永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

海峡の時間軸。港町・門司港。

2011-05-28 09:37:49 | アート・文化
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海峡。〈C〉永野宏三・ひろみプロ


門司は海峡に面して街の人々が生活を営んでいます。この海峡は潮騒の音とともに幾多の歴史の名残りを海面に写しています。

官製による築港と開港。海外航路の開設によるにわかな国際都市。戦火の軍港。戦後の再開港。そして国際貨物港。基幹鉄道からモータリゼーション変化による街の衰退から観光としての港街の再開発。

歴史を経て幾多の現象に追随して歴史をつくってきた門司港は、思考して次ぎへ移動する軸を身につける性格を持った街ともいえるのかもしれません。そのつどの時代による喧噪の遍歴を経験して、静粛の時間軸を知った門司港でもあります。

海峡の流れは潮が速いので、通る船の一方は停まっているように見えますが、もう一方の船は押し流されるように見えます。霧が出ると海峡一面が真っ白になってなにも見えなくなりますが、やがて晴れると、突然目の前に対岸の下関の街が間近に姿を現します。こんな表情を持つ海峡と幾多の歴史のできごとを育んできた海峡の街。これが門司港なのかなと思ったりします。



いつか見た夢。門司港エレメント。

2011-05-24 05:16:51 | アート・文化
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いつか見た夢。門司港4番線、5番線。〈C〉永野宏三・ひろみプロ


ぼくの住んでいる門司大里には、門鉄時代の門司機関区がありました。プゥワーン。グワッシャーン。フウィーッ。操車場で列車の入れ換えをする音が夜半街中に響いていました。別院通りの入口下あたり、3号線と199号に挟まれたあたりです。随分遠い昔ですが、25年前くらいまでは操車場の音が聴こえていました。貨物輸送列車の基点でもあったからです。夜中に響くその音は時には物悲しく感じることもありましたが、鉄道の街という伝統的な風物でありました。
鹿児島本線を小倉から機関区をすぎると門司駅。そして本線の基点駅である門司港駅です。列車はホームに吸い込まれるように終着5番線に停車します。この土地に住む人には当り前の光景ですが、たぶん遠くから旅をしてきた人には、ああ、やっと着いたなと云った感じの駅でしょうか。
戦前、戦中の門司港駅は本州へ渡る人、大陸へ渡る人たちで構内は溢れんばかりの人、人でごった返ししていたそうです。わたしの母が戦時中の頃の話ですが、門司丸山に兵隊で赴任していた兄に親と面会に行った時に、構内で迷いはぐれたそうです。
駅の特徴である出会い、別れ、通過といった鉄道を媒介とした人の流通する場のイメージがありますが、門司港駅にはメタファーとして、母胎。母の駅。帰るホームと云ったイメージが浮かんできます。



便利さの 後ろにかくれ 夢を汲む

2011-05-19 05:14:17 | アート・文化
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夢を汲む。〈C〉永野宏三・ひろみプロ


インターネット、デジタル、車、モバイルと、現代社会はとかく快適でスピーディに時間の隙間が無いくらい便利さばかりが重宝がられています。
ぼくなんかの性格ですと、ついていけない今の時代となります。なんだか頭の中の思考までがデジタル化したみたいな感じであります。
Eメイルで伝えればすぐ済むことを、先日あえて用件をハガキで伝えると、相手から電話で返事があり「時間の感覚がおもしろいね」と喜ばれてしまいました。市内郵便ですから翌日には届きます。
大震災から二ヶ月経ちましたが、被災地から遠いところに住んでいて直接被害にあっているわけではないけれど、やはり頭の中のどこかに震災のことがメモリーとなっています。連日、新聞などの報道で状況が伝えられてきているからクリックしているのだと思います。
今朝の毎日新聞小見出しに『原発の恩恵 何もない。もらったのは放射能だけ』とありました。ぼくは報道から震災情報を知るだけですが、この見出し一行に現地の方の今の思いが込められているような気がしました。
街のどこでも、イベントでもお店でも『がんばろう日本』、そして義援金をもとめるPOPが貼られています。イベントの焼き鳥屋台の柱にも即席の手描きPOPが貼られていました。それはそれでいいんですが、どれもこれも同じ右向け右フレーズにこれはなんか違うぞと、こちらには伝わってきません。
インターネット、デジタル、車、モバイル等々、未来に向け追い求めてきた便利さゆえ、停まってしまえばこれも災害になってしまう現代社会の仕組み。いろんな場面で、ぼくとしてはいちど退化して進化する思考をしてみようかと思います。



門司港・錦町。子どもと町と。

2011-05-17 13:26:39 | アート・文化
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路地裏遊び。〈C〉永野宏三・ひろみプロ


いつもの同じ場所で待ち合わせ。辻が遊び場です。子どもはかくれんぼで迷路のような路地裏で遊んだその夜は、よく迷い子になった夢を見ます。子どもにとって町中の遊び場は結構未知の隠れ場所もあってスリルと冒険があるそうです。



“天使のらくがき”。

2011-05-12 14:15:07 | 日記・エッセイ・コラム
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『妖精』。『ないしょばなし』。〈C〉永野宏三・ひろみプロ


このところ毎日不揃いな天気がつづき、きょうもうっとうしい雨。朝からの重い雨に又かと、気も重くなっていたのですが、いつものようにステレオのスイッチをいれるとFMから、キュートな唄声でダニエル・ビダルの『天使のらくがき』が流れてきたではないですか。それまで重かった朝が、ポップで爽やかな朝になりました。
ダニエル・ビダルといえば、60年代の終り頃に日本でヒットしました。ラジオから聴こえてくる、ちょっと舌たらずのキュートな声には、当時中学生男子のぼくにもビビッときました。声もですが顔もかわいかったですね。おなじ時代だったころですがフランス・ギャルの『夢みるシャンソン人形』もよかったですね。
あの頃はポップスもですが、映画もフランスものが日本ではヒットしました。
なにかとギスギスした状況が漂う現在からくらべると、当時は高度成長。親は一生懸命働いて子育て。子どもは学校から帰るとカバンをポンと玄関に置いたまま再び外へ。はつらつとしていましたね。そして穏やでした。
古いですが、だれが云ったか『降る雪や明治は遠くなりにけり』と云うたい文句がありましたが、今じゃ『降る雪や昭和は遠くなりにけり』。
でもいいですね、ラジオはときどき希薄になってきているものをリセットしてくれて、遠くなっているある時代を音で再現してくれます。音は頭の中でビジュアルに想像を掻き立ててくれます。簡単に時代は消え去るものではないですね。