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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

新しい出発

2018-03-06 21:35:18 | 日記
先月21日 18時39分
かねてから療養生活をしていたお嫁さんが亡くなりました。
36歳 あまりにも短い生涯でした。

暮れに黄疸が出始めて「これはダメかもしれない」と思ったのが正直なところ
正月明けに引っ張るようにして連れて行った病院でした。
即入院
それでも彼女はまだ生きる希望を捨ててはいませんでした。
たまる腹水に手焼きながらもステントを入れたり 水を抜いてたんぱくを体に戻すなどのきつい手当てに泣き言言わずに頑張ったと思います。

いつ病院へ行ってもだれか彼か尋ねてくれていて病室は人で溢れていました。
有難いことです。
10日ほどで退院できるはずで 「カワセミのおそばが食べたい」「くら寿司の熟成マグロがおいしいそうな」などと言っていて「退院したら食べに行こうね」と言っていた店はどんどん増えてきたのに 残残念ながら良くはりませんでした。

私の手を取って「お母さんごめんなさい ごめんなさい」と言っていた時にはもう死を覚悟していたのでしょうか?
息子に「いつ頃彼女は生きることを諦めたのかねぇ」と聞いたら「っそりゃ個室に移った頃でしょう」と言いました。
小さな子を残して逝く身をどんな風に感じていたのかと思うと胸がつぶれる思いです。

最後の日 心臓も弱ってきて 痛み止めもだんだん強くしないと効かなくなって強くすると気持ち悪くなっての悪循環の中 突然苦しそうに喘いで 息が荒くなっての最期でした。
ちびも含めて家族に看取られただけまだ良かったのでしょうか?
少し笑って安心したような顔で眠っていました。

「たくさんの中から私を選んでくれてありがとう。」
「子供たちをあなたに託すできないと思っていたけれど 今なら二人の子供をあなたに託して逝ける。ありがとう。」
息子と交わした最後の言葉だそうです。

あれから2週間ほどたちました。月日はどうしなくても流れていきます。
毎日 お茶とご飯を供えながら今が嘘のように感じることも多いのですが 子供たちの行事に追われて忙しくしていることも確かです。

今亭主を家において ずっと息子の家に居候です。
どう工夫の場所を離れることはできないし あとに残された私の余生ると不安になってしまいますが ともかく頑張るしかないです。
私の命 私のためにというわけではなく 少しでも長持ちしますように
コメント (8)
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