永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

歩く時間軸で流れる関門海峡。

2010-05-31 21:31:24 | 日記・エッセイ・コラム
門司駅北口の大里海岸が整備されて数年経ちますが、現在は関門海峡の光景に促せられて歩くウォーカーの聖地となっています。陽が沈むころ午後7半から8時にかけて、老若男女が憑かれたように海岸を歩いている様は夕陽の後光に啓示を受けて歩いているかのように思えます。かと思えば、ベンチに座る若いカップルが寄り添い、海峡の潮に澄まし互いに何か物思いにふけつている様子に目のやり場に困ることもあります。愛を語っているのでしょう。海峡の夕陽に押し流されるように玄海灘の方に抜ける船は夜通し朝鮮半島か中国の方に進路を向けるのでしょうか。初夏の大里海岸はストーリーが増してきました。海峡の流れに逆らって遊歩道を歩く人たちは道草でも食っているかのように見えます。道は一本だけではないことを知っている人たちなのでしょう。対岸の下関から大里の方へ向けて潮を押し流す海峡は太古の昔から街道を歩く人を眺めているのでしょうか。


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路上の天才画家。

2010-05-28 09:56:27 | 日記・エッセイ・コラム
珍しくアスファルト道路の上にチョークで子どもが絵を描いているのを見る。小学校2年生くらいの女の子ふたり。通りを歩く人に目もくれずに一生懸命描いている。通りの家の子なのか。その道路は車の通りの少ない町の生活道路。今どき道路に絵を描く子どもがいるのにちょつと驚いた。こういう遊びは普遍的なのだ。絵を見ると人が描いてあり物語り風。イメージはつかめる。アイデアもある。結構色使いは多彩でうまい。やはり子どもは天才だと思う。どちらかというとこの頃は大人中心の町。町の道路を占領して子どもが伸び伸びと遊んでいるのに、ちょっと安心する。


奇怪な世界とユートピア。

2010-05-26 09:41:57 | 日記・エッセイ・コラム
朝ドラ『ゲゲゲの女房』で、水木しげるさんが机の上で阿修羅のごとく、画用紙にカリカリと音を立て描く表情そのものが劇画に見える。
倉庫に直しこんでいたマンガを引っ張りだした。水木しげるさん、つげ義春さん、辰巳ヨシヒロさん、滝田ゆうさん、林静一さんのマンガが大量に出てきた。よもまあ昔はマンガを買ったものだ。
水木しげるさんのマンガを読んでいると、幻想的な世界に連れて行かれるかと思うと、現実という修羅場の世界に突き落とされる。幻想の世界と現実にあるものを試験管に媚薬を入れて混ぜ合わせて作ったような、空想物語りを見せてくれる。
水木さんの作品には短篇物が多い。『テレビくん』『宇宙虫』『河童』『丸い輪の世界』『ボヤ鬼』などなど、子どものころに不思議な世界を読ませてもらったものだ。この世なのか、あの世なのか、四次元の世界をよく行ったり来たりしたものだ。ユートピアはこんな世界なのかなと子どもごころに思った。奇怪な世界を水木さんは甘美なイメージで鮮やかに描いて、現実と言う世界の恐ろしいできごとに警告を鳴らしていたような気がする。



豆ご飯と町と人の繋がりのこと。

2010-05-25 09:58:43 | 日記・エッセイ・コラム
向いのご主人からお庭でつくったというグリーンピースと大福豆をいただく。採れたてだから見ただけでおいしそうだ。さっそく豆ご飯にして食べる。甘い味がほのかに口にひろがる。ご主人はぼくより三つくらい年上。毎日天気の良い日は庭仕事をされている。お庭の手入れが行き届いている。見習わなければと思うけれど、ぼくは不精なので口ばかり。
日頃はあまり言葉をかわすことがない隣のアパートに住むひとり暮しの年長者の方が、声をかけてくる。「突然に目が暗くなった感じになつて眼科に行ったら、大きい病院に行ってくださいと紹介状を貰って行ったら、即入院だった。恐かった」と、話される。話しを聞いていると軽い脳硬塞のようだ。一通り話しを終えられたら、「話しを聞いていただいてありがとう」と安心したようなお顔で帰られた。都会でのひとり暮しが不安なのだろう。町には子どもの姿がほとんどない。この町も高齢化している。人に繋がる町が薄れていっているような気がする。



色鮮やかな時代の歌。

2010-05-23 18:27:25 | 日記・エッセイ・コラム
一日中雨。梅雨の走りか。門司の港祭りは数年ぶりに雨にたたれる。大雨の祭りの門司港はどんな感じになっているのですかね。年に一度の祭りの気分が台なし。5月の連休があまりに好天だったので、一気にまとめて降ったという感じ。
先日亡くなられた吉岡治さんの特集をBSで見る。歌謡界も昭和がだんだんと薄れていく感じ。情念という概念も歌から薄れていくよう。『おもちゃのチャチャ』は野坂昭如さんの作詞に吉岡さんが補作されているとは知らなかった。
昭和の歌には昭和の色がある。はっきりとイメージで受け止めることのできる色鮮やかな詞が多かったような気がする。