永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

熟慮断行。

2008-12-29 14:51:42 | 日記・エッセイ・コラム
仕事場の大掃除をする。物が出てくる、でてくる。机の下から本棚まで積み重なった本の上にいろんなメモらしきもの。その都度取った資料。えっ、どうしてこんなものがと思われるものもある。同じ新品の本が二冊あった。どうしてだろうと記憶を辿る。たぶん一度その本が欲しくて買ったけれど、何ヶ月か経って、本屋で無意識にその本をまた手にとったのだろう。たぶん一冊目の本はいつか読もうと思い本棚に入れていけれど、記憶から無くなっていたに違いない。メモやその都度拾った資料がかなり多い。処分しようと思うけれど、これはやはり取っておこうとそのままダンボールに直しこんでしまい捨てきれない。メモは特にその時に考えたことなりデザインのアイデアなどが綴られているので、僕にとってはかなり貴重なものになる。メモは手帖やノートに書き込みすればよいのだろうが、僕はチラシの裏にすぐメモるので、いつのまにかかなりの数になる。床に座りこんで、メモを読み返すと、あの時はなんでこんな考え方をしていたんだろうか。あのアイデアはなんと陳腐なんだろう。これこそ腐ったゴミみたいなものかもしれない。かなりゴミ袋に投げいれたから、何だか頭のモヤモヤが晴れたような感覚ですっきりした。少々チューブに残っている絵具、使いこみ擦り切れた筆もこの際思いきり捨てしまう。



勝手気まま。

2008-12-28 15:53:18 | 日記・エッセイ・コラム
パソコンをまばたきもせずに一心不乱で入力作業していたら、突然飼猫が横から机上に飛び乗ってきてキーボードの上にどかっと座ってしまった。あっという間のできごとである。一時間ほどデータ保存をしいないで作業をしていた。後のまつりである。猫は寝起きの後か、キーボードの上で大あくびして気持ち良さそうに毛づくろいをはじめた。僕は頭にきて机から思いきり猫をはねのけた。ああ、はじめから入力のやり直しだ。僕は泣きそうになる。猫は何事もなかったかのように、床の上で毛づくろいをしている。情けない。毛やほこりはパソコンに良くないので注意しているのにいつの間に仕事場に入ってきたのだろうか。猫は足音をたてないから、首輪に鈴をつけるのはこのへんからきているのかもしれないと妙に納得する。


好天気。

2008-12-27 13:52:54 | 日記・エッセイ・コラム
寝過ごして9時すぎに目が覚める。いよいよ歳の暮れというのに、ごそごそ起きて来年にまたぐ仕事を少し進めておく。Sさんがひょこりと来訪。僕の絵本を買っていただく。Sさんはプレゼント用にと言って、時々仕事場に寄ってくれて本を求めていただく。おかげさまでいろんな人に絵本が動いて、僕の絵を知ってもらえるからありがたい。Sさんは僕の絵の理解者でスポンサーみたいな存在。「来年もよろしく」。互いに暮れのあいさつをすませる。一年たつと結構絵具の使用が頻繁になり、チューブの中が空になっている。画材の仕入れに走る。


語。

2008-12-26 20:09:23 | 日記・エッセイ・コラム
本年最後の絵を1点仕上げて納品の手配をする。福岡よりRさんがみえる。一年半ぶりの再会。話しがはずむ。とは言っても僕の方が一方的に喋る。つもる話しというものだ。お互いが元気だというのが何よりと、互いに納得する。あれこれとひとりで喋っている僕のことを、だまってにこにこして聞いてくれるRさんにハッときずく。いつものように僕の我がままを知っているから暗黙の内に聞いてくれる。話しの間に時々相づちを打つように、Rさんもあれこれ近況の話しを返してくれる。この間がとてもいい。


貌。

2008-12-24 11:14:34 | 日記・エッセイ・コラム
ある図録のデザインを終える。活字と写真の渦に漂っていたという感じだ。本のデザインは文字の構成が主体の仕事で、地味な作業ではあるが僕の好きなデザイン仕事のひとつだ。設計ひとつがバランスを崩すと読む側には眼の流れが遮られることになるし、不快感を与えてしまう。今はデザイン作業がパソコンだから、活字の発注はしないで済む。設計メモ(僕はデザインアイデアのことを、こう位置づけている)から、モニター上の割り付け紙面に編集者からいただいた文字データを分析して構成していく、この時の微妙な空間処理がたまらくスリルがあって良い。この感覚はデザイナーにしかわからない、1ページごとに完成していくと次ぎのページへと動く。前ページからの意味合いをつなげる作業が又たまらなく緊張感がある。1ページ、1ページがまとまってひとつの本として立体的な貌になった時の到達感がこれ又たまらない。