Dr内野のおすすめ文献紹介

集中治療関連の文献紹介が主な趣旨のブログ。
しかし、セミリタイアした人間の文献紹介なんて価値があるのか?

申し送りの未来

2021年07月13日 | ひとりごと
夕方に行われる、日勤者から夜勤者への申し送りに時々参加している。
で、思ったこと(とても当たり前なことを書きます。自分のための備忘録とでも思ってください)。

日勤は、自分なりに患者像を描いて、重要な項目や日中に起こったことについてメモを書き、そのメモを見ながら話す。
夜勤は、申し送り前にカルテを読んで情報収集をして、日勤者の話を聞いて、重要な項目をメモする。勤務中に患者さんについて改めて考えたり情報収集をして、その夜に起こったことを追加して、患者像を描く。
この繰り返しが行われる。

複数の人が臨床に参加しているし、数日前にも働いていたりするし、最近はSNSで情報共有もできるので、実際はもっと複雑だけど、この申し送りという要素だけを見ると(つまり記憶は継承されないとすると)、
日勤者の患者像→日勤者メモ→夜勤者メモ→夜勤者の患者像(autoencoderに似てる)
という情報の流れ、情報量の変化が起こる。

1:患者像という記憶もメモも保存されないので、過去に行われた申し送りという行為は記録が残らない。
記憶は仕方ないとしても、メモが破棄されるというのはデメリットでしかない気がする。

2:情報が圧縮され、新たに生成されるので、付加される情報もあるが消失する情報もある。
情報の消失は患者予後の悪化につながる可能性があるし、多分時々つながっている。

情報の保存はコンピュータの得意分野。なのでコンピュータによる診療補助が今よりも普通に行われるようになったら、申し送りの形はきっと変わっている気がする。でも、単に情報を保存しても利用されなければ意味がないし、情報量が増える一方だと人間による利用には限界が来るので、工夫が必要だ。

さて、具体的にどんな未来がやってくる?
この場に何を提供したら、患者予後の改善につながる?
なんてことを考えながら、申し送りに参加しています。
関係者の方々、邪魔してごめんなさい。
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