テムテムな日常

頑張れみんな!頑張れ自分!

改心の出来!再び!!

2007-03-12 | ものづくり
私はあまりスカートを履きませんが、デニムスカートを作ってみました。ニットソーイングがそこそこ形になってきたので、レギンス程度なら縫えるし、レギンスがあるならバイク同様に太足の私でもスカートはけるかも・・・と。なかなか良い感じです。シンプルなデザインですが、要所要所に好きなポイントを練りこんでみました。

でも今日寒いんですよね・・・スカートをはいて出かけられるのはいつだろう・・・。詳細は子ブログのコチラで。

策士の失敗

2007-03-09 | 雑談
父ちゃんは夜勤明けなのに「ミーティングがあるから・・・」と夕方から職場に戻り・・・最近ものすごく仕事が忙しいようなのです。

基本的に父ちゃんは「腹心の参謀」タイプ・・・三国志で言えば諸葛亮、日本史で言えば山本勘助、世界史で言うなら、え~と、誰だろう・・・まぁいずれにしても「まわりに絶えず気を配り、根回しをして自分は表舞台に立つことなく自分の理想を遂げる」タイプ。だからつい最近まで、職場でも常に「ナンバー2」の存在でありながら、上司には頼りにされ、部下からは慕われる存在だったようです。

本人もそんなポジションがよかったようで、常々「影のトップがいいねん」と話していたのですが・・・10年も勤続するとなかなかそうもいかないらしく、入社時から可愛がってくれていた先輩が今月末で退職することとなったことに伴い、4月からは、老健・特養・GH・デイの介護職員200人以上を束ねるトップに君臨することとなりました。

世の中で言えば順当な出世ということなのでしょうが・・・本人はそんな立場が非常に苦痛らしく、現在引きつぎの最中ですがすでにもういっぱいいっぱいの状態のようで、毎日遅くまで職場にいて、休みの日もしょっちゅう呼び出され、今日のように夜勤明けなのにまた職場で一仕事、なんてことが増えつつあります。

ま、どこの職場でも人が足りていないのだから、管理職といえど仕方のないことなのかもしれません。実際、もうすぐ退職する上司の方とはちょくちょくお会いしたこともあるのですが、ほとんど休日はない状態で、「家でごはん食べてはる??」という感じでした。そんな職場に嫌気が差して退職されるのかは知りませんが・・・。

職員が辞めていく現状に「こんな職場じゃ続くわけがないわなぁ・・・」とため息をついていた父ちゃん・・・。上司となり、人を育てていく立場としては、せっかく入ってくれたのになかなか続かない子が多すぎるので、せめて自分がトップに立ったら、退職者を減らす取り組みをしたいといっていましたが・・・家族としては、父ちゃんの体調が心配です。ま、高い生命保険を掛けているのでいざというときは・・・イヤイヤ、せめて子供の前では疲れた顔ばっかりせずにいて欲しいんですけどね。

理想と現実のギャップをなくせ!

2007-03-08 | 本・マンガ・アニメ
だいぶ前にも記事にしたマンガ「ヘルプマン!」ですが、一番新しい7巻は、仕事を辞めてしまった私に「やっぱり介護の仕事はいいなぁ」と思わせるのに充分な内容でした。みなさんはもう読みましたか?

「ヘルプマン!」は、言わずと知れた「介護」についてもマンガですが、ご存じない方のために軽く説明しますと・・・主人公の恩田百太郎(おんだももたろう)は、幼馴染で親友でもある神埼仁(かんざきじん)に、高校3年生で卒業も近いある日、突然「学校を辞めて介護職になる!」と宣言され、今まで仁と良くも悪くもつるんできた百太郎も負けじと介護の世界へ飛び込むのですが、そこは全くの未知の世界・・・でもまっすぐで自分なりの正義感をもつ百太郎は、まわりの職員とぶつかりながらもいつしかお年寄りの心を掴み、日々の仕事に追われ介護という仕事の本質を見失いかけていた先輩たちのモチベーションをあげる存在になっていくのです。

はじめのうちは「こんな一人ひとりに時間を割いていたら、仕事なんてなりたたへんわ!」「理想はそうだけど現実はこんなもんじゃないわ」と思いつつも、介護職とはなんたるか、真の幸せとはどこにあるかを深く考えさせられ、時には怒り、時には涙を流し・・・なかなか読みごたえのあるマンガです。

もちろんマンガだから、理想的すぎる部分もあるのですが・・・実際介護の仕事をしていてもどかしく思っていたことも、考え方次第ではあっさりと解決できるものだと知りました。

介護職はなんでもすべて解決できる存在じゃない。
そしてお年よりはただ介護されるのを待っていることしかできない存在じゃない。

利用者も職員も人間・・・ぶつからないと分かり合えないこともある。なんでもしてあげることが「介護」なのではなく、お年寄りの思いを汲み取り、幸せは何たることかを共に考えることがこれからの高齢化社会を支えていく一番簡単な方法ではないかと思います。

そう思うのも、マンガに出てくる人たちは、みんな「スーパーマン」ではありません。誰にでもできることを当たり前にやっているだけなのです。難しいことは抜きにして、「してもらいたいこと」に「ちょっと手を貸す存在」が介護職なのです。

言葉を覚える過程

2007-03-07 | 雑談
趣味でタイ語を勉強していますが・・・継続とは恐ろしいもので、毎日ただ「聞き流して」いるだけなのになんとなく文章の意味が分かったり、耳に入った言葉をすらっと文字に変換できたりする場面が少しずつではありますが増えてきたな、と感じることがあります。そんなときはやはり単純にうれしいし、タイ人にちょっとは近づけた気がしてますますやる気になるものです。とはいえ私は、単語や文法をコツコツ覚えるのは超苦手・・・なので「勉強」といっても、もっぱら「タイのテレビやラジオを聴く」、「好きな歌を歌い、訳す」、それから、ちょっと恥ずかしいのですが「タイ語に翻訳されたマンガを読む」ことぐらい。それでもふとした拍子に自分の上達を発見することはうれしいのです。「そんなの、勉強とは言えないよ!」と言われるかもしれませんが・・・このくらいのペースがきっと自分には合っているのでしょう(「タイ語の勉強」なんて、たいそうなことをいつも言ってしまいごめんなさい。ほんとはたいしてやってないのです。もっと勉強されてる方もおられるでしょうね。気を悪くされた方、ごめんなさい)。

で、同じように言葉を覚える作業を日常的にやっているのがうちの息子と娘・・・。娘はまぁ、まだ「あ~」とか「う~」とか、そんなんばっかりですが、息子はかなり単語力、表現力がついてきて、親と対等に渡り合う日も近いと思います。

そんな息子の最近のヒットは「うぐいす」を「いぎりす」と思っていたこと・・・。参観日のときに「ホーホケキョの鳥は何??」との質問に、「はい!はいっ!!」と元気よく手を挙げて「いぎりす!!」と・・・。あ~、恥ずかしかった・・・大爆笑を誘った息子ですが、その後も「うぐいす」と「いぎりす」の区別はいまいちついていないようです。

彼は「だ行」と「ら行」の区別もイマイチ分かっていないようで、文字をかかせてみると「ぽけっともんすたーらいやもんろぱーる」などと書いたりします。口で言うときは「だ行」と「ら行」の区別はできているのですが・・・難しいのでしょうか。なぜ難しいのか私にはよく分からないのですが、まぁこの辺はほっといてもそのうちきちんと覚えるでしょう。

ちゃんと理解させておかないといけないなぁと思うのはやはり敬語の使い方。目上の人には「です・ます」で話すことはもちろんですが、言葉尻だけに気をつけるのではなく、相手の目をみて話す、話している人の顔をみる、といった礼儀もそろそろきちんと教えていかなければなりません。でも、テレビ番組などでも明らかに目下の者が年長者を(演出上のこととはいえ)叩いたり、「ばか」などと言ったりする場面が多くて・・・相手を常に敬い、尊敬の態度をもつことは人間として自然な行為であり当たり前のことだと理解して欲しいのですけど、難しいですね。

私自身、近所の方には必ず敬語、舅姑にも敬語、いかにも新卒の保育園の先生にも敬語ですが、子供にそこまで強要するのは難しいですよねぇ・・・。学んで覚えるのではなく、自然な形で身に着けて欲しいのですが。

あなたとお話したい!

2007-03-06 | 介護職
私はどういうわけか、道を歩いているとしょっちゅう尋ねられたり勧誘されたりします・・・きっとものすごく無防備な雰囲気を漂わせているのでしょう。見知らぬ土地で道を聞かれることも多いし、めったに日本で見かけないような国の人(キルギスとかスリランカとかセネガルとか)に現地語で道を尋ねられたことも4~5回あります。タイでもタイ人にしょっちゅう道を聞かれたし映画に誘われたりあやしげな勧誘を受けたり・・・まぁ、子供の頃からそういうことが多かったのでもう気にならないのですけどね。

道を尋ねられることぐらいは別にたいしたことではないのですが、精神障害者にストーキングされたりホームレスに絡まれたり・・・身の危険を感じるようなこともしょっちゅう・・・きっとものすごく「話しかけやすい」オーラを撒き散らしているのだと思います。

そんな私ですが、話しかけられるばかりではなくて、道を歩いているお年寄りが道を渡れなくて困っていたり、重たい荷物に手を焼いていたらついついおせっかりをしたくなってしまい、また元気そうな人でも「ちょっとあの人とお話してみたいなぁ・・・」と、用事もないのに声を掛けてみたりすることだってあります。要するに「人好き」なのでしょう。

若い頃は「人間づきあいが苦手」と公言し、あまり人と関わらない職業に就きたいと思っていたのですが、実はかなりの人好きだったみたいで、介護の世界にもすんなり溶け込めたし人間関係に悩むこともなかったので、やっぱり本当は根っから「人が好き」なんだと思うようになりました。そのことに気がついてからは、もう臆することなく街中でも人と話すことに抵抗がなくなったのですが・・・

そんな母の姿をみて育っている息子にとって、「街中でだれとでも会話する」ことが正しいことなのかどうか・・・このご時勢にはちょっとマズイのではないかと思うのです。実際息子はまったく人見知りをしないし「他人を疑う」ということができません。今までにも買い物中に見知らぬ人に連れられてお菓子を買ってもらったり、家からかなり遠く離れた公園に知らない人の車に乗って行ったり・・・そのうちなにか取り返しのつかないことが起きそうな気がするのです。

でも、「困ってる人には手を貸してあげるのが当たり前」「自分からすすんで挨拶」と普段から言っているのに、「知らん人とはしゃべったらダメ」とは今更いえませんし、子供も混乱しますよね?!かといって、重い荷物をもってふらふら歩いているお年寄りを見てみぬ振りなんてできないし、あいさつされて返事もしないのは人として変です。

もう少し大きくなったら、「人間にはいい人もいるけどなかには悪い人もいる」こと、それから「自分とかかわる全ての人間が自分にとって『良い』存在ではない」ことに気付いてくれると思うのですが、まだ5歳じゃ難しいですよね・・・今の息子と同じくらいの時期に、春の陽気に魂を抜かれた大人に物陰で体を触られた経験がある私としては、どうやって子供にそんな大人から身を守る方法を教えたらいいのか分かりません。

痒い!

2007-03-05 | 雑談
花粉症の症状は日々酷くなってきて・・・ついに目じりが切れました。視界の片隅にい~っつも赤いものがちらついている状況・・・辛いです。

花粉症で目が痒くなる以前にも、私の目にはしょっちゅうまつげが入り込むようで、んもう本当にしょっちゅう「目が痒い!」とのた打ち回ることが多かったのです。なので普段は化粧よりもなによりも「ビューラーでまつげを上向きに巻く」、そして「目じりのまつげは抜く&カットする」のですが、最近はそれに加えて「髪の毛が目を刺激しないように前髪はヤワラちゃん結びにする」ようになりました(年甲斐もなく!)。しかしそれでもかゆみはおさまりません。あまりにも私が目のかゆみを訴え、目をかきむしっているので家族も心配しています。

かゆいだけならまだしも、ちょっと炎症を起こしかけているのか、かなり粘度のたかい目やにが常にだらだらと出ているので・・・油断していると目の周りは目やにでガビガビに。もちろん朝はしっかり目やにで目が開かなくなっています。アレルギーの目薬をいくら差しても効果なし。んもうほんまにどうすりゃいいねんな!って状態なのです。去年は目よりも鼻水がきつかったのですが、今年は目の症状がきつすぎて鼻水の出る幕ナシ!痒い痒い目の症状に比べれば、滝のように流れ出る鼻水や止まらないくしゃみなんてカワイイもんです。

通院しようかなぁ・・・。

授乳しているので薬が飲めず、注射もダメなので、できる範囲でしかしていないのですが、花粉症によしとされている「じゃばらジュース」も効果ナシ。出かけるときはマスクにゴーグル(バイクに乗ってないときのゴーグルは・・・かなり怪しいので子供も泣きます)、洗濯物も外には干さず、空気清浄機を常にまわしているのですが、かなり敏感になっているみたいです。そしてなにより困っているのが

目がこんな状態だからミシンもやりづらいし、勉強にもさしさわるし、パソコンいじりも一苦労!

あぁ~もう、ほんとに、なんとかならんものか・・・。アレルギーに対する鈍感力を身に付けたいですよ。まったく・・・。

安全なんでしょうね?!

2007-03-04 | 雑談
高校生のとき、とあるイベントで高知県を訪れて以来、食べ物がおいしくて、町並みがキレイで、人に活気があって、ガッカリ名所が本当にガッカリな高知県が大好きなのです。ヨイショしてるわけではありません。もし高知の大学に学んでみたいゼミがあったなら間違いなく高知での学生生活をしたでしょう。友人を訪ねてフェリーで行ったこともあるし、将来時間ができたらバイクで四国一週だってしてみたい・・・それくらい思い入れのある高知県なのですが・・・

今、その高知県がどうやらアツいようですね。みなさんご存知のように、「産廃処理施設の誘致を巡って町長さんが・・・」とかの、アレです。

そのニュースを初めて知ったとき、「あぁ~やっぱり、どこの自治体もお金が欲しいんか・・・」と、失礼ながら思ってしまいました。釣りやツーリングで京都からそこそこ近い福井県は、ご存知のように原発がある自治体ですが、んもうそりゃ道は広いし公衆トイレは美しいし、あちこちに「お金がある自治体」らしさが見え隠れ・・・出生率も全国一だそうです。そしてその潤いはすべて「原子力発電所」という高リスクなものを建設することと引き換えに得たもの・・・。たしかに自治体としては潤って万々歳だろうけど、やはり心の片隅に「もしも!」という気持ちがあるのではないかと思います。

そしてそんな「もしかしたら」という不安を、今度は高知県のとある田舎町に巨額のカネで売り飛ばそうとしている・・・賛否両論あるでしょう。リスクと引き換えにカネで町民の生活を底上げするもよし、万一の危険性を考えて断固反対するもよし。でも決して町長さんの一存なんかで決めることなく、正々堂々とみんながじっくり考えて決めなければなりません。

でも、でもね・・・私の本音をこっそり白状するならば・・・

ホンマに安全なんやったら、田舎にこそこそ埋めるようなことはせず、それこそ東京のど真ん中にでも埋めたっていいんちゃうの?

だって、安全性には問題ないんでしょ?どこに埋めたっていいんじゃない?万一のことを考えて田舎に・・・と考えてるその根拠はなんなのでしょう。人口の過密した大都会でその「万一」が起きるか、はたまた寂れた田舎の村で起きるか・・・都会ではだめで田舎ならいい、なんてことはないはずですよね。

初節句です!

2007-03-03 | 雑談
お兄ちゃんが保育園で作ったおひなさまと一緒に。せいちゃん4か月の雛祭りです。

あいにく父ちゃんは夜勤で不在ですが・・・おばあちゃんからの雛祭りケーキは、私と息子がおいしくいただきました。

しかしこう毎日暖かいと、いまいち風情に欠けますね。

みんなどうしているの?

2007-03-03 | ものづくり
趣味で服を作るようになってから、洋裁関係の本を買ったり他人のウェブサイトをみたりして、だいぶ「自分の好きなかたち」というものが自分で分かってきたような気がします。そして数をこなすにつれ、元のデザインどおりに作るだけではなく、そこに自分らしさを練りこめるようにもなってきて、ますます興味は尽きません。まぁこれはあくまで「趣味」の領域なので、これが「仕事」にでもなってしまえばそんな悠長なことは言ってられないのでしょうけど・・・。服作りはマイペースに、楽しんでぼちぼち続けていきたいなと思っています。

そんな私の目標は、「ジーパンを縫う」ことでしたが、先日それも達成でき、次なるジーンズの構想も固まりつつあります。そしてもうひとつの目標でもある「来年の春、息子の入学式にはタイシルクのスーツを自分で仕立てて着る」なのですが、これもぼちぼちリサーチに入らねば・・・と思い、日々いろいろ検索してみているのですが・・・

スーツのパターンって、見かけませんね。

最近は「ナチュラル志向ブーム」のようで、こうした手作り服も「簡単に作れる」ことを売りにしているものが多いような・・・。しかし以前にも書きましたが、私はこうした「ぼんやり」「ほっこり」したものはあまり好みではないのです。頭からかぶって着るスモックのような服やら、ウエストがゴムになっていてゆとりのあるスカートやパンツやらは、正直、苦手・・・なのでそういった服は持っていないのですが、今や「手作り服」イコールそういった「簡単に作れるナチュラル系」が主流ですよね。

かといって、洋裁を生業としているような方をターゲットにした本に載っているようなスーツは、なんていうかおばさん臭すぎてちょっと・・・。型紙も自分で引かなければならないような本ばかり・・・。私のような「初心者に毛がはえた」程度の者向けにはないのでしょうか?

やっぱりスーツが作れるくらいの腕の人は、型紙も自分できっちりおこすんでしょうね。そもそもスーツのようなかっちりしたものは、自分の体型にあわせて作るのが基本・・・出来合いの型紙で丈だけちゃんとあわせればそこそこ着られるものが出来上がる、といった簡単なものではないのかもしれません。

そうなるとやはり、服の型紙がちゃんと引けるようになりたくなってきます。そうなると、もはやだんだん趣味の領域からは外れてきているような・・・でもこうしてあれこれ考えるのも楽しいのです。まずは着たいスーツの形を決めて、まず練習で1着、そしてタイシルクで本番・・・1年で間に合うでしょうか??ま、生地の入手先はめどがたっているので(JiMNYさん、頼りにしてますよ!)あとは基本の製法技術を上達させることですね。

ちなみに私の着てみたい「タイシルクのスーツ」は、国王妃殿下がお召しになっているようなトラッドなタイシルク柄を取り入れつつも現代っぽいデザインのもの・・・「アジア語学紀行」でヌイさんが注文していたような軽めのスーツよりは、かっちりした雰囲気のものが欲しいなぁ・・・。せっかくお金と手間を掛けて作るので、冠婚祭はコレ!というくらいのものを作りたいのです。難しいですかね??

一生悔い恥じて生きていく

2007-03-02 | 雑談
娘もようやく4ヶ月になり、表情が出てきて世話をするのも楽しくなってきました。

息子は4000g超のビッグベイビーだったのですが、そのせいか娘は(標準よりちょっと大きめにも関わらず)我が家では「とても小さい」印象があり、そして妹の世話をしたくてしたくてたまらない息子にもみくちゃにされているせいか、少々のことでは動じない子に育ちつつあるようです。よく寝て、よく飲み、よく笑う・・・子供がひとり増えただけでこんなに毎日に発見と平穏が訪れるものだったのは。娘を産んで本当によかったといつも思っています。

父ちゃんも娘がとってもかわいいらしく、お風呂は時間の許す限りいつもいっしょ、介護職なのでオムツ換えもへっちゃらだし、もうすぐはじめる離乳食も率先して食事介助をしてくれる・・・はず。でもそんな父ちゃん、実は娘を産むことに反対だったのです。

第2子を妊娠した、ということをはじめて父ちゃんに話したとき、即答で「今回はあきらめてくれんか」と言われました。理由は・・・まぁ、いろいろあるのでしょうけど、ご存知のように介護職は給料が少なく、その少ない給料がそこそこ人並みになるには、手当てをもらう、つまり夜勤を数こなしていかなければならないのです。うちの父ちゃんの職場は、市内でも大手の病院が経営する老健で、職員も男性が多く、「介護施設」というくくりでみればかなり給料はいいほうなのですが・・・実際のところそれでも共働きでやっていかないとかなり厳しいのです。勤続10年ともなるとそろそろ管理職に移動になり、そうなると手当てのつく勤務からは外れなければならないので、給料は減るわけです。「役職手当」<「夜勤手当」なんですね。

私も介護福祉士の資格がとれて、さあこれから!というところ・・・計画としては、子供は息子だけにしよう、息子が1年生になる年(つまりは来年)は仕事を辞めて息子の新生活をサポートしよう、という話を常々していたのですが、計画通りにことは運ばず・・・。でもせっかく授かったのに、中絶をするという選択は、私にはできませんでした。何度も何度も話し合いました。

今でもお金に対する不安は解消されることはないのですが、まぁ、いざとなりゃ儲けにならん介護職なんかせずに私が夜のスナック勤めでもすればいいか~、と気楽に考えています。父ちゃんには悪いけど、カネは天下のまわりもの・・・苦しくたってぜいたくしなければどうにか頑張ればなんとかやっていけるものではないでしょうか。

娘を可愛がっている父ちゃんに、「せいちゃん生まれてよかったやろ?」と意地悪なことを聞いてみたら、父ちゃんはあのとき中絶をすすめたことを心底反省しているらしく「せいちゃんにあんなことを一瞬でも思ったことを、このさき一生悔い恥じて生きていく。」と言っていました。せいちゃん、生まれてきてよかったね。父ちゃんにいっぱいワガママ言って、欲しいものなんでも買ってもらうんやで!