受け止めるー再び江原素六を読み始めました。

貧舟の歴史人間学ー薬害は人が起こすもの

2025-01-28 16:54:17 | 日記
以前に大学の先生から「副作用は薬が起こすものだけれど、薬害は人が起こすもの」と教えられたことがありました。なるほど分かりやすい言葉です。薬害は人が起こすものー人が起こすのだから薬害は繰り返されると気づかされました。
歴史も人が創るものーだから歴史は繰り返されるー同じように感じています。
薬害の歴史ををみると、スモン・サリドマイド・HIV等々、繰り返されてきています。薬は違っても薬害が起きる構造は同じようにみえます。その構造問題は薬害史以前からあるように思います。薬害エイズで言われた産官学の癒着構造は明治時代の足尾鉱毒事件と同じような構造問題を含んでいます。また薬害エイズ裁判の被告企業の創業者が731部隊(関東軍防疫給水部)出身者で大戦中からの医師の行動も同じような構造問題を含んでいます。この二つの問題をみても様々な人が関わり合い、起こす方と止めようとする方、二つだけに分けることは出来ませんが、多くの歴史上の人物が関わっています。この構造は今も変わっていません。人である以上、歴史も薬害も繰り返されています。人として歴史を学び薬害を止める手立てを考えなければならないでしょう。

HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害九州訴訟報告医集会ー今年は被告側の専門家証人尋問が目白押し

2025-01-27 18:42:24 | 日記
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害九州訴訟の期日で夕方に報告集会がありオンライン参加しました。今年は被告側の専門家証人尋問が目白押しで来月2月には2月3日(月)、10日(月)は東京期日、17日(月)、27日(木)は名古屋期日があります。
被告側の専門家証人尋問が終われば、原告本人尋問があり、その後に判決が予定されています。原告被害者の支援活動もさらに盛り上げていかなければなりません。これからも活動を続けてまいります。

貧舟の歴史人間学ー江戸の悪者?人にはそれぞれ善悪を持ち合わせている

2025-01-25 18:29:55 | 日記
江戸時代後期に鳥居耀蔵と長野主膳という人がいました。よく江戸の二大悪役などと言われたりすることもあるようですが。
鳥居耀蔵は老中水野忠邦の下で蛮社の獄を主導して蘭学などの洋学者を捕えました。長野主膳は大老井伊直弼の下で安政の大獄を主導して尊王攘夷派志士等を捕えました。二人の共通点は権力に密着して権力の代行者になったと言われています。獄につながれた人は将来を有望された人々も多くおりました。政治犯というものは時の権力によって左右されます。処刑されたものもいれば釈放されてその後活躍したものもおります。
鳥居耀蔵は幕府儒官林述斎の子で鳥居家に養子に入り江戸町奉行にもなりました。徹底した洋学嫌いで蘭学者を罪に陥れるため追求しました。蛮社の獄はその表れです。今でいえば冤罪事件にもなるでしょう。幕末期には四国の丸亀藩に幽閉の身となりましたが、明治まで生き続け、丸亀藩が困ったのは明治になって解放されても「上様(徳川将軍家)の命で丸亀に送られたので上様の命がなければ戻らない」と言ったそうで、ようやく東京に戻っても、ここは江戸だと言い張ったそうです。儒学者の息子だけあってかなりの教養の持主であったようです。
人はそれぞれ善悪を持ち合わせ、完全な善人、完全な悪人は居ないと思います。生まれ育った環境や事件・事故などの遭遇で環境の変化がある善悪が変わってしまうこともあるでしょう。人である以上、それは江戸時代であろうと令和の現代であろうと変わらないでしょう。歴史上の人物の一生涯を振り返りながら貧舟の歴史人間学は、まだまだ続きます。