Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

神岡鉄道

2006-10-16 01:39:28 | 旅行記

おばさんの所を訪問中に 神岡鉄道が 今年廃止になると聞いた。

私は鉄道マニアでもないし 神岡鉄道が何処をどんな風に走っているかも知らなかった。 知っているのは この地の山間部 とてもへんぴな場所で暮らす伯母が いつも利用していること。 電車がなくなったら 日々の生活に不便な事だろうな と思ったぐらい。

「明日の朝 始発に乗ってみようよ!」と亭主が言った。 時刻表を見ていたら 最寄りの駅茂住から 猪谷まで二駅で 猪谷からは 12分ほどの待ち時間で折り返し運転がされることが解った。

「神岡鉄道は 神岡の地下鉄だよ。 トンネルばっかりで 何も見えないよ」

そう言えばおばさんの家を探して地図を見ていたとき やたらと続くトンネルに 一体どんな山深い場所に行くんだろう?と心配になったほどだった。

でも本当はこのやたら多いトンネルが 神岡鉄道の存在価値を高めていたらしい。

雪の影響で道路が寸断されたりされても この鉄道は そんな影響をあまり受けないで 鉱山から運ばれる硫酸を運び続けることができたことはとても重要な事だった。

駅は奥飛騨温泉郷口から猪谷までの8駅を7往復 更に途中の鉱山駅から奥飛騨温泉口までのコースを3往復を 今でも運行している。 もともと 三井金属工業が近隣の県や市町村と お金を出し合って作った鉄道。 鉱山が景気が良かった頃にはさぞかしにぎやかだったことだろう。 なん往復も硫酸を運んでいる車両が 渓谷の合間を走り抜けていったのだろう。

見上げるような山の頂上近くに 鉱山の住宅が並んでいた。 それはとても不思議な姿だったけれど あんな所に人がいっぱいいたんだと思うと その頃の町や山の様子も想像できる。

Kouzanjyuutaku とても見にくいけれど 山の斜面に貼り付くように 大きな住宅があった。あまりの高いところなので どうにも不思議な光景だった。

今ではその役割も終えて 地元に残った人々の足とはなっているものの あまりに細々としているのだから 廃線もやむなしと言うところか・・・

今電車は一両のワンマン列車。車両の温泉口側には小さないろりが二つ組み込まれている。

Irori 全線の駅には 飛騨中山をのぞいて七福神がおかれ全部を回ると七福神参りができるようになっている。 しかしそれが人を呼ぶ力があるとは思えませんけれどね。

茂住の駅まで熊よけの鈴をりんりん鳴らしながら 早朝の山道を歩いていくと カメラを持ったおじさんが登ってくる。

このところ廃線を惜しむ人が毎日のように鉄道の写真を撮りにやってくるのだそうで このおじさんは 茂住の駅に入る列車を撮ろうとしてるのか。。。

始発なのに 電車はほぼ満席

殆どの人がカメラを持って 記念乗車券を片手に 電車に乗っている。

おばさんの言うとおり 神岡の地下鉄は トンネル時々山紫水明の地 を繰返しながら 猪谷と茂住の間を 往復した。

Tonnneru Okuhidaitigou

他の人は 全部を回るのだろう。 誰も降りる人がいない

温泉口が 口では無くもっと新穂高の方まで行っていたら もっと鉄道の寿命があったかもしれない(温泉口の名前は どう考えても可笑しい。 ここから小一時間バスに乗らないといけない。)とは言っても今更 遅い。

この冬の始め 神岡の歴史と共にあった鉄道は 静にその幕を引く。

コメント (4)
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