相変わらず体調不良な日々を過ごしていますが、毎日は容赦なく訪れてくれるわけで、炊事洗濯、保育園の送り迎え、犬の散歩、ゴミだしなどやることはた~くさんあるのです。なかでもやはり一番大変なのは「子育て」・・・まぁ、当たり前といえば当たり前なのですが、息子ももうすぐ妹が生まれる、ということで、自分を取り巻く状況が今後変わってしまうことをなんとなく感じているようです。
今日もいつものように保育園までの道を歩いていたのですが、近所の人にこんなことを言われました。
「ゆきくん、もうすぐお兄ちゃんになるんやから、お母さんの言うことをよく聞いていい子にならなあかんのよ」
この程度のことはしょっちゅう言われるので私もいつものように「そうですね~」と軽く愛想笑いしてたのですが、なぜか息子、こんなことを言い出しました。
「赤ちゃんからみたらゆきくんはお兄ちゃんやけど、お母さんとお父さんから見たらゆきくんはゆきくんやで。お兄ちゃんやからいい子にしなあかん、なんて変やわ。赤ちゃんがいてもいなくても、お母さんの言うことは聞くもんやし、お兄ちゃんやからなになにや!っていうのはおかしいよ」
息子よ・・・それはと~ってもごもっともなご意見です。私も長女なので、常日頃「お姉ちゃんだから・・・」と言われて育ち、なにかあるごとに「お姉ちゃんのくせに」「お姉ちゃんなのに」といわれ続け、家でも名前で呼ばれることはなく、嫌な思いをし続けました。「姉」という立場は妹から見てのものであって、親にとっては思い通りに動かすための口実にしかないのです。同じことをしても妹ならほめられ、私なら出来て当然、という空気がいつもありました。
だから絶対に、息子は息子であって「お兄ちゃんだから」どうこう、という言い方はしないでいよう、と思っていました。兄妹で比較するようなことは絶対にしない。二人は完全に別の人間であって、それぞれの考え方や個性をもっているのだから。今のところ、息子は「自分は妹から見たらお兄ちゃん」だと思っているようですが、この先、私たちの思いとはうらはらに回りからとやかく言われることも多いのでしょう・・・自分は自分、妹は妹、親にとっては優越のつけられないかけがえのない存在だということをずっと心にとどめておいて欲しいと思いました。
いつも、こんな感じなのでしょうか。
「子育て」は文字とおり、子供を育てるという意味と、自分(親)が子供に育てられる、と言う意味もあると聞きました。
正しくhanaさんの家族からはそういうことを垣間見る思いです。
これは是非「ゆきくん語禄」を残していってください。
息子は普段はわりと能天気であっさりした性格なのですが・・・たまに子供らしくない深い発言をするのです。そしてタイ語を勉強している私の影響か、文字はすべて丸から書き始めています。よくない傾向です・・・。
ゆきくん、すごいですね。ほんと、こっちがどきっとしちゃいます。
大人が何気なく言ってる言葉の矛盾に、
子供は敏感に気づくものなのですね。
そしてそれをハッキリ言葉にするゆきくんって
とってもしっかりしてて、すごいなーって思いました。
教えられますね。
人生の真理をそのお年で見抜いてらっしゃる。
hanaさんも親として、その事実は誇っていいですよ。
話変わって、
次男だった僕にとって、兄は人生で最初の友達だったけど、長兄にとって弟、妹は「人生最初のライバル」になるんですよね。
弟or妹の登場で、その「他者」を通して自分を再認識する事で、自我が芽生えてそうですね。んで超自我に物凄い早い段階で到達しちゃいそうですゆきくんの場合。
大人の持っている本質は、子供の頃に持っていた大切なものを少しずつ剥ぎ取られていった結果なのかも、と思うこともあります。下手な大人よりもよっぽどしっかりしたことを言ったりするし、物事を解決しようとするときの筋道も案外芯をついていたりしますね~。この調子で大きくなればいいのですが・・・。
>mizzieさん
このご時勢に生きるからには、いかに賢く、道理を見抜けるかにかかっていると思うのですが、5年間も誇り高き一人っ子としてマイペースに生きてきた息子が、この先どんなふうに成長していくのかがとても楽しみです。まぁでも、人間ってどう頑張っても自分の親程度にしか出世しませんからね・・・。