永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

小さな町、門司港から?マチオモイ門司港帖。

2014-02-27 11:27:25 | アート・文化
ことしも『わたしのマチオモイ帖』展があす2月28日から3月23日まで“東京ミッドタウン・デザインハブ”で、3月7日から3月23日まで『クリエイテイブセンター大阪・メビック扇町』で開催されます。わたしも『小さな町はたから箱・門司港帖』を出展しています。
門司港はレトロというワードで観光展開されていますが、下町や山手の町にも門司港マチオモイのコードを紐解く町のかたちが今も明治・大正・昭和の歴史の残像になって色濃く残っています。
門司港の町のことをを全国にもっと知ってほしいです。『わたしのマチオモイ帖』展会場には全国各地の『わたしのマチオモイ帖』も一堂の展観することができます。機会ございましたらぜひお立寄りください。

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わたしのマチオモイ帖・門司港帖。〈C〉永野宏三



昭和日和。

2014-02-25 09:56:07 | 日記・エッセイ・コラム
このところ毎週日曜は小倉を散歩しています。
この前は勝山橋を基点にしてを南下、黄金町方面へと歩きました。カメラは持たず心象記憶装置のみを携え散歩しました。
小倉城から図書館通り抜け区役所横の石垣沿いの道を大手町へと歩きます。城内のこの通りは旧陸軍十四連隊跡地で歩兵連体の営舎がありました。明治から昭和終戦まで小倉は軍都でした。大手町一帯は軍需工場がありました。現在は街再開発されてマンションなど高層の建物が建ち並び、城下の面影は石垣のみです。
大手町に出て大きくカーブした都市高速道が紫川に突きあたったところで、川沿いにさらに南下したら、TOTO小倉工場にさしかかり繋ぐ豊後橋を渡り左に折れて二つの工場がはさむ通り道を中島方面を歩きます。この界隈も高層マンションだらけです。100Mほど歩いて右折、ここらあたりで街の表情は一挙に貌を変えます。すとーんと昭和の町並にタイムスリップします。街の町名もずばり昭和町です。
通りは街というより町というほうがふさわしく、通りは人の往来はまったくありません。時たま車がモノレールのある大通りから通り抜けるくらいで、都心に近い日中というのにしーんと静まりかえっています。
町全体が昭和30年代くらいの木造建築で黒い屋根瓦が軒を連ねています。横道を興味本位で入ってみると、家々の玄関や垣根越しの小さな庭は昭和のままです。漫画サザエさんにでてくるあの町並みです。一気の昭和の日本が蘇ってきます。なかには人の気配がない廃虚になって時間が止まったままになっている家が数軒ありました。
本道に戻るとかつて高度成長にむかって町が賑わっていたであろう商店街通りの面影が昭和の残像になっていました。当時は昭和町には映画館もあり相当に賑わいのある町だったらしいです。
狭い横道、裏道は繁華というアスファルトで覆っても、この町の趣きまでは覆うことはできません。
小倉中心部から昭和町を往復して およそ一万歩、昭和アーカイブの距離間を確認できる町でもありました。



天使の歌声

2014-02-24 13:37:55 | 日記・エッセイ・コラム
春うらら、そんな光と風が立ちはじめました。庭に草が顔を出してきました。梅が満開です。
Sさんがさわやかな声でめずらしく電話をかけてきました。「コーラスしませんか。四月もコンサートのむけて毎週日曜日に練習します。峠の我が家ほか三曲うたいます」。「ぼく歌えませんよ、声もでないし楽譜も読めません」。「いやいや、歌えますって、楽しいから」。
この年になってぼくがステージにみんなと立って歌っているなんて想像したこともありません。なにごとにも積極的なSさんはコーラス隊に参加すのがあたりまえを前提にモーションをかけてきます。音に合わせてハモるくらいならと考えてみましたが、声を出して歌う行為はやはり無理というものです。
春はいろいろ気持ちやものごとがが浮足立つ季節でもあります。考えてもみなかったことも起きる季節でもあります。



奥の路地からの町の顔立ち。

2014-02-17 13:13:31 | 日記・エッセイ・コラム
いい日和がほのかに梅の香を誘いつられて外へ出たくなって足がの方角に向かいました。日ごろは用事で目的があって小倉に出るのがほとんどですが陽気に誘われぶらっと町を歩きたくなリ、いわゆる散歩をしました。
魚町の本筋を横道にそれたり、馬借の川沿いを歩いたりぶらぶらしました。繁華街の横通りは以前あった店が姿を変えていて業種は飲食店が増えていました。居酒屋風がほとんどです。カッテングシートで施された派手な色彩と屋号ロゴデザインが店頭を彩っています。販促するけばけばしい意匠はなんだかもの悲しい表情に見えてきます。
細い通りの向こうを眺望すると高層の建物がニョキッと姿をいくつも見せていて、どれもが色気のないグレー色、あいまいなシルエットに輪郭がない光景です。急速な時代の変化がもたらした全国どこでも同じような街の風景、そのときそのときの計画でできあがった街の景観が複雑にごちゃごちゃしている感じです。小倉はひと昔とはちがって趣きのある町の表情がなくなったような気がします。ぼくの小倉のイメージといえば城下町のしっとりした街です。
魚町と馬借が交差する神岳川沿いを進み旦過市場に入ってみると、日曜日にもかかわらずここは人の通りがあり旦過独特の風情は昭和30年代のつくりのままです。ほっとした気分になれました。
町の中心から紺屋町のオフィス街を抜け砂津に向かって歩き陽を浴び少し汗をかきました。
砂津のショッピングモールにある映画館で『大統領の執事の涙』を観ました。アメリカの幾つかの時代の岐路を挑戦と葛藤と寛容で歩んできたアメリカ、国内にかかえる人種問題が背景にあることがよくわかる映画でした。


中途半端な季節。

2014-02-13 09:11:40 | アート・文化
暦の上では春なのですが、からだの芯から寒さがおそってきます。夜道を歩いているとさらに寒さが増してきます。夜のとばりはしーんと静まりかえって想像力が高まり独特の空間となり、街灯が照らす自分の影に怯えたりするのもこの時期です。


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夜のおつかい。〈C〉永野宏三