永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

夢のような夢。

2013-01-29 14:01:58 | 日記・エッセイ・コラム
はやい朝方4時頃、不思議な夢を見ました。全体を黄金色で施されている部屋の真中にひとりでぼくが座っていたら、そこに、これまた、黄金色のヘビとワニがぼくに近づいてきました。部屋中が黄金色に輝いて、あまりの眩しさに目が醒めてしまいました。近づいてくるヘビとワニにはまつたく恐いことはなく、ぼくを襲いかかるとこもありませんでした。こんな夢を見たのははじめてです。別に小説とか映画などで見たような光景でなく、日頃、そのようなイメージを頭にインプットしたこともありません。不思議でなりません。いい夢なのか、悪い夢なのか、何か予兆をもたらす夢なのかわかりませんが、夢のような夢でした。目が醒めたらからだがすっきりとしていました。


日だまりの小さな息吹。

2013-01-25 14:48:07 | 日記・エッセイ・コラム
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暦では1月20日は大寒でしたから今がいちばん寒い時ですが、きょうは晴れていますがかなり寒いです。時が経つのは早くそして目まぐるしいです。寒い寒いとは云っても、植物は春に向って、まだ小さいですが息吹きはじめています。冬のつかの間の日だまりに庭のしだれ梅が小さい芽を出しました。


史伝の灯りが闇を照らす。

2013-01-21 15:07:07 | 日記・エッセイ・コラム
すっきり好天気の日曜日になったので、前日から始まった小倉の松本清張記念館の“昭和史発掘への招待”展に足を運びました。予告で前々から見たかった企画展だったので少し興奮ぎみでいそいそと出かけました。市庁舎を抜けて城内に向う途中、城横の通路では北九州女子駅伝のフィニッシュで選手がぞくぞくとゴールに帰ってきていました。足を暫く止めて観覧しているとぼくの母校の選手が14着でゴールしてきました。なんだか懐かしさもあって参加している母校の生徒の姿に嬉しくなりました。
目的の記念館に入るとさっそく企画展示室で昭和史発掘の資料等全貌を観覧しました。膨大な資料から清張さんのするどい検証と考察から書かれた作品は、展示された資料からもリアルに昭和史の一面をあらためて見ることができました。
資料の中でも二・二六事件の将校が書いた、多分ガリバン刷りだと思われますが、決起した将校の“蹶起趣意書”と、小林多喜二全集の発行当時の古い本をページが開いて展示してあり、たぶん当時の時世からして検閲等によるものか、出版者の自主的によるものなのか、文中の部分に伏せ字として「・・・・」がありました。表現に対しての所作になにか重いものが被さっているような当時の暗い時代の状況を「・・・・」に見ることができました。
不穏な時代の昭和初期のある断面、なにかしら今の時代にも似て、清張さんの書く語り部史といってもいいのてしょうか、昭和史発掘は暗闇を灯台の灯りが射すみたいに鋭く問いかけてきました。



描き初め。

2013-01-08 15:51:31 | 日記・エッセイ・コラム
年が明けて三月の展覧会に出品する絵を描きはじめました。新年描き初めとなります。アイデアは昨年暮れにはかたまっていたので、デッサンを何度もやり、頭の中にイメージが定着してきました。一月は展覧会と仕事が重なり、なかなか休業とはいかず、日常仕事の合間作業です。やはり二足のわらじは、気持ちの切り換えがなかなか思うようにはいきません。描くという精神がアンバランスになります。ここは気合いを入れていこうと思います。


正月の風情。

2013-01-05 08:59:16 | インポート
正月三が日があっと云う間に終りました。風情をあまり感じられません。子どものころの正月と云えば、何もかもが新しく、気持ちが新しくなったような気がして清々しい気持ちになりましたが、現代の風情においてはなぜかしら正月を迎えたと云う気持ちを感じることが薄くなってきたような気がします。年をとってきたせいもあるんですかね。昨今のお節は贅沢になってきましたがあまり食べたいという気持ちにはなりません。年のせいもあり健康に気をつかうようにになってきたせいでしょうか。そう云えば、ことしは町できもの姿をひとりも見かけることはありませんでした。せめて正月気分をささやかに味わうために、きょうは箪笥に眠っているきものを出して着てみようかなと思っています。