3月28日 翌日に娘の結婚式を控えて 打ち合わせの為に前日から出かける。 夕方の打ち合わせだったので 急がなかったのだけれど ETCの通勤割引の為に 朝早くから出かける。
時間余っちゃった どうしよう? ってなわけで あっちへふらふら こっちへふらふら。 およそ花嫁の両親らしい緊張感無く 観光客。
福知山城に寄ってみたい と亭主殿の一言で 行ってみる。 日本のお城見た目美しくても 実は鉄筋コンクリートだったり エレベーター付きだったりで あまり好きでは無いけれど こんな奥に来ることは無いからこれも良いかな?
福知山城は 小高い丘の上にあった。 小高い・・だよ ほんの少しだけ上る。 お城に掛っている 太鼓橋を見て興奮。 でかい 何と・・・ 太鼓橋 子供の時から好きなんだよね。 近くの神社の太鼓橋 毎年 初詣でに渡るけれど なかなか急で難しい。それでも 苦労して渡ってしまう。
でわくわくして 行ってみると・・・
あれ?階段だよ。 どうやって渡ってやろうかと思っていたのに。。。。
この城は元々はこの地方の豪族が 横山城という名前の城を造っていたらしい。 丹波を平定した明智光秀が城を築き 城下町を整備したとのこと
明智光秀? へ~ぇ ちょっと驚き こんな所にも明智光秀が もっとも光秀は 3年ほど後に あの本能寺の変後 無くなってしまうのだけれど 光秀に撮って縁の薄いお城だったのかしら? しかし 光秀は城作りの名手だったと聞いたことがあるので 要塞としても 大事な城だったんでしょうね?
桜の木がいっぱい。 もう少しすると この辺り桜の山としてピンクに染まり 美しい城になるんだろうな。
何桜だろう? 下を向いたまま開かない桜。 聞いたことあるけれど この頭 すっかり忘れてしまった。
城郭内の井戸としては日本一らしい 井戸 覗き込んでみると 深くて暗い。ここの地表は海抜43メートルだそうで 井戸の一番下は 海面下7メートルも掘られたことになる。 凄いな そんな技術 あったんだね。
さすが明智光秀。
しかし 次の所へ来て 凍り付いてしまった。
転用石 なんだかわかりますか? お城の石組みを作るのに 近隣の治世に反抗的なお寺の墓石や五輪の塔などを持ってきて それを使ったのだと・・・
穴太積み (これは坂本の町で見た 近くの穴太臭が この技術に長けていたと聞いた)の石垣は200以上の墓石や 五輪塔で組まれていたと・・・近くに切り出す石が無かったこと 城のお守りにしたのだとかいろんな話を聞いたけれど 何ともはや・・・
安土城は やはりそうだった。その時の説明は 神をも畏れない信長が 墓石を階段につかって踏みつけていたのだと聞いた。 その発想は 実は光秀の考えだったのだろうか?
って思ってしまったのは 確か。 戦国を生き抜いていくために 人はどんなこともするようになるんだろうか?